共産主義者同盟(火花)

現代唯物論発展のために(7)

流 広志
241号(2001年9月)所収


 『はじまりのレーニン』(岩波書店 1994年)の中で中沢新一氏は,マッハ主義・ボグダーノフの経験一元論が記号論・システム論・サイバネティックスだと書いている(第二章)。記号論・システム論・サイバネティックスは現代の流行思想であるが,これらの立場からのマルクス主義への批判や改造の試みが執拗に繰り返されている。中沢氏は,レーニンの意識の外部の客観的実在の承認と感覚をその模写像とする唯物論を認め,単純模写説として批判されることが多いレーニンの『唯物論と経験批判論』の基本思想を擁護する。だが一方で,レーニンの唯物論を神秘主義と折衷させようとしている。それは,レーニンの党論をグノーシス主義としている部分などである。レーニンの党論が神秘主義からほど遠いことは『一歩前進二歩後退』を読めば一目瞭然である。なるほど,レーニンは,確かに,「高度な階級意識をそなえた,プロフェッショナルな革命家の集団がつくる「党」によって,革命の運動は導かれていかなければならないと考えた」(前掲書 180頁)。しかし,「それは,「党」だけが,歴史の秘密についての「叡知」をもっている,とされ・・・・マルクス主義的な史的唯物論がそのような「叡知」をあたえる」(同)からではない。史的唯物論は,党だけが持ちうるような閉鎖的な歴史の秘密についての神秘的な「叡知」などではない。それは誰でも望むなら手に入る唯物論的知識,誰でもが身につけられる技術・方法であり,神秘などないのである。これと反対に,物事を聖化し,神秘化し,秘技をあみだして人々から知識を遠ざけているのは,観念論である。
 われわれは,マッハ主義・ボグダーノフ主義を記号論・システム論・サイバネティックスとし,それにレーニンの意識の外部の客観的実在を認める唯物論を対置しているようなこの本の革命的な側面に着目しなければならない。それは,記号論・システム論・サイバネティックスによって,マルクス主義を観念論に導こうとする反動的企てを暴露しなければならないからである。
 レーニンの唯物論に関する論戦の最初は,ナロードニキ主義に対するもの,それは社会科学の分野の主観的観念論に対するものであった。そして,彼の自然科学分野の主観的観念論に対する論戦を展開したのが『唯物論と経験批判論』である。レーニンの批判は,主観的観念論に対しては情け容赦のないものであって,物質を第一次的であり,精神を第二次的であり,私の意識の外部にある客観的実在の承認とそれを感覚が像として反映するということを徹底してそれに対置している。レーニンは,主観的観念論と唯物論を,まったくあいいれないものとして前者を徹底的に批判した。彼は,ここで,精神の物質性(二次的な)をはっきりと主張している。一方で,レーニンは,同じ観念論でもヘーゲルの絶対的あるいは完全な観念論に対しては,ただ対決することはしない。彼は,ヘーゲルの観念論に対しては,ひっくりかえし,唯物論的に読むという態度をとる。それは,「ヘーゲルは逆立ちした唯物論」(『哲学ノート』)だからである。
 『唯物論と経験批判論』で扱われている物理学などの自然科学は,19世紀末から20世紀初頭には大変革が起きつつあるところであった。その渦中にあったこの頃,多くの科学者は,この大激動がどのような方向に向かっているのかをはっきり理解していなかった。物理学では,相対性理論と量子力学が誕生しつつあった時代である。アインシュタインの相対性理論がはじめて明らかにされた論文『運動物体の電気力学について』が発表されたのは1905年であるが,科学者たちがこれに注目するようになったのは1908年頃からである。マックス・プランクの量子論が誕生したのは1900年。その後の量子力学の発展は,1923年のニールス・ボーアの量子論の原子構造論の開始,1925年のド・ブロイによる粒子の波動性の仮説とその実験による実証,1930年のディラックの相対論的量子力学,等々,と続いたが,1909年の段階では,その意義を十全に把握しようもなかった。当時は,それまでのニュートンの絶対空間・絶対時間概念が変革されようとしている時代で,これを前提・基礎にしていた既存科学が揺らいできたのである。そしてこれらの変化からくる動揺に結びついて,科学を主観的観念論の下に置こうとするマッハ主義が,幅広い分野で影響を広めた。