帝国主義国際秩序に代わるプロレタリア的秩序を!
流 広志
228号(2000年8月)所収
「そごう」デパートの破綻処理をめぐって,金融再生法−金融再生委員会,預金保険機構,金融庁,改定日銀法,銀行法等々の金融体制の現在の枠組みが動揺・混乱が激しくなってきた。資本の運動が生み出しているこうした金融動向は,人々に不安と動揺を与えている。最新の金融をめぐる動きをフォローし,帝国主義国際秩序の動きを押さえるとともにそれにとって代わる動きについて若干触れておきたい。
最新の金融情勢と独占資本の動向
速水日銀総裁がバブル崩壊の総括を提出してゼロ金利解除に向けた理論武装をしたにも関わらず,日銀は先の政策決定会合においていわゆるゼロ金利解除を先送りすることを決定した。日銀は,その理由を「そごう」デパートがいわゆる再生法の適用を申請して事実上倒産した後から株価が急落し低迷したことを見て,経済状態を慎重に見なければならないと判断したからだと述べている。
「そごう」問題は急展開を遂げた。前号の時点では,一時国有化された日本長期信用銀行がアメリカの投資ファンドのニューLTCB・パートナー,モップルウッド・ホールディングズへ譲渡された際に結ばれた3年以内に2割の資産価値低下が起こった場合に国にその債権を買い戻すことを要求できるとする瑕疵担保特約にもとづく「そごう」債権の買い戻しが金融再生委員会−預金保険機構によって決定されていたが,その後,こうしたやり方は国が税金で一私企業を救済するものだとして世論の反発にあい,結局は,亀井政調会長が「そごう」経営陣にたいして自主的に債権放棄を取り下げるように要請し,「そごう」が債権放棄の要求を諦め,民事再生法による経営再建を選択したことによって,問題自体が消えてしまったのである。
しかしながら,新生銀行が持っている「そごう」向けの債権は回収できる見込みが少ないので結局は国が税金で損失を穴埋めすることに変わりはない。しかし,それよりも原則的な問題として国が一私企業を税金で救済することにたいする反発が強かった。それはさかのぼれば,1998年の日本長期信用銀行と日本債権信用銀行の救済のための金融再生法決定の際に,民主党提案の一時国有化案を政府自民党がまるのみしたことに反対した自由党や共産党による民間私企業の救済に税金を使うことに対する批判があり,それがくすぶり続けていたという潜在的な不満が残ったということもある。
そもそも日本長期信用銀行や日本債権信用銀行や日本興業銀行は,長期信用を扱う銀行として設立された。戦後長い間,株式市場の未発達のために,日本の企業は資金調達における自己金融が弱かったが,その分を補ってきたのがこうした長期信用銀行であり,長期投資によって産業発展を金融的に支えてきたのである。それは戦後しばらく続いたIMF・世銀からの借り入れに代わって,自立的な産業金融の発展実現の原動力ともなったのである。ところが日本長期信用銀行の金融債は無記名式であるために,政治家などの資産隠しなどの手段として利用されるなどして,また日本興業銀行の場合は例えば興銀出身の水島「そごう」前会長への個人信用による情実融資といわれる現実資本の実態と合わない融資を行うなどして,モラル崩壊を深めていったのである。
それなのに,民主党提案の一時国有化案を政府自民党がまるのみして金融再生法が制定され,金融再生委員会−預金保険機構は借り手保護を名目として日本長期信用銀行・日本債権信用銀行の救済を行った。これらの銀行が破綻した場合のマイナスの影響についての当時のパニック的な様相は記憶に新しい。連鎖倒産,失業,中小資本の連鎖破綻,金融パニックの恐怖,日本発世界金融恐慌への危機感,信用秩序崩壊への恐れ,日本資本主義壊滅の危機等々,当時の報道ではそんな言葉が踊っていたのである。
しかしそうして一時国有化された日本長期信用銀行は,元アメリカ連邦準備制度理事会議長のボルガーが役員をつとめるリップルウッド・ホールディングズを最大の投資者とする投資会社のニューLTBC・パートナーに10億円余りの安値で急いで譲渡されてしまったのである。この譲渡にさいしてつけられたのが瑕疵担保特約であり,これによって,ニューLTBC・パートナーは,リスクを負うことなく,時価計算で数兆円規模の資産を有する銀行を手にすることになるのである。
