共産主義者同盟(火花)

[学習ノート]経済学ウオッチング(5)

斉藤隆雄
234号(2001年2月)所収


 前回、新古典派の大まかな系譜を書いた。今回は少し詳しくその内容に立ち入ることにしよう。80年代を席巻した新古典派経済学の中でも、その象徴的存在であるフリードマンを、再度読み込むことにする。彼については、前回の最後に触れたように、経済政策という俎上にはのってこないが、彼が展開している論議は現在日本のマスコミ評論家や政治家たちがしている政治経済論議の内容の原型がすべて揃っている。言い替えれば、現在の日本の政治経済論議はまったく、フリードマンに代表される新古典派の引き写しだということである。
 そういう意味で、一度はつきあっていただきたいし、その価値は十分あるだろう。

第四章 新古典派経済学とは何か

(2)フリードマン「選択の自由―自立社会への挑戦」

 五百ページ近い大著であるが、経済学に関しては僅か二章だけがそれに当てられている。三章の1929年大恐慌の分析と九章のインフレに関するものである。それ以外の章は、概ね政治論もしくは行政論である。最初の二章は市場の役割と計画経済の批判。四から六章は福祉国家論、平等概念の章、教育制度の章、消費者運動の章、労働組合に関する章である。最後の十章は彼の政策提言が展開されている。
 このような構成になっているのには、当然訳がある。彼の言葉を聞いてみよう。

「この書『選択の自由』は、政治組織と経済組織とをあたかも類似したもののように対称的に取り扱っている。すなわち本書は、これらのどちらの組織も『市場』とみなし、これらのどちらの場合においても、どんな結果が産み出されることになるかは、『自己愛』(ただし広く解釈された意味での自己愛)に参加する人々が、そうした方が有利だと気づいて宣言するいろいろな『社会的目的』によって決定されるものではないと、本書は主張するものだ。」(はしがき)

 つまり、政治的な決定や制度も市場原理を通してなされるという意味である。これを彼は「政治に対する経済学的分析」と呼んで「数年来発達してきた…新鮮な接近法」と自画自賛しているが、実はこの発想は彼自身気がついていないが、政治を上部構造と見る公式的唯物史観の捉え方と相似形なのである。経済構造から政治を見るという分析が彼にとって新鮮であったのは、英米系思想家の大陸系思想への反感が災いして、そのような視点に不案内であると見るべきかも知れないが、後に見るように彼の独特の社会主義観から来ているのかも知れない。これは、彼の共産主義・社会主義批判の稚拙さにも関連しているが、ともかく彼の言う「接近法」から現代資本主義経済がどのように見えるのか、覗いてみよう。

1)貨幣について

 まず最初に彼の貨幣論から見ていきたい。彼の貨幣論はまず現存の貨幣の役割から論じて、それが法貨として流通しているのは「政府がそれを受け取る」からだ、としている。そして、「では民間の人々が、財貨やサービスの交換を行う個人的な取り引きにおいて、この紙切れ(貨幣)を受け取るのはなぜだろうか。」と自問する。彼には常に民間と国家という図式が付きまとっているので、このような不可思議な問いとなる。そして、その答えは、

「それぞれの人は、他の人も同じことをするだろう確信しているので、それらの紙切れを受け取るということだ。」p394

ということになる。そして、それは、「見方によれば虚構でしかないことを人々が相互に受け入れているという慣習でしかない」となる。彼の貨幣論はこれだけである。彼の思想が、このような貧弱な分析を是としているのは、実は貨幣数量を重んじているようで、ほとんどそれを道具としてしか見ておらず、無くても社会は成立すると考えている節がある(そして、それは正しいのではあるが…)。

「このように貨幣の価値は虚構に依存しているが、貨幣自体は並はずれて有益な経済的機能を果たしている。しかし、貨幣はそれと同時に『ベール』でしかない。一国の富の大きさを決定する『本当』の力は、その国の市民たちの能力の大きさであり、それらの人々の勤勉さや賢明さである。またそれらの人々が支配している資源であり、経済的・政治的組織のあり方等々である。」p395

