共産主義者同盟(火花)

現代唯物論発展のために

流 広志
231号(2000年11月)所収


 1980年代後期のバブル時代の日本では経済的なお祭り騒ぎの上に思想的な徒花が咲き乱れた。そのトーンを支配したのは自由主義思想である。それは左右の政治的立場を越えてあらゆる思考に浸透し,当時の流行思想であったポスト・モダニズムをも横断し貫いている。たとえば,抑圧からの解放という自由主義の主題は,イデオロギー論から言説論へと移動しつつ,ポスト・マルクス主義の描く解放空間を求めるユートピアの復権という主張にまでその痕跡を止めているのである。
 バブルの饗宴の中で観念論が栄えた。多くの人々は,信用関係が極度に膨張していたので,経済的などんな空想や願望も実現し頭の中の観念や想念が必ず現実になると信じた。想うことは現実的であると信じたのである。土地が値上がりすると頭の中で願えばそうなり,仕事が欲しいと願えばそうなる。世の中はまるで観念,想念のとおりに動くかのようだった。しかしそれは資本主義経済につきものの長期の停滞と不況の後にようやく訪れる景気循環の短い好況局面にあったことの反映にすぎない。この時代に超能力や心霊が流行ったが,そこでも念ずれば叶うという観念論テーゼがくり返された。しかしバブルの宴が終わると,透視や霊視はトリックであり,スプーン曲げは筋力と技術とトリックの組み合わせであり,心霊写真はどうやら現像上の問題らしいことが暴露されてきたのである。
 バブル崩壊後の長期不況に入ると,それらの花形思想は勢いを失い,民族主義・国家主義が時代の花形思想におどりでた。例えば,司馬遼太郎が死去するや,氏の近代日本論や日本人論は司馬史観へと構成され,作品は愛国的民族主義的文学として扱われ,「憂国の志」としての司馬遼太郎像が描かれた。しかし人気の代表作『竜馬がゆく』で竜馬は商船隊を率いて世界を相手に商売する夢を語らせているように日本という民族や国家の枠組みに囚われない自由人として描かれている。しかしそうした自由主義的な夢は帝国主義ブルジョアジーの願望と必ずしも異なるものとはいえない。帝国主義ブルジョアジーは世界で自由に商売するために経済活動をしているうちに必然的に入る競争関係の結果として戦争関係や植民地関係を形成せざるをえなくなるのである。司馬氏の思想は自由主義で,それは今日では政治的には反動と日和見主義を意味するが,司馬氏には反動に組み込まれつくされない部分があり,そういう反動との差異を利用して民族主義・愛国主義をうまく攻撃することは可能である。
 愛国主義や民族主義の席巻という1990年代後期の思想界の情況にたいしてポスト・モダニズムは本質還元主義批判や関係主義による実体主義の批判・解体などを主張しながら,右からくり出される本質主義,実体主義,イデオロギー,言説,等々にたいして無力であるように見える。ポスト・モダニズムが現実の資本主義社会の抑圧からの解放のための実効的な理論かどうかが問われなければならない。なぜなら,ポスト・モダニズムは様々な解放戦略を提出しているからである。例えば,「終わりなき日常を生きろ」という戦略は,「終わりなき資本主義の搾取と抑圧に甘んじろ」ときこえるのである。また,自由主義者がポスト・モダニズムを自由主義の擁護思想として歓迎し利用していることを指摘しておかなければならない。