マッハ主義が継承しているのは,主観的観念論であり,その代表的な思想家は,バークリ,ヒューム,カントなどである。カント主義は,新カント派によって広められ,それとマッハ主義をマルクス主義と結びつけたオーストリア・マルクス主義が現れた。マッハ主義は,マルクス主義にも影響を及ぼしたのである。『唯物論と経験批判論』が書かれたのはそうした時代である。カント主義を継承したのはマッハ主義ばかりでない。たとえば,フッサールの現象学は,カントの折衷主義を発展させて,共同主観性という客観的観念論の方向をも発展させた。それは,もし弁証法を適用し,唯物論的に「ひっくりかえす」ことができれば,唯物論へと転化する可能性(あくまで可能性)のある方向ではある。しかし,それが,主観的観念論と唯物論のごたまぜでしかない間は混乱したものにすぎない。『唯物論と経験批判論』を検討するならば,その革命的側面を発展させるためにはどうすればいいかがわかる。また,主観的観念論と唯物論を和解させ,折衷させようとする試みは現在でもくり返し現れており,しかもあつかましくマルクス主義を名乗っていたりするので,その正体を見破る武器を手にするためにも,この本を検討したい。

 『唯物論と経験批判論 ある反動哲学についての批判的覚え書』は,1909年に出版された。この本は,1908年に相次いで出版されたバザーロフ,ルナチャルスキー,ベルマン,ゲリフィンド,ユシケヴィチ,スヴォーロフの『マルクス主義哲学についての概説』,ユシケヴィチの『唯物論と批判的実在論』,ベルマンの「現代の認識論の見地から見た弁証法,ヴァレンチノフの『マルクス主義の哲学的構成』の発行をきっかけにして書かれたものである。第一版への序文でレーニンは,「その政治的見解がはっきりちがっているにもかかわらず,弁証法的唯物論にたいする敵意で統一されているこれらすべての連中が,同時に,おこがましくも哲学上ではマルクス主義者であると称しているのである!」(国民文庫 11頁,以下頁数のみ)と述べている。
 第一章で,まずレーニンは,マッハの1872年の講演録を引用する。「科学の任務たりうるのはつぎのことだけである。すなわち,一,表象相互の連関の法則を探求すること(心理学)。二,感覚(知覚)相互の連関の法則を発見すること(物理学)。三,感覚と表象とのあいだの連関の法則をあきらかにすること(精神物理学)」(41)。レーニンは,表象や感覚はどこからくるのかは,これらの諸学では問われないで,それらは所与としてあらかじめ前提されていることを指摘する。また彼は,マッハが,「物理学の対象は感覚相互の連関であって,われわれの感覚がその像であるところの物または物体相互の連関ではない」と主張し,「一八八三年にもその『力学』で同じ思想をくりかえし」,「感覚は『物の記号』でさえもない。むしろ『物』とは,相対的な安定性をもつ感覚の複合をあらわすための思想上の記号である。物(物体)ではなくて,色,音,圧力,空間,時間(われわれが普通に感覚と呼んでいるもの)が世界の本来の要素である」と述べていることを指摘する。(41〜2)。
 レーニンは,唯物論と観念論との対立,哲学上の二つの基本的路線の区別が,「物から感覚および思考へとすすむのか? あるいは,思考および感覚から物へとすすむのか?」(44)の違いだと述べる。ここには認識の源泉がどこにあるかという問いが含まれている。それは,物なのか,それとも思考・感覚なのか? これは決定的な問いである。なぜなら,マッハのいうように物が感覚の複合であるなら,「全世界は私の表象にすぎない」(同)ことになり,それは主観的観念論への道だからである。
 レーニンは言う。マッハが,われわれから独立して存在する客観的な実在が「感覚的内容」と認めないならば,彼に残るのは,一つの「はだかの抽象的な」自我(大文字でイタリック体の)だけなのである。「もしも外界がわれわれの感覚の「感性的内容」でないならば,空虚な「哲学的」奇行にたずさわっているのはこのはだかの自我以外には,なにものも存在しないことになる」(45〜6)。マッハが言うように,「われわれはただ自分の感覚だけを感覚する」ならば,ここからでてくるただ一つの結論は,「世界は私の感覚だけからなる」ということである。レーニンは,マッハが「われわれの」という言葉を用いているのは中途半端だと批判している。「われわれの」という以上は自我を超えるものを認めているからである。フッサールの現象学では「われわれ」を共同主観という。