日本長期信用銀行と日本債権信用銀行の長期信用銀行二行は,一時国有化された上で,前者がニューLTBC・パートナーに譲渡されて新生銀行になり,後者は一時国有化されたまま孫正義社長のソフトバンクを中心とする連合への譲渡話が進行中である。日債銀の方は,「そごう」問題が起きてから瑕疵担保特約の是非が議論されるようになったために,譲渡話自体が延期された。しかし自民党・公明党・保守党の与党三党は,「そごう」の民事再生法適用後の株価下落を見て,あわてて瑕疵担保特約の見直しを否定した。ところが株式市場はそれにはたいした反応も見せていない。それは投資家の目が瑕疵担保特約よりも日本経済の実態の悪さの方に目が行っているからである。これまで政府などが発表してきた経済実態のアナウンスに粉飾や実態隠しがあったことが暴露され,それに対する不信感の方が大きくなってきているのである。「そごう」の次に,熊谷組,間組などの大手ゼネコンや西武グループなどの大資本の経営破綻が起こる可能性が高いということがはっきりしてきたのであり,その実態がはっきりしないことが余計に不安感を高めている。
「そごう」デパートの破綻問題では水島前会長の個人的な責任追及が行われている。その一環として水島前会長が日本興業銀行に個人保障した110億円分の一部の資産の仮差し押さえが実行された。あるいは西武が「そごう」再建支援にのりだす動きも出てきている。こうして一方ではライバルとして熾烈な競争戦を闘いながら,他方では資本としての共通利害においては手を握り合い,結局は資本の集中と集積へとのぼりつめていく資本の基本傾向が個々の資本家の意識をこえた「自然法則」として貫徹していることが見て取れる。日本興業銀行は,第一勧業銀行などと来年には合弁して「みづほファイナンシャルグループ」を形成するのである。
同時に,前号でも指摘したように国際的な合併・合弁・提携の動きが加速している。先日,粗鋼生産量世界一位の韓国の浦項総合製鉄(ポスコ)と二位の新日鉄の技術面などでの提携契約が結ばれた。新日鉄は韓国での出資規制枠いっぱいの3%までの出資を行い,浦項総合製鉄はその額分を新日鉄に出資することで合意したのである。この提携の目的は,アジア市場で合弁会社を設立するなどして,価格面で急成長してきた中国系・台湾系のメーカーに対抗すると同時に技術研究開発力でトップの地位を守ることにあるという。本格的な提携や合併に向けた動きではないというが,世界鉄鋼市場の独占・寡占につながりかねない動きであることはいうまでもない。
帝国主義世界秩序の現状と再編の動き
こうした資本の集中と集積の過程は帝国主義世界秩序の再編過程と関連している。つぎに,帝国主義世界秩序の現状をおさえておきたい。
米ソ冷戦の終焉にともなって1990年代には帝国主義世界秩序の再編が課題として浮上した。90年代初頭には,国連を中心とした国際秩序の確立を提唱した当時のガリ国連事務総長によるガリ構想が世界秩序の安定化に寄与するものとして帝国主義諸国から歓迎された。国連安保理の機構改革や将来の国連軍創設に向けた国際平和維持活動の機能強化などを内容とするガリ構想は,1991年の国連安保理決議にもとづく多国籍軍による湾岸戦争によって,そのリアリティが証明されたかに見えた。ところが,続くソマリアへの国連平和維持部隊の展開に際して,華々しくテレビ中継された米軍の上陸後,今度は現地の人々によって殺害された米兵の遺体が路上を引き回される姿がテレビ画面に写し出されるとアメリカでの米軍撤退要求が高まり,ついには撤退を余儀なくされた。この後,アメリカ政府は,自国軍の海外出兵は自国の国益を規準とし,自国兵を可能な限り犠牲者としないという原則を確認した。
それと同時にアメリカは,NATOと日米安保条約の見直しを始め,前者には新戦略概念,後者には日米共同宣言(1997年4月)が与えられた。いずれも域外での軍事行動への参加を求めるものであり,自国の軍事的負担を軽減し,NATO諸国,日本にその分の防衛負担を求めるものである。NATOの新戦略概念では,NATO周辺での人権侵害についても軍事介入できることになった。この新戦略概念はコソボ紛争の最中にできたが,しかしそもそもNATOの軍事行動の前提には国連の存在がある。ところが,新ユーゴ空爆は,国連安保理決議なしにNATO自身の判断によって実行されたのである。その前のイラク空爆でもその是非をめぐって国連安保理常任理事国の意見が分かれたにも関わらず,アメリカはほぼ単独で空爆を強行し,国連を無視ないし軽視する態度を露骨に表した。