 ポスト・モダニズムはカントの主観主義哲学をよみがえらせた。関係主義はその一バージョンである。主観は絶対的なものであり,問題は主観の間の関係にあるとされた。それと違い,マルクスは,「人間とは社会諸関係の総体」であり,その社会諸関係とは実践によって結ばれる諸関係であって,主観的関係ではないことを主張した(フォイエルバッハ・テーゼ)。社会諸関係の総体を解明し認識するためには,人間の社会実践を綿密に分析してこれらの諸連関を映す概念を生み出さなければならない。そこでマルクスは,社会諸関係の総体の解明に取り組んだが,その結果,人間の意志から独立した物質的生産力の一定の発展段階に照応する生産関係の総体が社会の経済的構造を形づくることを明らかにしたのである。「問題は,近代ブルジョア社会のなかのこれら(経済的)諸関係の編成なのである」(『経済学批判』序説 国民文庫 304〜305頁)。
 一つの経済的社会構成体(資本主義的構成体)の諸関係の編成を明らかにすること,経済的編成体の構造を解明し,規則をあきらかにすること,それがマルクスの立場であるが,関係主義は,そのかわりに論理学的議論を置いている。
 関係主義は現実に立ち向かう段になると見事にしくじり,夢想的で浮き世離れしたユートピア性を露呈した。ハイエク主義的自由主義にはブルジョアジーという階級基盤があったが,ポスト・モダニズムにはそれはなかった。階級闘争を否定したからである。結局,かれらの係留点は小ブルジョアジーにならざるをえないように思える。例えばラクラウ・ムフの,コミンテルン7回大会の人民戦線の人民主義の肯定,自由主義者にも受け入れられる広範な自由と民主主義の理念の肯定,ユートピアの顕揚,等々の主張は,関係主義の上にカント的な統整的理念(根源的民主主義)をすえた上で,小ブルジョア的な日和見主義,自由主義,折衷主義,平和主義,等々の立場を表しているように見えるのである。
 ポスト・モダニズムや自由主義や主観主義などのわい曲や観念遊戯によってバラバラにされてしまったマルクス主義を再構築する必要に迫られてきたし,またマルクス主義の模造品が出回って本物と偽物の区別が難しくなってきているので,それらを区別する標識を再度打ち立てるための批判的作業が必要と考える。唯物論はその区別を打ち立てる場合の基礎である。ゆえにこの作業は唯物論を基礎に行われる。それは観念論と手を結んでいる民族主義や国家主義との闘争にも効果を発揮するだろう。なお,この論考が定期的連載になるかどうかあらかじめわからないことをおことわりしておきたい。