 感覚の源泉にかんする唯物論とマッハ主義の差異についてレーニンは,「唯物論は,自然科学と完全に一致して,物質を第一次的にあたえられているものとし,意識,思考,感覚を第二次的なものと見なす。なぜなら,はっきりとあらわれた形では感覚はただ物質の最高の形態(有機的物質)だけとむすびついているのであって,「物質という構造物の礎石のなか」には,ただ感覚に類似した能力の存在を仮定することができるだけだからである」(49)と述べ,「マッハ主義は,これと反対の観念論的観点に立っており,たちまちたわごとになってしまう。なぜなら,第一に,感覚はただ一定の仕方で組織された物質の一定の過程と結合しているにすぎないにもかかわらず,感覚を第一次的なものとしているからであり,第二に,物体は感覚の複合である,という根本前提は,あたえられた大文字の自我以外の他の生物ならびに一般に他の複合が存在しているという仮定によってやぶられているからである」(50)と批判している。
 このように,この本でレーニンは,一貫して,主観的観念論を批判しているわけだが,その際に,つぎのような態度を唯物論の特徴的態度として押し出していることを現代唯物論を発展させようとするためには,確認しておかなければならない。レーニンは,まったく感覚しないとされている物質が,同じ原子からなっていて同時に感覚能力をもつ物質と,どのようにしてむすびつくかという問題は,まだ研究が不十分な状況であるのに,マッハ主義は「要素」という無意味な用語をもてあそぶことで,この問題が解決されたとか前進したという虚偽の外見をつくりだしただけであると批判する。それに対して,「唯物論は,未解決の問題をはっきりと提起し,こうすることによって,それをその解決へと,よりいっそうの実験的研究へとおしすすめる」(同)と述べる。唯物論は,解決していないことを解決していないとはっきりと述べ,問題そのものを明確にして提起し,そうすることによって,問題解決のための実験的研究・実践を押し進めるのである。
 マッハは,感覚すなわち心理的要素から物理的体験を組み立てることはかんたんだと述べている。レーニンは,これは観念論であり,言葉の組立てはかんたんだが,それは信仰主義をひきずりこむのに役立つ空虚なスコラ学であると批判する。それに対して,ディドロは,感覚を運動する物質の性質の一つとして認めた。エンゲルスは,このディドロの観点に立っていたのである。「感覚は現実に意識と外界との直接の結びつきであり,外的刺激のエネルギーの意識の事実への転化である。この転化をおのおのの人間は何百回となく観察したしまた現実にいたるところで観察している」(57)。それに対して,「観念論哲学の詭弁は,感覚を意識と外界との結びつきとみなさないで,意識を外界からひきはなす垣根,壁とみなすこと,――「唯一の存在するもの」とみなすことにある」(同)。
 レーニンは,マッハの『力学』での世界要素の発見という見解を,1.すべての存在するものは感覚であると宣言される,2.感覚は要素と呼ばれる,3.要素は物理的なものと心理的なものにわかたれる,後者は,人間の神経に,一般にいって人間の身体に依存するものであり,前者は依存しない,4.物理的な諸要素の連関と心理的な諸要素の連関とはたがいに個々別々には存在しないものであると宣言される,それらはあいともなってのみ存在する,5.ただ一時的にだけ,どちらか一方の連関を捨象することができる,6.「新」理論は「一面性」をまぬかれたものであると宣言される,と要約している。このようなマッハの見解は,物理的なものと心理的なものを要素(感覚)という共通なものに還元した上で,それぞれと両者の函数的連関(依存関係)があるとするものである。つまりは,ここで存在すると認められているのは,要素(感覚)とそれらの間の連関だけである。こうして物理的なものと心理的なものとの対立を取り除いているのだから,一面性をまぬかれ,唯物論と観念論との対立をも取り除いていることになるわけである。しかしながら,それは不可能である。結局,マッハ主義は折衷主義に陥っていくのである。
