共産主義者同盟(火花)

[学習ノート]経済学ウオッチング(6)

斉藤隆雄
235号(2001年3月)所収


4)小さな政府論・教育政策

 次に、彼の教育政策を取り上げる。彼の教育政策は素朴な私立学校教育運動であって、公的な義務教育制度に対する痛烈な批判である。
 日本に於いても、かつて校内暴力が問題となり、現在では学級崩壊や登校拒否や引きこもりが話題となっている。そしてその度に、親たちが中心となって、自分たちの身の丈にあった学校を作ろうという運動が起こってきた。それに対して、これまで政府は断固認めないという態度を崩さなかったが、最近一部に認可を認める動きがあるように聞く。また、首都圏を中心に大都市では、私立学校への進級が中産階級の子弟に多く見られるようになった。
 これらの傾向については、これまであまり多くの分析をしてこなかったが、80年代以降に顕著になったこのような傾向は、一つには新自由主義の規制緩和政策の延長に生まれてきたものと、もう一つには自由教育運動の帰結として発想されてきたものとがあったことは確かである。それらの傾向について、ここではフリードマンが提起する彼の自由主義教育論がどの辺りに位置付くのかを明らかにし、その上で現在の日本の教育制度に現れた問題に対する私の提起をも示したい。
 まず、フリードマンが提起しているアメリカの教育の現状から見てみよう。

「…この数年来、アメリカの学校教育制度がたどった記録には、汚点がつけられるようになってきた。親たちは児童が受けている学校教育の質が低下してきたと不平をいっている。多くの親は自分の子弟が、肉体的な危険にさらされていることが悩みの種にさえなってきた。教師は学校における雰囲気が、学習を促進するのをしばしばさまたげるようになってきたと不平をいっている。次第により多くの教師が、教室に於いてさえ自分の肉体的な安全に恐怖を抱くようになってきている。…アメリカの学校が児童に対して、彼らが人生の諸問題に直面していくのに必要な知識や能力を与えていると主張するものは、いまやほとんどいなくなった。アメリカの学校は同和と協和とを養う代わりに、本来それを防止するのが初期の目的であったあの社会分裂をむしろ発生させる源泉とさえ、いまやなってきている。」p240

 彼によれば、田舎のちいさな学校や山の手の学校はそうでもないが、都市の人口密集地帯の学校はひどい状況であると指摘している。これは、日本の状況と大きく違わないのではないか、と思われる。つい先頃、アメリカで起こったハイスクールでの銃の乱射事件が思い出されるが、日本に於いても新興住宅地での児童虐殺事件などは、現象的には似通った風景とも見える。これらの現状については、彼は「過剰統治社会の病理」と名付けている。それはどういうことかと言うと、形態的には、親が自分の子弟の受けている学校教育について影響を与えることができない構造になっている制度のことを言っているのである。
 「学校教育に対する権力は、親に代わって職業的教育者の手へと吸収されていった。…中央集権化と官僚化が増大することによって、一層悪化させられてきた。」p241-242
 確かに、学校教育制度は帝国主義時代に国民国家形成のための重要な柱として、国民皆兵制度とともに成立した大きな政策の一つであった。フリードマンの言うところの過剰統治社会が、この帝国主義時代のそれと同じものであるなら、評価に値するかもしれない。だが、ここで言う過剰統治というのは、ケインズ的な肥大した福祉制度を指している。つまり、現象的には同じような様相を示し始めた日米の教育状況が、彼の言う統治構造にあるのか否かが問題となってくる。
 もう少し、彼の言説に付き合ってみよう。

「学校教育問題は社会福祉制度問題と同様に、権威主義的な哲学や社会主義哲学にみられるあの共通の要素によって影響を受けてきた。貴族主義的で権威主義的なプロシャや王政フランスが、教育に対する国の管理を開拓した先駆者だった。アメリカ、イギリス、のちの共和国フランスにおいては社会主義的哲学を信奉したインテリたちこそが、自国の教育に対する国の管理を支持した主要グループだった。」p245