レーニンは主観主義者をどのように論破したか

 レーニンが社会民主主義(共産主義者)としての初期の理論活動の中で,ナロードニキとの論戦をくりひろげた。その中でかれは唯物論を断固として擁護した。とりわけ,『「人民の友」とはなにか』で,かれは,ナロードニキの立場に立つ「主観主義社会学者」ミハイロフスキーの所論を論駁し,マルクス主義的唯物論をそれに対置した。
 ミハイロフスキーは社会一般や歴史一般を対象とするという観念論的な立場から,マルクス主義文献にそれがないのはおかしいと批判した。ミハイロフスキーはマルクスが『資本論』で行った綿密な事実資料の検討や諸事実の詳しい研究を行ったことを認めたがマルクスが表したという唯物史観は一体どこにあるのか,と疑問に思った。『資本論』には経済的諸事実に関する膨大な詳しい事実資料研究がある。その中には,工場監督官の報告や政府の専門委員会での専門家の証言などの近代に入ってからの経済研究の結果ばかりがある。「一言でいえば,彼(マルクス−引用者)は,膨大な量の事実資料を,一面では自分の経済理論を基礎づけるために,一面ではその理論を例解するために,掘り返したのである」(『「人民の友とはなにか』レーニン全集 126頁)。だが,とミハイロフスキーの頭には疑問が生じる。「もし彼が歴史過程にたいする『まったく新しい』見解をつくりだし,人類の過去の全体を新しい観点から説明し,いままでに存在したもろもろの歴史哲学的理論に総決算を与えたとすれば,もちろんそれには,同じような周到さで行われたはずである。歴史的過程にかんする,あらゆる世に知られた理論を実際に再検討して,それに批判的分析をくわえ,世界史の大量の事実を研究したはずである」(同上)。それに,ダーウィンとの比較はマルクス主義文献に頻繁にあらわれるが,ダーウィンの理論について事実資料を集め批判的な検討を加えていない。それなのになぜダーウィンと比較できたのだろうか,とかれは疑問に思い,「ダーウィンの全労作とは・・・・モン・ブラン山ともいうべき多量の事実資料に仕上げをあたえる,いくつかの,相互にきわめて密接に関連した,概括的な観念である」(同上)が,「これに相応するようなマルクスの労作はいったいどこにあるのか?そういうものは存在しない」(同上)と断定するにいたった。
 レーニンはその正体をすぐに見破っている。「彼らは,マルクスの叙述の巨大な論証力に圧倒されて,マルクスのまえに腰をかがめ,彼を賞賛する。だが,それと同時に彼らは,学説の基本的内容をまったく見おとし,なにごともなかったかのように「主観的社会学」の古い歌をうたいつづけるのである」(同上)。
 ミハイロフスキーがきわめて意図的に,『資本論』の革命性を否定しようとしていることをレーニンは見逃さない。ミハイロフスキーは一方では「マルクスは,『資本論』のなかで論理の力と博識との結合の手本をわれわれにあたえた」(同上 127頁)とマルクスをもちあげたが,その論理の力を認めているのは,狭い意味での「経済理論」だけであり,しかも「マルクスがその論理の力を発揮した範囲の狭かったことを,より強く描きだすために,ミハイロフスキー氏は,「きわめて小さな細目」とか,「綿密さ」とか,「だれにも知られていない理論家」とか,等々を強調する」(同上)のだとレーニンは言う。
 「これだと,まるでマルクスは,これらの理論の構成方法のなかに,本質的に新しい,注目に値するものは,なにも持ちこまなかったかのようになるし,また,経済科学の範囲をひろげもせず,科学そのものに「まったく新しい」見解を持ちこみもせずに,経済科学の範囲をいままでの経済科学者のばあいとまったく同じにのこしておいたことになる」(同上 127〜128頁)。そんなことはありえない,とレーニンは言う。
 かつてミハイロフスキーは,『資本論』第一巻第一版序文から「この著作の究極目的は近代社会の発展法則(原文では経済的運動法則)を明らかにすることにある」というマルクスの言葉を引いていた。この定式化は,いくつかの問題を呼び起こす。

「マルクス以前の経済学者がすべて社会一般について論じていたのに,なぜマルクスは「近代(modern)社会」についてかたるのか? 彼は「近代的」という言葉をどういう意味でつかい,この近代社会をどういう標識によってべつに取りだしているのか? さらにー社会の経済的運動法則とはなんのことか? われわれは経済学者からいつもつぎのように聞かされてきた−そして,とりわけ,これは『ルースコエ・ボガートストヴォ』もそのなかにはいる一派の政論家や経済学者の気にいりの思想の一つであるが−,もっぱら経済法則だけにしたがうのは価値の生産であって,これにたいして分配は政治に,すなわち社会にたいする政府やインテリゲンツィア等々の働きかけのあり方に依存する,と。マルクスはどういう意味で社会の経済的運動法則についてかたり,そのうえ,さらにこの法則をNaturgesetz−自然法則と呼んでいるのか? 社会現象の分野は自然史的現象の分野あらべつに取りだされるものであり,したがって,前者の研究にはまったく特殊の,「社会学における主観的方法」をもちいなければならないということについて,わが祖国のきわめて多くの社会学者が山ほどの紙を書きちらしているときに,これをどう理解したらよいのか?」(同上 128〜129頁)。