 それに対してレーニンは,1.物質が,われわれの感官器官に作用して感覚をうみだす,2.感覚は,脳,神経,網膜,等々に,すなわち特定の仕方で組織された物質を生みだす,3.物質の存在が感覚に依存しているのではない,4.物質は第一次的なものである,5.感覚,思想,意識は,特殊な仕方で組織された物質の最高の所産である,ことを対置する。
 つぎにレーニンは,「自然は人間より前に存在したか?」という問いにマッハ主義がどう答えたかを検討する。そこで,彼は,この問題がマッハとアヴェナリウスの哲学にとってはとくに苦手であったことを指摘している。レーニンは,それに対して,自然科学が,人間,生物が存在しなかった状態でも地球が存在していたことを肯定していることを指摘することで答えている。有機的物質は,後世の現象であり,それ以前には,感覚する物質は存在せず,「感覚の複合」も存在しなかったし,当然,自我も存在していなかった。「観念論にとっては客観は主観なしには存在しないが,唯物論にとっては客観は主観から独立に存在し,その意識のなかに多かれすくなかれただしく反映される」(103)。

 ここでレーニンは,エンゲルスが,『フォイエルバッハ論』で唯物論と観念論を哲学上の基本的流派であると言明していることを指摘している。観念論と唯物論は哲学上の二大陣営であり,それぞれに種々の学派がある。エンゲルスは絶対的観念論者ヘーゲルの哲学が,現実世界を世界以前の「絶対的理念」の実現とみなし,人間の精神が現実を正しく認識することによって,それを認識するとするイデアリズムであると述べている。観念論にはそのほかに,世界をあますところなく認識できることを否定している不可知論・懐疑論のヒューム主義とカント主義がある。エンゲルスは,これらにたいしては,「哲学的妄想にたいする最も適切な反駁は,実践,すなわち,実験と産業である」と批判している。ヒュームとカントに共通するのは,「現象」を現象するものから,「感覚」を感覚されるものから,われわれにたいする物を「物自体」から,原理的にわけへだてたということである(129)。認識論上の哲学流派は,唯物論と観念論,その中間の不可知論・懐疑論,にわかれるのである。
 ここでレーニンは,1.物は,われわれの意識から独立に,われわれの感覚から独立に,われわれのそとに存在する,2.現象と物自体とのあいだには,けっしてどのような原理的差異もないし,またありえない。差異はたんに認識されたものとまだ認識されないものとのあいだにあるにすぎず,この両者のあいだの特殊な境界にかんしての哲学的作りごと,すなわち,物自体は現象の「彼岸」にある(カント)とか,または,あれこれの部分ではまだ認識されていないがしかしわれわれのそとに存在する世界についての問題からわれわれは何らかの哲学的な仕切りによって身をへだてることができるし,また身をへだてていなければならない(ヒューム)とかいうことにかんしての哲学的作りごと,――こうしたものはすべて,空虚なたわごとであり,Schrulle〔妄想〕であり,言いのがれであり,虚構である,3.認識論においては,科学の他のすべての領域においてと同様に,弁証法的に考察しなければならない,すなわち,われわれの認識を出来あがったもの,不変のものと仮定しないで,どのようにして無知識から知識があらわれ,どのようにして不完全な,不正確な,いっそう正確な知識になるか,ということを研究しなければならない(130),という三つの重要な認識論上のポイントをあげている。
 「人間の認識は無知から発展するという観点に立てば」とレーニンは言う。「われわれの感覚器官が外部のあれこれの対象から刺激をうけるときには,「物自体」は「われわれのための物に転化し,「現象」が発生するということ,また,あれこれの障害によって,われわれが存在することを知っている対象が,われわれの感覚器官にたいしてはたらきかえる可能性をのぞかれるときには,「現象」が消失するということを。このことの唯一のかつ不可避的な結論,―すべての人々が生きた人間的実践のうちで引きだしている結論―は,われわれのそとに,われわれから独立して,対象,物,物体が存在し,われわれの感覚は外界の像である,ということである」(131)。