 貨幣は何か実体を指し示す指標のようなものとして理解されている。確かに富の大きさは貨幣の示す量的なものとは異なっている。しかし、資本主義社会においては貨幣の指し示す交換価値こそが富の現象形態であり、それを巡る攻防こそが一国の命運を決定付けてきたはずであるが、彼の貨幣論においては、貨幣で表された力は、真の実体とは異なるものとなる。ここに彼の古典派としての痕跡が、アダム・スミスの労働価値説の片鱗が見え隠れするのである。
 更に彼の貨幣論は、貨幣商品についての言及に至って、その貧弱さが暴露される。貨幣がかつて様々な商品の姿をしていたことは、歴史的事実である。塩や絹や貝殻であったこともある。そして、現代に至って紙切れに落ち着いた訳なのだが、彼の論証はその貨幣商品も紙幣も同じ貨幣として分析しているところにそのお粗末さが現れる。彼は15世紀初頭のアメリカにおいてタバコが貨幣であった時代を詳しく論じている。

「たばこは、アメリカ独立戦争の後でも相当の期間、すなわち全体としてほとんど二世紀にわたって、バージニア州やその他近隣の植民地の基本的な貨幣であり続けた。」

と。そして、「貨幣に起こることと同様なことが、たばこにも起こった」と続ける。つまり、タバコを栽培しすぎてインフレが発生したというのである(この言説自体が逆であることは察しのいい読者ならお分かりであろう)。そして、最後に

「今日では、人々によって一般的に受け入れられている交換手段は、どんな財貨とも関係がない。すべての主要国では、貨幣の供給量は政府によって決定されている。」p400

となる。ここには貨幣商品から紙切れになる過程の論証はない。更に言うなら、貨幣商品が諸商品の中で何故成立するのかも分からない。ただ便利なものとしてしか規定されていない。交換が成立するためには価値基準として等価である必要があるが、その等価性すら論証がない。彼が本書の様々な箇所で、インフレーションの被害を取り上げ、その原因が政府の通貨管理の杜撰さにあるということを事細かに論証しているが、この論証の基礎となる貨幣の規定となると、驚くほど貧弱であるのは何故だろうか。彼の説によれば、貨幣は国家の管理下にあって財の産出量の伸びと同じ率で貨幣供給量をのばせば、物価は安定するという所にある。であるなら、タバコの国家栽培でもよいのだろうか。
 彼の論証のごまかしは、貨幣商品から管理通貨になっていった過程の論証がないだけではなく、タバコが元々アメリカ植民地時代に英国(本国)への輸出産物として栽培されていたことを言わないことである。すなわち、ポンドとの交換物として最も一般的に流通していた商品であったからこそ、貨幣として存在し得た訳である。全体としてほとんど二世紀の間、アメリカは英国経済に従属していたからこそ、それが存続できたのであって、南北戦争以降のある時期を契機にアメリカ経済の自立化がなされると同時に、タバコ貨幣は消滅せざるを得なかった。彼が言うように、インフレによるタバコ貨幣の消滅は歴史分析としても不十分であろう。
 また、タバコ貨幣はそれ自体が有用物(有害物とも言うが、ここではその点についてはご容赦ねがいたい)として、何人かの手元において消費されるが、紙切れとしての貨幣は、紙切れとしては誰も消費しないことも明らかである(それは彼も言及しているが…)。タバコは虚構ではないが、管理通貨は虚構と言いうる。しかし、その違いについては、彼は口を堅くつぐんでいる。「どんな財貨とも関係のない」貨幣が何故、財貨と関係のあった貨幣とすり替わったのかさえ説明がない。
 一般に、古典派の経済学が貨幣についてこのように貧弱な分析しかできないのは、「虚構」「ベール」と呼ぶことで何か説明したような気分になっているところである。近代経済学の教科書と言われる書物を紐解いても、貨幣論はこのフリードマンのものと似たり寄ったりであって、読者に失望を与えるだけであるが、それはこの「虚構」と写っているものが個別労働過程の産物としての富という形でしか捉えられず、その社会性を見ることができないのである。故に富から貨幣への移行が手品としてしか彼の脳裏には写らないということである。
 彼が貨幣商品に執拗に拘ったのは、インフレを説明するためだけではなく、タバコのようなものが貨幣になるのだから、紙切れも貨幣になってもおかしくないというすり替え議論か、タバコは栽培されるが貨幣は栽培されないので、管理しやすい(インフレになりにくい)というような俗受けした議論を暗黙の前提としているのである。