 つづいてレーニンは,『資本論』の同じ序文から「私の見地は,経済社会構成体の発展を自然史的過程と見るという点にある」という文章を引用している。そして,マルクスは,一つの「経済社会構成体」すなわち資本主義的構成体について述べているだけであること,そしてマルクスが結論をつくりあげたのは「関係諸事実にたいする綿密な研究」という方法であったことを注意した上で,レーニンは,経済的社会構成体という概念は,元来どういうことなのか? こういう構成体の発展は,どういう点で自然史的過程とみなすことができ,また,みなさなければならないのか? という二つの問題を投げかける。
 それに対して主観主義哲学者は,「社会一般とはなにか?」「社会一般の目的および本質はなにか?」という問いをたてて議論している。レーニンは言う。その中で,主観主義社会学者たちは,「社会の目的は社会の全成員の利益ということであり,だから正義はこれこれの組織を必要とし,そして,この理想的な組織(「社会学はなんらかのユートピアからはじめなければならない」−主観的方法をとる著者の一人ミハイロフスキー氏のこの言葉は,彼らの方法の本質をみごとに特徴づけている)に合致しない制度は変則的なものであって排除されるべきである」(同上 130頁)という論証にたよっている,と。
 ミハイロフフスキーは,「社会学の本質的任務は,人間の本性のあれこれの欲求が充足される社会的条件を明らかにすることである」(同上),「社会学者は,なにかあるものを,望ましい,あるいは望ましくないとみとめたならば,この望ましいものを実現するための,あるいは望ましくないものを排除するための条件を−「これこれの理想を実現するための条件を」「見いださなければならない」(同上)という。レーニンは,この場合「問題になりうるのは,だだ「望ましいもの」からの種々の逸脱,すなわち「欠陥」だけであって,これらのものは,人間が賢明でなくて,人間の本性がなにを要求しているかをうまく理解することができず,こういう道理にかなった制度を実現する条件を発見できなかった結果・・・・その結果として,歴史上に偶然におこ」(同上)ることになると言う。
 それからレーニンは『経済学批判序文』の有名な部分を引いて,「社会学における唯物論のこの思想は,・・・・歴史上および社会上の諸問題にたいして厳密な科学的な態度をとる可能性を,はじめてつくりだした」(同上 133頁)と述べる。そしてそれまでの社会学は,「じかに政治的=法律的形態の研究にとりかかり,これらの形態がその時代における人間のあれこれの観念から発生したという事実にぶつかり,−そして,そこにとどまっていた。そこで社会関係は,人間が意識的につくりあげられるもののようになっていたのである」(同上 132頁)と批判する。
 唯物論が社会学に科学性を与えたということはなにを意味するか。それは社会現象から重要な現象とそうでない現象を区別する客観的な規準を見いだすことである。「唯物論は,「生産関係」を社会の構造として取りだし,この生産関係に反復性という一般科学的な規準を適用できるようにしたことで,完全に客観的な規準をあたえた」(同上 133頁)。 ここでレーニンはイデオロギー的な社会関係と物質的社会関係とを区別している。すなわち,イデオロギー的な社会関係とは「形成されるまえに人間の意識を通過する関係」(同上)であり,物質的社会関係とは「人間の意識を通過しないで形成される関係,−人間は生産物を交換することによって生産関係にはいりこむが,ここに社会的生産関係があることを意識しないで,そうするのである」(同上)ということである。
 物質的社会関係の分析の結果,そこに反復性と規則性がみとめられた。そして「さまざまの国の制度を社会構成体という一つの基本概念に概括することが,一挙に可能になった。このような概括だけが,社会現象の記述(および理想の見地からする評価)から,これらの現象の厳密に科学的な分析にうつることを可能にしたのである」(同上)。
科学的社会学の方法は,社会関係の生産関係への還元,生産関係の生産力の水準への還元であり,それを社会構成体の発展を自然史的過程として考察する基礎とすることである。それにたいして主観主義者は,社会的観念や人類の目的にとどまって,これらの観念や目的を物質的社会関係に還元することができなかったというのである。マルクスは『資本論』において「資本主義的社会構成体の全体を,生きた構成体として−すなわち,日常生活の諸側面や,この生産関係に固有な階級敵対の実際上の社会的現れや,資本家階級の支配を保護するブルジョア的な政治的上部構造や,自由・平等,等々のブルジョア的観念や,ブルジョア的家族関係をともなった構成体として−読者にしめしたのである」(同上 134頁)。
 ここまでマルクスの『資本論』の基本思想を解明したうえでレーニンは,ダーウィンとの比較についてのミハイロフスキーのマルクスへのあてこすりに答えている。