 この点について,レーニンは,マルクスの「フォイエルバッハ・テーゼ」を引用している。第一テーゼについては,アルベール・レヴィーの評価を引用する。レヴィーは,マルクスが,われわれの外にある実在的客観と,この客観にわれわれの観点が照応していることを承認していることを認めている。レーニンは,マルクスがそこで,人間の「現象的活動」に「物の活動」が照応しており,人間の実践はたんに現象的な意義ばかりではなく,客観的=実在的な意義をももっていることを主張したと述べている。「人間的認識は絶対的真理を反映し,人類の実践はわれわれの観念を検証して,絶対的真理に照応するものを観念のなかに確証する」(135)。
 レーニンは,客観的真理が存在することを主張し,思想による対象の反映の理論とは,われわれの外に物が存在し,われわれの知覚や観念はその像であり,これらの像の検証,真の像の誤った像との区別は,実践によって与えられるというものであるという。
 つぎに,絶対的真理と相対的真理の関係について,レーニンは,『反デューリング論』から引用して答えている。「思考の至上性は,きわめて非至上的に思考する人間たちの系列をつうじて実現されるのである。このどちらも」(絶対的に真なる認識も至上的思考も)「人類の生命の無限の持続をつうじてでなければ,完全に実現されることはできない」(175)。さらに,真理と誤謬についても同書から引用する。「真理と誤謬とは,両極的な対立のかたちでうごくすべての思考規定と同じように,ごくかぎられた領域にたいしてしか,絶対的な妥当性をもたない。・・・・真理と誤謬との対立を,さきほど述べた狭い領域をこえて適用するやいなや,対立は相対的となり,したがって,正確な科学的表現法としては役にたたなくなる。もしまたこの対立を絶対的に妥当するものとして右の領域をこえて適用しなくするなら,いよいよひどいしくじりにおちこむ。対立の両極はその反対物に転化し,真理は誤謬となり,誤謬は真理となる」(177)。このことをレーニンは,つぎのように説明する。「現代の唯物論すなわちマルクス主義の観点から見れば,客観的・絶対的真理へのわれわれの接近の限界は,歴史的に条件づけられている。しかし,この真理の存在は無条件的であり,われわれがそれに接近してゆくことは無条件である。画像の輪郭は歴史的に条件づけられているが,この画像が客観的に存在するモデルを描写するものである,ということは無条件的である。・・・・あらゆるイデオロギーは歴史的に条件づけられているが,しかしあらゆる科学的イデオロギーには(たとえば宗教的イデオロギーとはちがって),客観的真理,絶対的な自然が照応している」(179)。
 ここで注意すべきは,「弁証法は・・・・相対主義,否定,懐疑主義をそのうちにふくんでいるが,しかし,相対主義に帰着するものではない。マルクスとエンゲルスの唯物論的弁証法は,無条件的にみずからのうちに相対主義をふくんでいる,しかし,それに帰着することはない。すなわち,われわれの知識の相対性を,客観的真理の否定という意味ではなく,この真理へとわれわれの知識が近づいてゆく限界が歴史的に条件づけられているという意味でみとめるのである」(180)ということである。

 「フォイエルバッハ・テーゼ」の第二テーゼは,対象的すなわち客観的真理が人間の思考によってとらえられるかどうかという問題を,実践からはなれて提起するのはスコラ学であると述べている。レーニンは,「生活,実践の観点が,認識論の第一の,基本的な観点でなければならない,そしてそれは,教授的なスコラ学のかぎりない作りごとを掃きすてて,不可避的に唯物論に到達する。もちろんそのさいに,実践の規準は事がらの本質上けっして人間のなんらかの観念を完全には確証も論破もすることができない,ということをわすれてはならない。この規準もまた,人間の知識が「絶対者」に転化するのをゆるさない程度に「不確定的」であり,同時に,観念論や不可知論のあらゆる変種と仮借なく闘争する程度に確定的である。もしわれわれの実践が確証するものが唯一の,最後の,客観的な真理であるならば,ここからして,唯物論の観点に立つ科学の道がこの真理への唯一の道である,ということの承認が結論される」(188)として,対象的真理が思考によって把握できるかどうかは実践にかかるという第二テーゼの思想を,実践の規準は,知識の絶対化にいたるほど確定的ではないが,観念論・不可知論を闘争する程度に確定的だという限度を付加して豊かにしている。