2)29年恐慌の分析

 1929年のアメリカから始まった大恐慌は、世界史的な事件であり、アメリカ経済史にとっても最大の事件であったことは疑いない。しかし、フリードマンがこの恐慌の分析に一つの章を割いたのは、単に経済事件であったからではなく、大恐慌がアメリカ社会に及ぼした影響を取り上げたかったからである。

「すなわち大恐慌は、資本主義は本質的に不安定な体制であり、このままではいっそう深刻な経済危機に苦しめられることさえあるのだと、公衆に信じ込ませる働きをした。」p115

からなのだ。自由経済体制の賛美者としてはこの恐慌に言及しなければ、真にその信頼を得ることができないと考えたのは当然だろう。

 歴史的には、この大恐慌によってルーズベルトのニューディール政策が提起され、その後、ケインズによって経済理論的な裏付けがなされ、戦後の資本主義体制が有効需要政策と管理通貨制度の下で危機を乗り越えてきたという理解が一般的であろう。その際、国家が経済全体に果たす役割を肥大させてきたことも一般的な理解としていいだろう。

 そこで、フリードマンがこの大恐慌を分析する際に用いた手法は金融恐慌先行説である。既に29年段階で設立されていた連邦準備銀行制度(14年操業)が、金融恐慌に対し誤った政策を採用したことで、大経済恐慌を招いたという分析である。

「金融恐慌は経済恐慌の原因でもあり、その結果でもあった。金融恐慌はかなりの程度まで連邦準備制度がとった政策によって引き起こされた。そして疑いもなく金融恐慌は、それがなかった場合よりはるかに経済恐慌を悪化させた。」p137

 筆者はこの29年恐慌の詳しい分析を準備するだけの時間を持っていないので、彼が展開している歴史的事実がどの程度の信頼性を持っているのか分からないが、要するに彼が言いたいのは、連邦準備制度が市場に十分な貨幣を供給しなかったことが、それまで繰り返し起こっていた小さな金融恐慌で終わるはずのものが世界史的な大経済恐慌に発展させてしまったのだということである。
 彼の言うようなケースはぜったい起こり得ない、とは必ずしも言えないが、歴史的事実を分析する時に用いる重要な要素である、そうならなかった要因の分析が必要である。ところが彼に言わせればこの29年金融恐慌の際に取られた準備制度の政策は、連邦派とニューヨーク連銀との権力争いが原因であるとしている。

「1920年代の残りの期間、準備制度は疑いもなく順調に機能した。…1920年代のこのような成功の大半は、ニューヨークの銀行家であり、ニューヨーク連邦準備銀行の最初の総裁となり、1928年の早すぎる死までその席にあったベンジャミン・ストロングのおかげであった。…ストロングの死は、準備制内の権力闘争に火をつけ、やがてそれは想像を絶する深刻な結末をもたらすことになった。」p126−127

 この論証は、彼が最初に持ち上げた政治の経済的背景分析となっているか、問うてみたいところである。これは明らかに誤魔化しであり、論点の誘導である。歴史分析の一場面の叙述としては結構なエピソードではあるものの、これを大恐慌の究極の遠因とするのは、今流行の自由主義歴史観を連想させるものがある。ある一個人の歴史的役割は確かに重要であるが、その個人の為したことを成立させている歴史的背景を語らずに、彼の全論調の基本である国家の肥大化の歴史的分析として記述するのは、針小棒大・我田引水という諺がぴったりと言うしかない。(この手法は政府規制問題にも現れる)
 要するに、彼の言いたいことは大恐慌の歴史分析ではなくて、貨幣数量説の当てはめである。そして、この大恐慌の結果、有効需要政策が主流になったことへの批判であった。

「…大恐慌のよる経済的崩壊の結果、…経済学者のほとんどは百八十度転換し、『通貨は重要でない』と考えるようになった。二十世紀が生んだ偉大な経済学者の1人であるジョン・メイナード・ケインズは、これに代わる新しい理論を提供した。ケインズ革命は、経済学者の心をとらえただけでなく、政府介入の拡大を正当化する魅力ある理論およびその具体的な処方箋を提供することになった。」p116

