共産主義者同盟(火花)

<沖縄・軍隊・女性>をめぐるメモ−沖縄サミット闘争に向けた一視角

杉本修平
227号(2000年7月)所収


はじめに

 巨大企業、金融独占資本のための自由を基調とする「グローバリゼーション」が世界を席巻している。経済的不均衡、国家・民族間の従属関係、階級・階層間の分裂は極端なまでに拡大している。環境破壊、貧困、退廃、あらゆる形での隷属、人権の蹂躙。「下層」にとって、人間として生きること自体が困難な状況が続いている。
 この状況が生み出す不安定に対し、帝国主義は軍事力を担保に、権益と支配秩序の維持をはかっている。米帝を中軸とする軍事同盟−臨戦態勢の再編と強化が進んでいる。日米安保の再定義と「周辺事態法」等の成立、さらには改憲への動きはその一環である。
 沖縄サミットにおいて、帝国主義列強が合意し表明するであろう「世界の安定と秩序」や「平和」のなかみはすでに見えている。また、今回のサミットは、日・米帝にとっては独自の意味を持つ。すなわち、基地問題をめぐる沖縄の揺れを鎮めること、SACO合意に基づく基地の統合・再編への梃子入れとすること、そして、「日米安保の戦略的重要性」を世界にアピールし、アジア・太平洋戦略の「要石」たる沖縄の位置づけを再確認すること、である。
 沖縄サミット反対の闘いはこうした構造に対する重層的な闘いとして多様な形で展開されている。
 日米安保と基地・軍隊を問い直す運動、アジア民衆との反帝国主義共同行動、沖縄の自立・独立を模索し沖縄人のアイデンティティを構築してきた運動、「ジュビリー2000」等、シアトルでのWTO包囲の中心となったNGO−「地球的民主主義」を求める潮流の運動・・・・。
 ポイントは、帝国主義支配にかわる「未来」を準備していくために、運動の出会いとつながりの中から、そして、共同の経験の中から、普遍的な課題を見いだすことだ。
 その際、カギとなるのは、沖縄の女性たちが展開してきた運動の意義をつかむことだと思う。95年、米海兵隊員による少女強姦事件を契機として、沖縄の反基地闘争は島ぐるみの闘争として燃え上がった。沖縄の女性たちは、この闘いの先頭に立ち、また、普天間基地本島内移設−辺野古沖へリ基地新設反対の中心ともなっている。その主張や行動のラディカルな質をとらえることが重要だと思うのだ。
 なぜか? 以下、メモを記していきたい。