「ダーウィンは,動植物の種を,なんら関連のない,偶然的な,「神によって創造された」,不変のものと見る見解に終止符を打ち,また,種の可変性と種相互の継承性を確定して,はじめて生物学を完全に科学的な基礎のうえにすえたが,これと同じように,マルクスは社会を,当局者の意志によって(あるいは同じことだが,社会や政府の意志によって)どうにでも変わりうる,偶然に生起し,また変化する,個々人の機械的な集合体と見る見解に終止符を打ち,また,経済的社会構成体という概念を当該の生産関係の総体として確定し,このような構成体の発展が自然史的過程であることを確定して,はじめて社会学を科学的な基盤のうえにすえたのである」(同上 135頁)。

 これで唯物論の立場からのレーニンの主観主義者にたいする理論的な基本的批判はすんだ。しかしミハイロフスキーはマルクス主義の唯物論を純理論的に問題にし批判しただけではなく,マルクス主義者の運動,インタナショナルの運動を陥れようという政治闘争・党派闘争を目的としている。その場合のミハイロフスキーの立場は小ブルジョアの立場である。ミハイロフスキーはマルクスの創設した国際労働者協会は,階級闘争を目的として組織されたのに,なぜフランスとドイツの労働者が殺し合うのをふせげなかったのかと言う。これで唯物論は民族的利己心や民族的憎悪心に悪霊に決着をつけられなかったことが証明されたというのである。それにたいしてレーニンは「商工業ブルジョアジーのきわめて現実的な利益がこの憎悪心の主要な根拠をなしていること,および,民族感情を自立的な要因として説くことは問題の本質をぬりつぶすものにすぎないことについての,この批評家のもっとも粗雑な無理解のほどをしめすものである」(同上 150頁)と答えている。ミハイロフスキーは,公正な交換制度を究極の国際的連帯と考えている。それにたいしてインタナショナルは,交換に基礎をおく経済組織を廃絶しないかぎり国際的衝突の停止は不可能であると主張した。それを理解できなければ「民族的憎悪心にたいする闘争手段としては,おのおのの国で抑圧者の階級との闘争のために被抑圧者の階級を組織し結束させる,そして国際資本との闘争のために,このような国民的な労働者組織を一つの国際的労働者軍に結合すること以外には,他の手段はないという単純な真理を,ミハイロフスキー氏がけっして理解できないのも,当然」(同上 151頁)だとレーニンは言う。
 レーニンがミハイロフスキーの論戦全体にいとうべきものに感じたのは,かれのやり方である。レーニンは「もし彼がインタナショナルの戦術に不満なら,また,もし彼がヨーロッパの労働者を組織しているもろもろの思想に賛成でないなら,すくなくともこれらの思想を率直に,また公然と批判して,より適切な戦術や,より正しい見解についての自分の考えを述べるべき」(同上)なのに,はっきりした明白な反論をしないで,空文句の中に無意味な冷笑をちらばらせているだけである。「彼は,ロシアのマルクス主義者のあれこれの命題に直接の明確な批判をくわえるために,これらの命題を誠実に,正確に定式化する労をとらずに,自身の聞きこんだマルクス主義的論証の断片にかじりついて,それを曲説するほうをえらぶのである」(同上)。この曲解は,「理論の全事実的内容,その全核心をはぶいてしまって,まるでこの理論全体が「必然性」の一語につきるかのように(「複雑な実際問題では,必然性だけをよりどころにすることはできない」),また,この理論の証明は歴史的必然がこう要求するのだという点だけにあるかのように,問題を見せかけている」(同上 153頁)点にあらわれているという。
 現代の主観主義者,現代のミハイロフスキーもマルクス主義者やプロレタリアートのあれこれの失敗を探してきては意地悪くあげつらって冷笑する。マルクス主義が決定論の一言につきるかのように曲解し抑圧的だと断罪する。マルクス主義には,人間性がなく,未来への希望に満ちたユートピアがなく,個人がなく,個性が抑圧され,集団主義の弊害があり,全体主義的だ,と批判する。ところが,現実に資本主義が搾取抑圧している現実の必然性に直面すると,現在の経済組織の根幹を無視して人間一般や社会一般の見地に逃げ込み,現行の社会や制度や国家のわるい点を除いていい点を残すことを主張し,いい点だけで構成されるユートピアを対置する。そしてこのユートピアの高みから他者を見下し冷笑する。それは,ミハイロフスキーのような空想的社会主義から発生したナロードニキの社会改良家の高邁で傲慢な態度と同じである。これにニーチェ流の知識人主義が加わると高慢ちきな鼻持ちならない貴族主義が生まれる。ニーチェ流の貴族主義は官僚主義の偽装に利用されているのであるが,それはスーパー個人主義=超人主義という主観主義哲学(とはいっても,それはデカルトやカントの主観主義とは異なる)から転化したのである。それはその遠い反響としてシュンペーターのエリート主義を生み出したりした。
 主観主義哲学が今でもくり返しているのは,「決定論と道徳とのあいだの,また歴史的必然性と個人の意義とのあいだの,衝突という思想である」(同上 154頁)。だから主観主義者は,人間一般とか,社会一般,について自分が信ずるところの定義から始めるが,それらはたいてい主観的で一面的である。それにたいしてレーニンは答えている。