 彼のケインズ政策への批判は正面切ったものではない。それは、ケインズが「通貨が重要ではない」などとは考えもしなかったことからも明らかである。ケインズの通貨論については別稿を要するだろうが、少なくとも通貨管理が始まる20世紀初頭の資本主義経済と大戦間の国際通貨問題は最重要課題であったはずで、それが金本位制からの離脱へと向かう通貨管理政策の萌芽であったことは経済学上の常識である。彼がこのことに言及しないのはケインズ政策を国家機能の肥大の根元となったという印象を読者に与えるためでしかない。
 私はケインズを擁護するつもりは毛頭ないが、彼のケインズ政策批判は貨幣供給量の問題に矮小化しているとしか見えないことも事実である。1929年恐慌の信用肥大化・バブル現象を貨幣供給の増大で解決したはずだなどという論議は、利子生み資本の運動を全く理解しない産業資本主義時代の論議である。金融機関への取り付け騒ぎを潤沢な貨幣供給で人々を安心させるという手法は現代でも用いられているが、それは資本主義経済の信用創造の収縮を招き、過剰な資本の淘汰を招かざるを得ないことは、我々が90年代に目の当たりにしてきたことである。30年代の恐慌が10年の長きに渉りアメリカ経済をゼロ成長に陥らせた根元を、彼の言う「虚構の」「慣習となった」通貨にのみ原因を求めるのはあまりにも説得力に欠けると言わざるを得ない。

3)小さな政府論―福祉政策批判

 実のところ、フリードマンの真骨頂はこの政府論にある。彼の経済学のお粗末さに比べて、政府論はきわめてスリリングなアジテーションとなっている。我々がもし彼から学ぶべき所があるとしたら、この政府・行政論であろう。正直なところ、この部分は一章を割きたいくらいであるが、今回はそのいくつかを紹介するに留めておく。(*注1) 彼の政府論はもちろん「小さな政府」である。

「アメリカはまだ中央集権的計画経済を採用するようにはなっていないが、過去50年間で、経済における政府の役割を極度に拡大させすぎるようになってきてしまった。政府による介入は、これを経済的な側面からみれば、膨大な費用を不可避としてきた。アメリカ人たちの経済的な自由に対して、このようにして加えられてきたいろいろな制限は、いまや…経済的な発展に終わりを告げさせる危険性さえもたらすようになってきた。…すなわち政府による介入の拡大は、われわれの人間としての自由を、いまや大幅に制限するようになった…」p105

 故に、彼は政府の介入を最小限に縮小せよということを、様々な領域から論じている。しかし、彼の議論は単なる感情論ではもちろんない。むしろ、介入を正当化する政府の政策理念やそれを後押しする「インテリたち」や「道徳家たち」の方が感情を基準にしていると批判する。彼の政府批判は、29年恐慌を境にして事態の改善のために取られた国家の様々な政策が、事態を一層悪化させたということの証明にある。
 論議される領域は多岐に渉るが、ここでは社会福祉政策と教育政策について紹介してみよう。社会福祉政策についてはこれまでもマスコミを賑わしてきている議論ではあるので周知なことだが、彼の舌鋒を垣間見るのに最適である。

「社会保障制度は1930年代に制定され、人々を誤解させがちな名称の下に推進されてきたし、また人をあざむく広告がその発足の当初からなされてきた。実際、もしも民間の企業がこのような誤った名称を商品につけたり、これほど偽りに満ちた広告をしたとすれば、連邦公正取引委員会によって厳しい叱責を受けることになることは疑いない。」p164

 保険料が信託基金へ出資されるという広告文は、まるで自分の払った保険料が自分の為の給付として蓄えられているように錯覚するというのである。しかし、今では事実はそうではないことを多くの人が知っている。健康保険にしろ、年金にしろ、若い健康な世代が退職した世代や病人たちの給付を購っているのである。これは経済的に見ればどうなるのか。