1.行動する沖縄の女性たち

 95年9月4日、少女強姦事件が起きた日、北京では第4回世界女性会議が開催されていた。そのNGOフォーラムに、沖縄の反基地闘争や住民運動、女性の人権を守る運動に取り組んできた女性たちが参加し、ワークショップ「沖縄における軍隊、その構造的暴力と女性」を開いていた。沖縄の体験に基づき、戦争時はもちろん、「有事に備えて日夜訓練する軍隊によって引き起こされる人権侵害も戦争犯罪に準ずる」ことを訴えるとともに、軍隊が男性の優位性と女性蔑視を構造化した組織であることを明らかにするワークショップであった。
 女性に対する暴力が明白な人権侵害として取り上げられるようになったのは、最近のことだ。強姦の被害者が口を開くことが困難な社会状況、夫の妻に対する暴力という「家庭内の問題」に公権力は介入し得ないという形式主義・・・・男たちによる暴力の数多くは放任されてきた。女性自らの告発や救援運動の積み重ねの上に、ようやく女性の人権に関する意識が世界的な高まりを見せてきたといってよい。85年ナイロビ世界女性会議はその一つのステップであったし(沖縄からは20数名の女性が参加し、「沖縄と売買春をめぐるワークショップをもった)、93年のウィーン国連世界人権会議では、「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」が採択された。旧日本軍の「慰安婦」問題やボスニア−ヘルツェゴビナ紛争における大規模なレイプの問題が取り上げられ、「宣言」は、紛争時における女性に対する暴力を戦争犯罪と規定した。そして、北京。沖縄の女性たちはその取り組みを世界的な潮流の中に位置づけていくことをめざしたのだ。
 NGOフォーラムを準備した女性たち、北京から帰国した女性たちは、事件の報を受け、直ちに記者会見を行い、行動を開始した。抗議行動、対政府要請行動・・・・。従来、米兵による大きな犯罪が起きたときには、既成団体(県議会、人権協会、弁護士会、各政党、労組)がコメントを出し、米国領事館、施設局への抗議を行い、「綱紀粛正」を求め、米軍も約束する、という一つの「ルーティン」ができあがっていた。彼女らはこのルーティンをうち破る迅速な行動を展開した。いち早く立ち上がり、今回の事件が特殊なものではなく、沖縄で戦後たびたび起きてきた事件の一つであること、少女・家族とともに闘うことを表明したのだ。(注1
 その後、彼女らの運動は「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」(以下、「行動する女たちの会」と略)として再編され、「強姦救援センター・レイコ」も発足する。また、宜野湾では「かまどぅーぐぁの会」、名護では「ジャンヌの会」が生まれ、普天間基地本島内移設を焦点とする反基地闘争の一翼を形成していく。他にも、多様なグループが活発な行動を展開し、女性たちは確実に運動のネットワーク化を進めてきた。
 「行動する女たちの会」は、日本政府の問題に対する姿勢が煮え切らないと見るや、「アメリカ・ピース・キャラバン」を実施、アメリカにおいて草の根の交流・討論を作り出した。このキャラバンで、プレシディオ基地跡地(サンフランシスコ)の土壌汚染を知った女性たちは、基地による環境破壊の問題にも積極的に取り組んでいくことになる。また、98年の第2回キャラバンでは、「国際女性ネットワーク会議」がもたれた。沖縄、日本、米軍基地を抱え沖縄と同様の問題に苦しむ韓国とフィリピン、そしてアメリカの女性たちが、米軍(駐留)から生じる問題の解決に向けた共同作業に取りくんだ。(注2
 以上の簡単な紹介だけでも、沖縄の女性たちの行動には目を瞠るものがある。ここでは、その行動力、ネットワークの実行実務能力の高さとともに、次の点を特徴として上げておきたい。第一に、沖縄の体験と運動を国際的な視野からとらえ、位置づけていこうとする志向。そして、実際に国際活動を活発に展開し、実務的なネットワークを作り出していること。第二に、基地・軍隊から派生する具体的問題に取り組む中で、軍隊、あるいは軍隊によって保障される「安全」の意味を根底的に問い直そうとする志向。すなわち、女性や子どもの安全を守るどころか、それを脅かしつづけてきた軍隊の本質は何か、軍隊が担保する「安全」とは誰のための「安全」か、女性や子どもの「安全」は何によって守られるのか、等々の問いを発し続けていることである。
 こうした運動の中で、軍隊の本質を表すために、「構造的暴力」という概念が用いられている。次にこの点をめぐって検討していきたい。

2.軍隊−「構造的暴力」とは?

 「構造的暴力」という概念は、戦争、基地、軍隊と隣り合わせで生きることを余儀なくされてきた沖縄の人々、分けても女性たちの体験に裏打ちされている。

■45年、沖縄戦。何より住民を巻き込み多大な犠牲を強いたことを特徴とする凄惨な地上戦。この戦闘の中で、日本軍が住民を守る軍隊などではないということを沖縄の人々は身をもって知った。ヤマトの兵士たちは、壕から住民を追い出し、虐殺し、女性を強姦した。そして、米軍の上陸と住民の「集団自決」。米軍に見つかったら強姦され辱めを受ける、という脅しと恐怖で自ら命を絶った女性も数多くいた。
 また、沖縄には、130余りの「慰安所」に約1000人と推定される「慰安婦」がいた。その多くは朝鮮、沖縄の女性であった。日本軍の戦意高揚、統率、性欲処理のために
あてがわれた女性たちの安否は、全くといってよいほどわかっていない。(注3

