共産主義者同盟(火花)

小泉人気と小泉改革のゆくえ

渋谷一三
238号(2001年6月)所収


<はじめに>

 小泉人気の背景には、無駄な公共投資を撤廃することへの期待がある。また、郵貯の民営化をずっと主張していることに見て取れる一貫性に、旧来の調整型・根回し型の政治家にないものを期待している。実際、旧来の根回し型の政治は利益誘導・利益配分の権力をちらつかせることによって成立していた。従って、配分する利益があることの上に成立している。
 小泉首相はこの利益配分をやめ、民間に任せると主張している。
 これは、見方を変えればおいしい話でもある.郵貯民営化を例にとれば、都市部以外ではほぼ独占的である郵貯の市場に、銀行資本が参入できる可能性が高まるからである。この点は後にみよう。200を越す特殊法人については、これとは逆の構造だ。垂れ流し・税による穴埋めに巣くって成立している部分に「痛み」を強制する。
 筆者がここで特別に注目しているのは、利益配分の構造をある程度こわす方向を打ち出しているという点にある。利益配分の構造がなくなれば、旧来の調整型政治家の立脚する基盤がなくなる。おそらく、小泉人気の秘密もここにあろう。
 調整型政治家には理念はいらない。利益配分を権力によって決定するという決定機能のみがその存在理由なのだから。誰かが決定しなければいけない。誰もが勝者になりたいがジャンケンで決めるのは公平すぎて強者にうまみがない。まず、弱者を排して、強者間の決定戦にするために政治というものがあった。この機能のみを体現したのが調整型政治家である。汚職や賄賂はつきもので、それは氷山の一角でもあり、ボーダーラインを不幸にも越えてしまったケースにすぎない。根本は、弱小業者の参入を排することに必要な機能があるのだから。
 ところが、もし、利益配分の構造を改革することに成功すれば、こうした調整型政治家というものの存立理由はなくなる。利金配分を通じて私腹を肥やす旧来の根回し型政治家を見なくなるだけでもすっきりしようというものではないか。そして、現に根回し型・無内容・私腹肥やし・尊大の旧来型政治家でない政治家を大衆は見ている。それが小泉さんである。利益配分機能を体現するのではない彼は、尊大に振る舞うことによって決定を強要する必要もない。比較して尊大ではなく、比較して懐具合がよくはない。大衆は彼に、すでに見飽きて辟易としている根回し型政治家ではない近未来の政治家像を見でいるし、現に小泉さんはそれを体現している。
 もう一つ。調整型・根回し型政治家は、改革など絶対にできない。改革をすれば、誘導する利益、配分する利益が縮小してしまい自らの存立基盤を掘り崩してしまうからだ。改革をすることができるとすれば、調整型政治家でない政治家である。このことも大衆は感じ取っている。
 これが、小泉人気の背景だろう。
 このことは、公平な競争から除外されてきた中小業者にとっても同様で、いくら公共事業という垂れ流しをしてくれても、落札は大手で、その下請けに甘んじて利益の大半を持っていかれ、昨今の不況の中では、下請け権を守るために赤字で大手の下請けをする始末になっている。どうせこのままでは倒産するしかないのであれば、いっそ改革に賭け、公平に入札に参加し、直接落札することに期待する以外にはない。これが、同じ資本家階級の中でも小泉支持にまわる層であろう。
 かくして、地方の資本家階級(岩手県連はブームの口火を切った)も、利益誘導とは無縁の都市部大衆も小泉支持に回った。