「社会保障制度はむしろ、特定租税と特定移転支払いプログラムとを結びつけたものだと理解すべきだ。」166

 そう理解すると、租税制度としては「低所得者になればなるほど高率で賦課される逆進税率制度」であり、給付は一律で所得の状況によって決定されないので、「貧困者を助ける為の有効な道ともなっていない」のである。もちろん、「制度の給付率が、低い賃金の人々に有利になるようにしてあるのは事実だ」が、ネットで見たとき、「貧困な家庭の子弟は、相対的に早い年齢から働き始め、…平均的にいって、…高所得の人々よりも短い人生しか送れない」。すなわち、「貧困な人々の方が長期間にわたって社会保障税を支払いながら、富裕な人々よりも短い年限にわたってしか、その給付を受けることができないという」ことなのである。
 更に彼はこの制度が産み出す精神的退廃についても指摘している。

「社会福祉政策を提案し善意に満ちた社会改善運動家」「社会福祉の行政を担当することを一生の仕事とすることを夢見ている官僚」「社会福祉のために財政資金を引き出すことができると信じている人々」「を腐敗させてしまう可能性をもっている。これに属するプログラムは、例外なしに誰か特定の人々を、他の人々に何がよいかを決定できる立場へと置いていくようになる。…一つのグループは、ほとんど神にも近い権力を手に入れたという考えを体質にしみ込ませていくことであり、もつひとつのグループに対しては、幼児にも似た依存心を心に強く抱かせてしまう。」p189

 20年前のこの指摘は、今の日本の状況に確かにぴったりしている。社会保険制度が破綻し始め、年金制度が早晩破綻すると言われている現在、この指摘をどう捉えるべきだろうか。90年代中期から日本政府は赤字国債を発行して、財政政策を繕ってきたが、従来言われていた所得移転としての福祉政策は巨大な官僚組織によって収奪され、更に中産階級の為の政策となっており、労働者階級を退廃に追いやるのなら、我々はこれにをはっきりと拒否しなければならないだろう。この課題は、彼が指摘する実体と異なるのか否か、今判断する材料を提供できないのが残念である。しかし、少なくと新自由主義からの挑戦として受け取る必要がある。
 更に、彼はこの状況からの脱出の方法を二つ提起している。一つは「負の所得税制度」である。もうひとつは、現行の福祉制度の解体である。負の所得税というのは、現行の課税最低限度額以下の所得に対して、政府から不足分を支給するという考えである。すべての福祉制度をこの制度に取って替え、疾病も退職後の生活もこれによって賄うという制度である。

「この制度は、受益者にとってもっとも有益な形、すなわち現金で援助を提供する。この制度は、その方法もきわめて一般的だ。この制度は、受益者が老人であるか、廃疾者であるか、病人である、特定の地域の住民であるか、あるいはその他の現行の福祉プログラムの受益者となるために必要な数多くの特定の資格をもっているか等々といっさい無関係に適用される。」p194−195

 彼のこの提案は、現行の源泉徴収に含まれる社会保険料の廃止をセットにして提案されている。実に明快な方法である。そして、彼の提案が金持ち優遇であると言われる所以もよく理解できる。
 現在、日本政府が次期国会へ上程しようとし、また既にアメリカでは実施に移されている「401k」という年金制度は、この新自由主義政策の一環である。自己責任の下で年金基金を運用しなさい、という制度だが、彼の社会保険の考えもこれと同じである。日本では社会保険は主に病院の費用に支払われるが、この費用も自己責任で民間の保険に入りなさいということになる。さすれば、貯蓄も増えるし、投資資金も産業界に循環するという(アメリカの貯蓄率の低さは有名)。
 ここまで来て、初めて彼の提案が労働者階級にとってきわめて厳しい政策提案をしていることが分かるが、この提案全体がブルジョアジーの利害を代表していると捉えるべきではない。なぜなら、彼は別の所で医療部門での特権的地位を痛烈に批判しているからである(労働組合とセットで批判している所が愉快であるが…)。問題は彼の批判し提案する課題が資本主義経済の内部で解決しようがないということにまだ気づいていないだけなのである。
 先進資本主義諸国の国内福祉政策を実現し、実施してきたイデオロギーは彼によれば社会主義思想なのである。そして、その起源は大陸系の合理主義であり、すべての人間行動を科学的に把握できるとする、科学管理万能主義であるからこそ、計画経済を考案し、福祉施策を立案できるというのである。