■沖縄地上戦の終結は、沖縄の女性たちにとっては新たな戦争の始まりであった。米軍支配下の収容所で、収容地への途上で、農作業中に、数多くの女性が米兵に強姦され、殺害された。「米軍占領後5年間の米兵士による強姦および致死傷76件(うち強姦致死4件)、拉致のおそれを感じて車または崖から転落事故死7件」(『沖縄・女たちの戦後』)と言われるが、これは氷山の一角でしかない。55年には、6歳の少女が強姦され殺害される「由美子ちゃん事件」が起きる。米軍に対する大規模な抗議が巻き起こるが、以降も強姦、殺
害、暴行、略奪は止むことがない。(注4

■「『太平洋の要石』としての広大な派兵・訓練・兵器庫・指令の軍事基地建設は、沖縄の主要な生産、生活の場の強制接収によってなされ、その結果、基地は最大の雇用の場ともなっていく中で、一家の経済を担って女性も・・・・(基地内で)働くようになったが、その職場でも新たな強姦、殺害が頻発した・・・・静かな村落が、次々と数万の兵士集団の性的攻撃の受け皿となる基地の町へと変貌していった。」(『沖縄における軍隊、その構造的暴力と女性』−北京会議NGOフォーラム)そして、米兵の性暴力から「一般の子女を守る性の防波堤」として、50年には「公認買春ゾーン」が設置される。朝鮮戦争が勃発し、派兵基地として緊張が高まるさなかのことだ。
 沖縄は、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争の前進基地であると同時に、兵士たちの「慰安基地」としての役割を負わされてきた。「軍隊は戦意高揚のために、また、統率するために、兵士の性をコントロールしているんです。自分自身に属するはずの性的自己決定権は兵士から奪われ、ペイデイになると、女性の部屋の前で兵士たちの列ができていた。」(『沖縄の女たち』高里鈴代)一方、このコントロールは、例えば、「性病対策」という形での女性の管理としても実行された。沖縄における戦後の保健政策は、性病感染経路調査を重要任務とする「公衆衛生看護婦制度」から始まったといわれる。
 戦闘から戻り、極端な緊張から解放された兵士たちの暴力は、圧倒的な力のもとに従属を強いられている基地周辺の女性たちに向かった。例えば、ベトナム戦争期、帰還兵によるホステスに対する強姦、殺人が頻発した。が、69年時、約7400人の女性たちが買売春に従事、生計を支えるために、「暴力と恐怖にさらされながら、業者と軍隊の性的搾取を受け、沖縄の経済を支えた」のである。

■このような体験の中から、軍隊に対する次のような批判の方向性が示されるのである。少し長いが引用する。「構造的暴力」の意味が読みとれるだろう。
 「軍隊の本質は根深い女性への蔑視によって貫かれている。・・・・軍隊による女性への組織的性的収奪は戦意高揚の手段、報奨行為、欲望、不満、恐怖のはけ口として容認、黙認されてきた。父権社会、軍事力を重視する社会では、女性を従属的地位に置き、国家の目的達成のためには女性を性的に手段化することは合法とされる。軍隊入隊の時、休暇中、演習後集団で買春街に行くのを習慣とする社会、そして軍の構造。今日もなおそれは世界各地の軍事基地、紛争地で起こっている。軍隊の本質、この構造的暴力のメカニズムを究明して女性たちが痛みと沈黙から回復されなければならない。」(『沖縄における軍隊、その構造的暴力と女性』−北京会議NGOフォーラム)
 基地から見える帝国主義戦争の現実、基地がもたらす環境汚染、騒音問題や事故、日米地位協定の問題、米軍犯罪、特に性暴力の問題、これらに対する具体的な闘いに取りくむと同時に、この女性たちの運動は問題の奥行きを照らし出している。沖縄における体験の中から、普遍的な課題を引き出し、発信している。
 「男らしさの学校」として、近代国家の差別的なジェンダー秩序の形成と結びついてきた軍隊、強姦を有効な戦術としてきた近代国民国家と軍、そのものの廃絶。(注5
 軍隊の構造と「地続き」と言うべき、性差別を内在した社会の変革。男と女の交通のありようの変革。
 今の国家−軍隊(暴力機構)と社会そのものに対する批判、その深度に着目したい。