「人間の行為の必然性を確定し,意志の自由にかんするくだらない作り話を排斥する決定論の思想は,理性をも,人間の良心をも,人間の活動の評価をも,いささかも抹殺するものではない。まさにその反対である。決定論的見解のもとではじめて厳密な正しい評価が可能となり,ありとあらゆるものを自由意志のせいに帰着させることができなくなる。同様に歴史的必然性の概念も,また歴史における個人の役割をいささかもそこなうものではない。全歴史は,疑いもなく行為者であるところの諸個人の活動から成りたっている。個人の社会的活動を評価するさいに生じる現実的問題は,どのような条件のもとでこの活動に成功が保障されるか,また,この活動が相対立する諸行為の大海に沈没してしまう孤立的な行為にとどまらないための保障は,どこにあるか,ということである。社会民主主義者やその他のロシアの社会主義者がいろいろに解決している問題,すなわち,社会主義体制の実現を目的とする活動が,重大な成功をおさめるには,それはどのようにして大衆をひきつけなければならないかという問題も,まさにこれなのである。明らかに,この問題の解決は,ロシアにおける社会勢力の配置や,ロシアの現実を形成している階級闘争やにかんする考え方に,じかに,直接に依存している」(同上 155頁)。

 主観主義者が頭の中の理想界の高地から諸個人の実践を見下してあれこれと論評を加えて満足しているのとは違い,レーニンは,まさに個人の社会的活動=実践の発展,資本主義的社会構成体から社会主義的構成体(体制)への移行の実現を目的とする活動(階級闘争)の成功のための条件はどこにあるかという実践的な問題意識で考察しているのである。
 ブルジョアジーは,自己決定や個の確立などの個人主義思想をひろめて,諸個人をばらばらにし,諸個人を競争関係に置いて諸個人の実践を資本の力へと転化するように絶えず努めている。それにたいしてプロレタリアートは,自らを階級として組織し,他の諸階層大衆を引き付けて,自分たちの諸実践を自分たち自身の力として実現するための階級闘争を最後まで闘いぬいて社会主義的共同体まで達しなければ,どのような立派な理想も諸個人の頭のなかにあるまま孤立したままで終わってしまうことを学ばなければならない。
 主観主義者は己の空想力に自惚れて,自分が実践上で無力であることを忘れ,他者の諸実践を軽蔑し見下し冷笑する。主観主義者は失敗しない,というのはすべては頭の中で起こることだから。そして実践上では絶えず失敗する,それはかれらが実践条件を空想的に立てるからである。失敗しないのはなにもしない者だけである。失敗から学ぶものだけが真の勝者になれる。学べないのは失敗であり,その結末は永遠の敗北にほかならない。




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