 レーニンは,認識論において実践を規準におくことが重要なのは,それが現実と幻影の区別を与えるからであるという。それは,マッハのように実践と認識論とを区別せず,実践によって認識論を条件づけなければ,不可能である。レーニンは,「認識は,それが人間に依存しない客観的な真理を反映した場合にだけ生物学的に有用であり,人間の実践,生命の保存,種の保存に有用であることができる。唯物論者にとっては,人間の実践の「効果」は,われわれの観念とわれわれが知覚する物の客観的本性との照応を証明するものである」(184)ことを対置する。マッハは,「実践は唯物論的でいいが,理論は自我の観念なしではすまされない」,「どこまでも利己主義者で唯物論者でなければならない」,と主張する。要するに,マッハは,実践において人々はすべて唯物論的認識論に導かれていることを承認しているが,理論上ではそれを回避して,主観的観念論の道を歩んでいる。マッハはカント・フィヒテの折衷主義を受け継いでいるのである。

 ここでもレーニンは,物質が第一次的で精神が第二次的なものであるという一般的規定を,主観的観念論に対置している。彼は,認識論上の物質と精神の規定については,どちらが第一次的でどちらが第二次的かという規定をあたえるしか本質上できないことを説明する。「規定」をあたえるとはどういうことか,と彼は言う。「それは,まずあたえられた概念を他の,いっそう広い概念のもとに包摂することを意味する。たとえば,ろばは動物である,と私が規定するときに,私は「ろば」という概念をいっそう広い概念のもとに包摂しているのである。そこで,認識論が使うことのできる概念で,存在と思考,物質と感覚,物理的なものと心理的なものという概念よりももっと広い概念があるだろうか,という疑問がおこる。そんなものはない。これは極度に広い,最も広い概念であって,認識論はいままで,事がらの本質上(いつでもつねに可能な術語の変更を考慮にいれなければ)すすんだことがなかった。極度に広い概念の二つの「系列」について,そのどちらかを第一次的なものとみなすか,ということの「単純なくりかえし」でないような規定を要求すること」(194)など不可能である。アヴェナリウス,マッハ,ピアスンは,中心項から対立項へ,感覚から物質へ,感官知覚から物質へ,というように,心理的なもの・自我から物理的なもの・環境へとすすんでいる。このように,彼らは,物質概念の議論で哲学上の主観的観念論路線の方向を指し示すことができただけである。ただし,「物質と意識との対立も,きわめて制限された領域の限界内だけで,すなわちいまの場合にはもっぱら,なにを第一次的なものと認め,なにを第二次的なものと認めるか,という認識論上の基本問題の限界内だけで,絶対的意義をもっているにすぎない。この限界のそとでは,上述の対立の相対性はうたがう余地がない」(196)。
 自然における因果性と必然性について,レーニンは,「フォイエルバッハは,秩序,法則,その他のものにかんする人間の観念によってただ近似的にだけ正確に反映される,自然における客観的合法則性,客観的因果性を,認めている」(207)と述べている。因果性における主観主義的路線は,外的客観的世界からではなく,意識・理性・論理,等々から自然の秩序や必然性を導きだし,人間の理性を自然から切りはなして後者を前者に対置するだけでなく,理性を自然の一小部分とみなすかわりに,自然を理性の一部分とする,したがってそれは多かれ少なかれ弱められ薄められた信仰主義である(同)。唯物論は,自然の客観的法則性と人間の脳におけるこの合法則性の近似的に正確な反映とを承認する。
レーニンはエンゲルスを引用して,原因と結果は,個々の場合に適用するときにだけ妥当するのであって,それらを世界全体との全体的連関のなかで考察する場合には,原因と結果は結びあい,普遍的な交互作用という観念に解消し,原因と結果はたえず位置をかえ,入れかわるのであり,したがって,人間の概念は,自然現象の客観的連関をいくらか単純化して,近似的に反映し,一つの統一的な世界過程の諸側面を人為的に孤立させる,という。思考や意識という人間の脳が生みだしたものは,自然の産物であるから,自然の連関と矛盾しないで照応する。しかし,それは,自然自体の矛盾を人間の思考や意識がそれに照応して矛盾として反映することと混同してはならない。「弁証法,いわゆる客観的弁証法は,自然全体を支配するものであり,またいわゆる主観的弁証法,弁証法的な思考は,自然のいたるところでその真価を現しているところの,もろもろの対立における運動の反映にすぎない。そしてそれらの対立こそは,そのあいだの不断の闘争により,また結局はそれらがおたがいに移行しあうかあるいはより高次の形態に移行することによって,まさに自然の生命を条件づけているのである」(『自然の弁証法』2 国民文庫 286頁)