日米共同宣言と新ガイドラインにおける周辺事態概念の創作は,やはり日本周辺地域における日米共同軍事作戦遂行体制の構築を狙い,とりわけ東アジア地域における現行秩序の動揺を防ぐとともに,そうした事態が起こった場合における日米の軍事協力と任務分担を明確にし,日米安保体制をより実効性のあるものへと再編しようとするものである。日米共同宣言=新ガイドライン安保体制は,確かに直接には朝鮮半島情勢をにらんだものであることは確かだが,同時にクリントンがくり返し強調しているように日米同盟という同盟関係を担保する軍事体制なのである。したがって,今年の防衛白書が,「北の脅威」の強調から台湾海峡の緊張と中国の潜在的脅威を強調するようになったように,仮想敵を創り出しつつ,その存在意義をアピールし続けながら存続されていくのである。
沖縄サミットでは,朝鮮半島情勢について,南北首脳会談以降の南北対話の動きを歓迎するという声明が出された。もし朝鮮半島での緊張緩和が起こった場合には,沖縄に米軍を駐留させる意味はなくなるとする意見があった。その意見からすれば,在日米軍の撤退は近いということになる。それならば,政府・沖縄県が普天間基地の代替施設とした名護市辺野古の海上代替ヘリポートに15年の使用期限をつけるという条件にはリアリティがあるということになるだろう。もし南北共同宣言の文言が実効性あるものとして実現していくとすれば,そのリアリティはますます増大するのは間違いない。
東アジア情勢について,昨日と今日とで断りもなく意見を変える新聞報道などによると,南北対話の背景には中国の朝鮮半島でのプレゼンスの増大が目立っているそうだ。今度は中国脅威論への宗旨替えなのだろうか。こうした針小棒大な謀略論を得意とするような読み物雑誌程度のレベルのものは問題外として,国防白書にそうした認識が現れたということは,予算のあり方を含めてしゃれではすまない。というのは,この夏には日本の南北で中国艦船の近海通過が確認され,それが自民党内で問題となり,中国政府への抗議とODAの削減を求める声が上がるなど外交問題に発展しかねない様相を見せてきているからである。
しかしながらこの朝鮮半島,東アジア情勢をめぐる報道や自民党などの反応は,帝国主義らしい勢力圏をめぐる縄張り意識や傲慢さがあまりにも露骨に現れている。なにゆえに,われわれは台湾海峡における緊張をそれほど強く意識しなければならないのであろうか。その理由を具体的に語るものはどこにもいない。それは安定とか平和一般としてしか語られていないのである。しかしそれでも,それが台湾・韓国との経済関係であり,経済的利益への脅威ということであることはうかがい知ることができるし,中にはそうしたことを露骨に語っているものもある。例えば,現在,台湾での新幹線建設が予定されているが,台湾海峡での軍事的緊張はその計画を失わせるかもしれない。そんなようなことが東アジア地域の平和と安定の具体的中身であることはかんたんに知りうるのである。
このような秩序,すなわち日米同盟を中心とする東アジア国際秩序の維持防衛のための用具が新ガイドラインなのである。アメリカは,これまでも湾岸戦争に沖縄の米軍基地から出撃したように在日米軍基地を自由に使用し,長期にわたって居座るつもりであることは,沖縄サミットに参加したクリントン大統領の演説で使われた「良き隣人」という言葉で明らかである。それに対して,これまで最高の2万7千人あまりの参加した普天間基地包囲行動によって,基地ノーの大きな声が発せられた。また,沖縄サミットを契機に,真の安全保障とは,相互の人間同士の交流と交通,対話と相互理解と行動によって結ばれる信頼関係の構築によって達成されるものであるということが対置された。そこには,現行の核と軍事による帝国主義世界秩序に代わる国際的な安定や平和の基礎となる理念と実際が示されているといってよいのではないだろうか。