「今日では大半の社会で普通のこととなった社会福祉政策が、かなり大きな規模で導入された最初の近代国家は、あの『鉄血宰相』オットー・フォン・ビスマルクの指導のもとに、新しく建国されたドイツ帝国であった。…ビスマルクのこの政策は、新しく出現しかけていた社会民主党の政治的魅力を大きく取り除くのに役立った。
第一次大戦前のドイツという、本質的に専制主義的で貴族的な国家、すなわち今日のはやりの言葉でいえば、右翼による独裁主義が、一般に社会主義とか左翼とかと結びつけられて考えられる社会福祉政策を導入するように導いたことは、逆説的に見えるかも知れない。しかし、そこに逆説はない。たとえビスマルクが持っていた政治的動機を除外して考えてもそうだ。貴族主義に対する信奉者と、社会主義に対する信奉者とは、どちらも中央主権的支配を信奉している。そのどちらもが命令による支配を信じ、人々の間の自発的協同を信用していない。貴族主義と社会主義とが異なるのは、誰が支配すべきかに関してであって、いいかえれば、支配を担当すべきエリートが生まれた家柄によって決定されるか、それともその能力に応じて選び出されたと称される専門家であるかどうかによって決定されるか、その違いでしかない。これらのどちらもが、自分で宣言しているように、『一般利益』が何であるかを知っていると信じており、普通の人々よりも、これをはるかによく達成することができると確信していることは間違いない。だからこそ、そのどちらもが温情主義的な哲学を唱道するのだ。しかも実際に権力を握ると、これらのグループのどちらもが、『一般利益』の名のもとに、実は自分自身の階級の利益の促進をおこなうことになってしまう。」p155−156

 かなり長い引用になって申し訳ないが、フリードマンの社会主義観がどの辺りにあるかを理解していただけたと思う(別の所で彼は、フランスの百科全書派を批判している)。
 そして、社会福祉プログラムが若い世代から年老いた世代への所得移転であり、「このような所得移転は歴史を通じて発生してきた。すなわち、若い世代が年老いた自分の両親や親類を扶養してきたものだ。…初期に行われていた方法は人々の自発的意思にもとづくものであり、親身に行われていた」という。今では、見も知らない他人の親を強制的に扶養させられているのだと言い切る。
 つまり、彼の協同性とは非常に狭い範囲の個人的な領域を指しているのである。おそらく貨幣関係の介在しない家族や一族の範囲だと思われる。そして、そこから外の領域は貨幣と市場が決定する領域であって、人々の温情や驕りを廃すべきであるとするのである。
 また、別の所ではニューヨークのスラムで行われている自助的な住宅プログラムを評価している。そのプログラムはその地域の人々が自ら建設する住宅建設であって、当事者に言わせれば、自分の建物を汗を流してこしらえ、自分で建物を所有するようになると、これを作った人々が自分の家に誇りを持つようになり、その後も建物を維持するのに努力するようになる、という言葉を引用している。ただ、与えられただけの「公共住宅プロジェクトに現れる無関心やうんざりした気持ちとは対照的で、我々の心を暖めてくれた」、と記している。
 このように彼の協同性についての発想は、どの場合も貨幣が介在しない。むしろ、労働や援助活動が語られている。この書の表題である「自立社会」とはこのようなイメージが基調であると考えると、我々共産主義者が提起する共同社会と何が異なるのかをはっきりさせる必要が生まれる。
 彼の政府論の「小さな」という意味は、むしろ「無」と言い替えた方がいいのかも知れない。にもかかわらず、小さな政府が必要なのは既に述べたように貨幣管理だけなのである。ならば、貨幣がなくなれば、政府すらいらなくなるだろう。
 しかし、だからこそ彼が我々と分岐するのはこの貨幣の役割を巡る視点となる。市場に代わる役割を果たすものが、他のものではあり得ないという確信のもとにすべての論議が組み立てられている限り、彼との接点はないのだが、我々が今計画経済の敗北を総括する限り、この「自立社会」論はケインズ的意識性から発展したものと捉え、今資本主義が突き当たっている社会性の拡大した殻の、一つの逆説的なイデオロギーと捉える必要があるのではないだろうか。




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