 「自然のなかには原因も結果もない」と『力学』の中で述べたマッハは,関数関係をもちだす。しかし「哲学上の流派をわかつほんとうに重要な認識論上の問題は,因果的連関についてのわれわれの記述がどの程度の正確さに達したか,またこれらの記述が正確な数学的な式で表現されることができるかどうか,という点にあるのではなく,これらの連関についてのわれわれの認識の源泉は,自然の客観的法則であるのか,それとも,われわれの心の性質,つまり,一定の先天的真理,等々を認識するところの,心に内属する能力であるのか,という点にある」(213〜4)。たとえば,ユシケヴィチは,人間が自然に法則をあたえる,外見,自然,その法則はすべてわれわれの認識の記号である,所与のものの流れは合理性,秩序,合法則性を欠いている,われわれの認識がそれへ理性をもちこむ,という(225)。しかし,人間が自然に法則をあたえるのではない。「人間の理性がこのような哲学によって自然の創造者,祖先へと高められることを感じて,ユシケヴィチ氏は理性とならべて「ロゴス」を,すなわち,抽象態にある理性を,小文字の理性ではなく大文字の理性を,人間の脳の機能ではなく,あらゆる脳以前に存在するあるもの,神的なあるものを,おくのである」(同)。
 カント主義は,時間と空間は人間の意識の形式であり,主観に内属する心理的なものであると主張する。それに対してレーニンは,「唯物論は,客観的実在,すなわち運動する物質の,われわれの意識から独立した存在を認めることによって,不可避的に,時間と空間の客観的実在性を,なによりもまず,カントとは異なって,認めなければならない」ことを対置する。マッハは,『力学』で,空間と時間は,感覚の整頓された,調和された体系であると述べた。マッハによれば,物体は感覚の複合であり,したがって,「感覚をもった人間が空間と時間のなかに存在するのではなくて,空間と時間が人間のなかに存在し,人間に依存し,人間によってうみだされる」(239)ことになる。それはたわごとだとレーニンは批判する。それは相対主義の原理の上に時間と空間の認識論的理論をうちたてるからそうなるのである。レーニンは,マッハが,諸関係のなかで時間概念を考察するだけにとどまっており,マッハのいうように人間の感覚が人間に環境についての客観的に正しい観念をあたえないならば,環境に生物学的に適応することはできないだろう,と批判する。マッハは,唯物論と観念論との間で揺れ動いているのである。
 自由と必然性についてレーニンは『反デューリング論』から引用している。そこでエンゲルスは,ヘーゲルの自由とは必然性の洞察であるという命題は正しい,自由は,自然法則を認識し,それによってこれらの法則を特定の目的のために利用する可能性を得ることだと述べている。そして,「意志の自由とは,事がらについての知識をもって決定する能力」(254)であり,「ある特定の,問題点についてのある人の判断がより自由であればあるほど,この判断の内容はそれだけ大きな必然性をもって規定される」(同)という。レーニンはここで,エンゲルスが,1.自然法則,外的自然の法則,自然的必然性を認め,2.唯物論の一般的規定である物質が一次的であり意識は第二次的なものであることを認め,3.人間に認識されていない必然性の存在を認め,4.哲学における「命がけの飛躍」,すなわち理論から実践へ飛躍していることを指摘している。それに対して,マッハは,主観的観念論からすすんで,世界を意志と認める主意論的観念論に傾いていく。レーニンは,マッハが,主意論的形而上学に近く,彼の形而上学(観念論)が「現象学」(不可知論)に混入しているというルッカ,W・ヴント,ユーヴェークーハインツェの指摘をあげている。「一言でいえば,マッハの折衷主義と,観念論への彼の傾斜とは,ロシアのマッハ主義者以外の,すべての人々にとって明白なのである」(262)。




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