このように,米帝を軸とする帝国主義世界秩序の再編は,NATOにおいてはユーゴスラヴィア内戦からコソボ紛争での新ユーゴ空爆を経て,NATO軍を中心としたNATO周辺域外での人道目的の軍事介入から,さらに最近ではNATO軍に代わる欧州軍創設と欧州軍によるNATO軍の役割の一部肩代わりの動きが現れている。東アジアにおいては日米同盟強化,周辺事態における日米の役割分担の確定に向けた動きが,日米共同宣言,日米安保再定義,新ガイドライン,として具体化され,そのために新ガイドライン関連法,有事立法などの国内法体系の整備が進められつつある。その際に,朝鮮半島有事や中国による台湾武力侵攻ということが,そうした動きを加速させるための理屈として持ち出されている。しかしながら,防衛庁が朝鮮半島有事の可能性が低まったと見られている現在においても,そうした見方を無視して有事立法研究を急ぎ,あるいは自公保政権が秋の国会に船舶臨検法を提出するとしているのは,それらの話しがあくまで仮想敵を創作するものであり,それを利用しつつ帝国主義として十分な水準の軍事体制の必要を満たしたいという国家意志があるからにほかならない。そしてその国家意志は,世界市場での激しい競争戦を勝ち抜きたい帝国主義ブルジョアジーの利害が国家暴力の利用を絶えず要求していることの現れなのである。
帝国主義世界秩序を解体し,プロレタリア大衆の国際秩序を!
帝国主義的世界秩序形成の現状と資本の国際的な集中と集積を特徴とする独占資本の展開過程との関係を解明することは重要であり,それを試みてきたわけだが,同時にこのような帝国主義世界にとってかわるものについて,近年の大衆的諸運動の中から生まれてきている理念や実践の発展ということがあるのでそれについても紹介してみた。
そこで明らかになったことは,国防白書に現れたような軍事を軸としたパワーゲーム的認識は帝国主義政治そのものの発想であり,無限に仮想敵を創作しつつ,国際関係を支配・従属関係として編成する原理に貫かれており,それは平和と安定よりも不安定と戦争を招くものに他ならないということである。それは,現在進行中の資本の集中と集積化の過程がもたらす必然的な結果であり,その危険はますます高まっている。南北対話の開始,台湾という他国を対象とした中国の「一つの中国」論,連邦解体後の混迷するロシアの極東では軍事能力の低下を示した弾薬爆発事故続出,など,周辺における日本への直接的な軍事的脅威の低下の事実がつぎつぎと示されているというのに,周辺事態や直接侵略に備えた新ガイドライン関連法や有事立法を急がせる要因は一体どこにあるのだろうか。それは,東アジアにおける資本の運動が生み出す利害対立や敵対関係が,それへの対応としての東アジアにおける帝国主義国としての軍事バランスの維持,日米軍事同盟強化や有事体制づくりへの圧力を生みだし続けているのである。こうしたパワーゲームこそ,平和と安定を脅かすのであり,戦争の危険を生み出す要因なのである。
したがって,そうした要因となっている帝国主義をなくし,帝国主義支配秩序をなくし,それに代わる新たな社会的で人間的な平和と安定で置き換えることが必要である。そのためには,現在すでにはじまっているそうした国際的な社会交通の試みを全面的に支持,発展させ,資本を介しないで交流・交通する回路を幾重にも築いていき,生産・消費・流通面でもそうした関係をがっちりと構築することが必要である。
それらの諸実践を現在の諸条件の下で発展させることはもちろんのことだが,プロレタリアートと共産主義者の党とプロレタリア大衆の諸運動が権力を捉え,プロレタリア大衆権力の創造によってブルジョア独裁を葬り去れば,それらは完全に解放され全面的に発展させられるし,そうしなければならない。この自覚に立ち,そうした希望とそのための諸条件の認識を宣伝,煽動し,過渡期から共産主義社会へといたる全過程を,プロレタリア大衆と共に押し進める共産主義者とプロレタリア大衆の党が必要である。
資本の運動がもたらしている動揺と不安から社会を解放し,帝国主義世界秩序がはらんでいる暴力と戦争の恐怖から世界の人々を解放し,平和,安定,協同,の共産制社会へと社会を発展させ前進させなければならない。また,プロレタリア大衆の国際連帯,協同,解放運動のより一層の推進をはからなければならない。