1.「無駄」な公共事業

 従来・公共事業は富の再配分の機能の一つの手段であり、主要に都市部の富を地方に配分する機能を担っていた。田中角栄や竹下登が、過疎県選出の首相であったのは偶然ではない。
 都市部の貧困層には福祉制度の拡充という再配分の手段を生み出してきた。これは60年代、いわゆる高度成長期に西欧を見習って階級闘争の激化を防止する手段として生み出された比較的新しい手法である。
 同時に地方の資本家階級のために「日本列島改造論」が用意され、公共事業を通じて利益の再分配をする構造が生み出された。要するに、両者はセットだった。
 ところが現在・地方の公共事業は無駄ばかりで、必要のない工事をしては糊口するという全くの依存構造になってしまっている。一例をとれば、石巻市の建設業者は 718社。全就労者の12%もの6333人が、主に公共事業に依存している。石巻市の年間予算とほぼ同額の公共事業費がこの10年間注ぎ込まれてきた。
 この背景には、米作を中心とする岩手県の農業では農民が食べいけないという構造がある。1haの水田からの収入は年30〜40万円程度これでは食べていけない。こうした農民が出稼ぎにでることを余儀なくされたり、地方の公共事業で辛うじて食べてきたのである。こうした大多数の農民にとって、出稼ぎに行かなくてすみ、夫婦共稼のできる公共事業は有り難いものである。
 ところが、国家財政の危機によって、将来からの借金によるばらまき構造が続けられそうもなく、むしろ国債の残高が財政を圧迫するという悪循環に入っている。それでも、不況対策を理由に国債を発行したのが橋本派小淵内閣の選択だった。そして調整型政治にそれ以外の選択肢は有り見ない。ということはドツボであり、イコール自民党だった。
 その自民党から小泉さんが首相になったのは、必然であり、もし橋本派が首相に当選していれば自民党は終わっていた。
 加藤派は農民を切り捨て、自民先の存立基盤を都市部に移そうと決断している。その背景には農業自由化を飲んだ時点でのブルジョアジーの決断がある。資本家階級にとって農民という小ブルジョアジーの問題は副次的な問題でしかない。国際基準をクリアするためには、輸出入の自由を保持するためには農産物輸入自由化を飲むしかなかった。問題はこれによって自民党が政権政党でなくなる点にのみあった。
 この時点で自民党内に都市部に支持基盤をシフトする試みがなされる。この流れを代表するのが加藤派である。しかしこの間に、社会主義圏が崩壊し、社会主義を標榜する野党がなくなった。資本家階級が自民党を何が何でも支持する理由もまたなくなった。国際競争の水準に太刀打ちできない日本の農業の問題はお荷物でしかない。資本の世界化の問題を理解できない民族派ブルジョアジーが農業を国防の観点から守ろうとしているだけで、農業を切り捨てることを選択したブルジョアジーにとっては民族派政治家はいらない。
 こうした点で自民党の解体・民主党の解体を含んだ政界再編は必然ではある。
 この点の検討は後にして、公共事業の問題は農業問題であることに注目しておいていただきたい。

2.小泉改革の志向

 小泉さんはこの農業問題への回答を持っているわけではない。
 YKKと言われながら加藤派に同調しなかったのは、農業切り捨て=支持基盤の都市部大衆へのシフトという結論にも至っていないからである。
 「国家財政の健全化による景気回復」。これ以上の政策は全く打ち出していない。
 それもそのはずで、農業間題を避けてそれ以上の政策の打ち出しようはない。
 以下この点を見ていこう。

 従来公共事業が担ってきた富の再配分は、税制改革によって地方に権限を委譲し、無駄な公共事業・環境を破壊するだけの公共事業を廃止でき、かつ、地方への富の再分配が可能であろうと読んでいるが、道路特定財源の撤廃の方向しか打ち出せず、このままでは地方への再分配にならずに公共事業もなくされてしまうという危機感から、早くも浅野宮城県知事の陳情にあっている。
 この点では、浅野知事の路線と同じに、地方へ直接財源を譲る何らかの手段を講じる以外にはない。

 特殊法人の整理縮小には今のところ手が付けられず、総額五兆円の支出削減(補助金削減)を打ち出したに止まっている。が、7月参議院選の後に本格的に打ち出すであろう郵貯民営化政策と同時に特殊法人の整理縮小にも乗り出すであろう。
 特殊法人を整理縮小できたとして、この政策もまた、無駄な支出をやめ採算ベースにのらないものは廃止していくという「国家財政の健全化」政策の範疇内のものである。農業の切り捨てを決断しているわけでもない謂わばソフトランディングを志向するものだ。