 彼はこの言葉のすぐ後に、アメリカの公立学校制度は社会主義的なものではないと念を押している。つまり、彼に言わせれば今日の学校教育制度は「生産者が御者であって消費者は何もほとんど注文できない乗客でしかない」という所に問題があるとする。そして、それらは先に引用した権威主義的な制度発祥に根底的な起源があると言うことになるのである。つまり、我々が公立学校制度の発祥を帝国主義的な国民国家成立の政策として見ていることと非常に近しい分析であることは確かとなる。
 ここで、アメリカ合衆国が19世紀後半の南北戦争以降、急速に資本主義的な発展と帝国主義的な政策を展開していく歴史とホーレス・マン(アメリカ教育制度設立の立て役者)たちの教育制度の形成過程が同時代的出来事であることも実証的に述べなくてはならないだろうが、ここでは、そのことが眼目ではない。むしろ、フリードマンが資本主義の帝国主義的な発展を決定的に見落としているにもかかわらず、直感的に指摘している過剰統治社会というのが実はこのことを示しているのだと理解しておくことである。そして、彼の提起する批判が先帝国主義時代の資本主義的な世界観からする批判であるという点に於いても押さえておく必要がある。その上で、彼の実践的な政策提起を見ていこう。
 「学校教育に対して親がより大きい影響力を及ぼしていたときには、今日のような状態にはなかった。また、現在でも親が影響力を維持しているところでは、そのような状況は発生していない。」p252
 「人々自身による自発的な活動というアメリカの強い伝統は、学校教育において親がより大きな選択の自由を持ってさえいれば、どんな偉大なことを達成できるか…」同
 親の教育への影響力を主眼に置いた制度を構築することを、現在の制度のぎりぎりの枠内で構想することで彼が考えた制度が、次のようになった。
 「親がより大きな選択の自由を持てるように保証することができ、それと同時に現行の学校教育財政支出のための財源を維持することができる一つの簡単で有効な方法は、授業料クーポン制度だ。」255
 彼の政策提起はイリッチの「脱学校」よりは穏健である。彼の提案は、公立学校から私立学校への児童の移動を経済的に支援するというものである。公立学校へ通っている児童が受けている1人当たりの財政支出を、私立学校へ移動したいと希望した児童に給付するということであるから、細かい技術的な問題はさておいても、財政的な新たな負担はないということになる。
 しかし、この制度は少し考えれば限界があるということが分かる。彼は、公立学校と私立学校とを競争させるために、公立学校にも財政からの運営ではなく、授業料を徴収するべきだと提起している。そして、最後に彼の教育政策の根本を遠慮がちに提案する。
 「…この授業料クーポン制度は、部分的な解決案でしかないと考えている。その理由は、この制度は学校教育に対する財政問題それ自体や義務教育法それ自体に対してどんな影響も与えていないからだ。」257
 つまり、結論的に言えば彼の提案は、義務教育を廃止することである。その根拠を彼はふたつ挙げている。一つは、資本主義が高度に発展した先進国に於いては、所得の分配が平等になっていくことで、親が直接学校教育に参加できる道を模索すべきだとする点。そして更にもう一つは学校教育制度が目的としていた読み書きの能力は、学校が無かった過去においても達成されていたとする最近の歴史分析を例示し、全社会の一割ほどの貧困層に対しては公共の支援が必要となるだろうが、全体的には義務教育は廃止すべきだというのである。
 ここで初めて彼の提案の根本的な内容が明らかになるが、これは1970年にイリッチが批判した学校文化批判よりは現実的だと思われる。イリッチもフリードマンのクーポン制度の事に言及し、しかしそれが社会そのものが産み出す不平等を解決するものではないと言ったが、そのような批判に対しフリードマンはかなりの紙幅を割いて反論している。その中で、私は彼が「新しいタイプの学校」がこの制度の下で生まれてるだろうと予想していることである。これらの学校は非営利組織で運営されるだろうとも書いている。これについては、これがどのようなものになるかということが確定されなければ、手放しでは評価できないが、教育機関の新しい性格を暗示するものではある。
 全体的に見て、彼の教育改革提案は非常に現実的である。しかし、これらの提起を社会主義革命を目指す人々はどのように評価するであろうかと問うてみると、私を含めてこれまで、歯牙にもかけなかったのではないか、と思われる。なぜなら、資本主義の下ではこれらの提起は金持ち・資本家階級の利益にはなりはしても、労働者階級とその子弟にとっては何の利益もないから、ということになる。
 だが、現在日本の金持ちたちやその子弟が私学を希望するなら、比較的簡単に進学できる環境があるはずである(小学校を除いて)。むしろ、フリードマンが提起する制度は中産階級や労働者上層部に利益があると言わなければならない。だとすると、現行制度は労働者階級の利益になっているのか、という現状認識に問題が収斂される。そして、フリースクール運動や教育運動体が目指す学校が現状の課題の多い公立学校に依拠せずに動き出していることと併せて考えてみると、彼が提起する政策は彼が意図していると思われている内容とは無関係に評価すべきであると言うことにならないか。
 何故このように、ねじれた言い方での評価になるのかというと、元々フリードマンの思想をブルジョア思想として排撃し、その政策を反動と規定したことから始まっているのである。彼を含めて1970年代に登場した反ケインズ派の経済思想については、概ね日本の「良心派インテリゲンチャ」たちは反動思想として規定してきたからである。その代表的な例を引いておこう。日本でのケインズ派経済学者である宇沢弘文は反ケインズ経済学の思想を次のように規定している。
 「こうような社会的共通資本の存在を否定して、きわめて限定された意味での資本主義経済制度を分析対象としていたため、その政策的、制度的帰結が非現実的でかつ反社会的なものとなってしまった…」(「経済学の考え方」p253)
 つまり、社会資本を否定する元祖アダムスミス派として、もはや彼らは反社会的思想ということになるのである。ここに、経済を人々の手に取り戻すという発想が欠落していることを理解するのは容易であろう。ケインズ派対新古典派という論争については機会を改めなければならないが、ここでは、資本主義が80年代以降の危機的状況からその打開の道を先祖帰りとしての自由放任政策へ回帰することを、一つの選択として示し始めたということに着目すべきである。彼らの危機感はより多くの人々を資本主義経済へ取り込み、拡大していくことによって、従来の帝国主義国家政策ではもはや統制できない現状を認識し始めたからである。
 であるなら、我々が彼らの政策提起を労働者の側へ転化する運動として問題を立ててみることはあながち空想的とは言えないかも知れないのである。
 今回分析した、彼らの教育政策を学校の民営化とともに、非営利組織への転換と自立した地域協同組合組織として再組織することが、とりわけ都市労働者階級の要求と合致することは火を見るよりも明らかである。
 これは、社会運動という観点からも、文化運動という観点からも決定的に重要である。なぜなら、義務教育を希望している階級が金持ちなのか、労働者なのか、それとも官僚なのかを明らかにしてくれるからである。今の不毛の教育論争を根本的に変革するためにもこの提起は今すぐにも人々に伝える必要があるだろう。




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