3.農業問題

 こうして見てくると、なんと農業問題が中心問題であることが分かってくる。だが、そうとして議論の狙上に上せられたことは一度もない。
 かつて労働者階級の政党と銘打った議会政党で、農業問題に真剣に取り組んだところはなかったし、むしろ「農民=小ブルジョアジー」とそれ自体間違いではない規定をしてすませ、農民が自民党を支持していることから、むしろ敵対感情を抱いてきただけにすぎなかった。
 日共などは現在、ただ農民票もほしいというだけの理由で、農産物自由化に反対し、既得権益保護を主張しているだけのことである。農産物が国際商品化し、しいたけ・大豆に限らず近い将来に唯一の例外であった米も国際価格競争にさらされることになる。日本の農産物で国際価格競争に打ち勝てるものは何もない。資本主義を前提にする限り、日本の農産物が高い理由を分析し、ここへの対策を打っていくことがブルジョア政府の任務なのだが、全くなにも考えていない体たらくあり、旧式社会主義標榜政党のように農業切り捨てを決断した一派がいるだけのお寒い状況である。
 ところで、先進国=帝国主義本国で農業はどうなっているのかと見ると、ドイツはほぼ自給できており、なんとあのイギリスにしてすらほとんどの品目は自給できている。フランス、米国にいたってはご存知のように農産物輸出国なのである。米国の場合は農産物を戦略物資として外交の切札としても使っている。
 ここに民族主義ブルジョアジーの危機意識がうまれている基盤がある。

4.労働者階級の農業政策はどうあるべきか

  1. 遺伝子操作を禁じ、一切の遺伝子組み替え作物の輸入を禁止する。
  2. 農地の集積を促進し、生産農業共同組合を組織していく。
  3. 生産協同組合−流通共同組合−消費協同組合を一貫させ、こうした一貫した「総合」共同組合をいくらでも自然に存在させていく。

 およそ、この三点しか、今のところ提示できない。
 1.は、緑の党と同じ政策となろう。遺伝子組み替え作物の輸入禁止は農産物の適止でない安価な価格との競争から、適正な価格を維持し農民を疲弊から救い持続可能な農業を育てていこうとする国際的運動と利害が全く合致する。また、米帝の穀物戦略・農産物の軍事戦略への利用から自由を保持することにもなる。そして、安価な国際農産物価格から国内農業を守る大義名分ともなる。
 したがって、将来の政策ではなく、現在自分たちの力で戦い取れる政策である。
 2.もまた、現在萌芽的に行なわれていることを促進するにすぎない。
 所有権は別にして、農耕のできる世代が都市に流出してしまい、多くの地域で借地農業は成立する。都市の失業者の中で農業に意欲をもっている人々は多く、また閉じこもりの若者にも農業志向は強い。こうした人々を組織し、大規模借地農業を成立させる基盤自体は整っている。これを共同組合方式で運営することに成功すれば、モデルケースになる。単に組織の一員として会社組織と同じように職務を命令される農業集団化政策の失敗はソ連・中国の経験を通じて歴史的に検証済みである。それぞれ独自の協同組合を結成し、その運営に参加し、うまくいけば収入も増える。こういう点で共同組合方式には未来がありスペインのモンドラゴンの協同組合は成功の経験を示している。
 3.生産共同組合を組織するだけでは、売り先を確保している消費業にいずれ牛耳られることとなる。産直運動の歴史は20年近くなるが、不便で部分的であり、産地が消費者に甘え粗悪品でも出荷してしまう傾向をうまくコントロールできていない.すでに広汎に存在している消費協同組合がスーパーマーケットとの競争に勝つためにも、生産協同組合と消費協同組合の結合は必要である.
 生産協同組合と消費共同組合の結合ができれば、まだ設立する条件がないゆえに存在していない流通共同組合の設立の条件が生まれる.コープの商品を生産地にも届けるし、帰りに生産物を消費協同組合に搬入する。これはある程度の規模に達しないと成立しない。宅配便を利用した方が安いというような段階では、商品が割高になり、スーパーとの競争に勝てない。スーパーは自前で産地から買い付けている。そのため産地は買い叩かれる。また流通の経費が高すぎるために国際価格にまけている農産物がほとんどというのが現実であり、流通共同組合の設立にまで至らない限り、国際農産物競争に負け、国内農業は破滅的打撃を受ける以外にはない.
 以上、ある意味で言うだけの気軽さで書いた。
 しかし、これは空論でもなければいま現在不可能な理想諭を述べているだけのことでもない。現在進行している人々の試み・努力をそのまま肯定しているだけのことである。だからこそ、書くだけの気軽さで書けたのです。




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