3.沖縄の「自立・独立」をめぐって

 沖縄の女性たちの運動、そのラディカルな現実批判は、今に取って代わる「未来」をどう準備するのか、という問題を浮上させている。
 「アンチ政府で反対ばかりを言ってるんじゃなく、経済だったらこうしたい、環境だったらこうしたい、人権問題はこう・・・・とどんどん具体的に出していって、現実に動かしていくという時代を21世紀には作らなくては、と実感しています。既成の党だけには任せておけないと言う気持ちが自分たちの中に、特に95年以降に芽生えてきていると思う」(注6
 また、「行動する女たちの会」のメンバーである安里英子さんは、基地経済や、本土資本の流入、一連の「振興策」や「基地周辺整備事業」等の補助金ばらまきと公共投資(本土資本の回収)が沖縄にもたらした破壊的作用を批判する。沖縄の風土を無視した開発、基地やCTSによる海(サンゴ礁)の占有・破壊・汚染、自治の空洞化、自給体制と地域共同体の崩壊、入会的管理の喪失・・・・。そして、それに対し、人と自然環境との相互関係を回復し、サンゴ礁や山林をコミュニティの共同管理で維持していくこと、自給経済への転換を進めること、協同組合や相互扶助的自治を復活させていくことを提案している。
 彼女は次のように言う。
 「私たちが今日、"生きる"あるいは"生きたい"ということを前提にするのであれば、新しい"価値"の提案をしなければならないのではないか。近代がもたらした物質主義、経済優先、自由という名の管理のもとでわたしたちの生命体はこれ以上生き抜くことは無理である。風土を無視した開発を押しつける国家を私たちは必要としない。むしろわたしたちは、このシマから新しい価値の体系を提案していかなければならないと思っている。この新しい価値の体系こそが、真の独立宣言であると思うし、自立への道であると思っている。」そして、新しい暮らしと生産の体系を作り出すため、生産技術と生産手段を自らの手に、と訴えている。(注7

 本稿で紹介してきた沖縄の女性たちの運動がもっているような深さと広がりにおいてこそ、広範な民衆の協働、運動の結合と相互の(緊張)関係を作り出していくことができるのではないか。この動的な構造の全体に、プロレタリアートは現実批判の深みにおいて、切り結んでいかなければならない。 
 世界資本主義を内在的に批判する(越える)ための、いわば建設のためのプログラムを、NGOや、多様な形で社会革命をめざす運動と突き合わせていくこと。
 性の視角からの、あるいは、民族・人種の視角等々からの近代国家批判と深く切り結ぶこと。そして、今の運動の中に、ブルジョア国家・暴力機構の打倒・廃絶、さらに社会革命を推進していくための統治のありようを探り、国家の死滅の条件を作り出すこと。帝国主義の暴力支配(「未来」を産出する過程で必然的に向き合うことになる)と闘う「力」を組織するためにも。

共同の営為を!



(注1)このことは苦い教訓に基づいている。93年、19歳の女性がレイプされた。容疑者は日米地位協定に基づき、基地内に拘留されたが、その間に米国に逃亡、4ヶ月後に逮捕された。しかし、女性が告訴を取り下げたため、結局容疑者に対する処罰は軍追放という軽いものとなった。この事件については、マスコミが報道したのは容疑者の逃亡がわかってからのことだった。しかも、事件については、あえて詳しく書かないようにするか、スキャンダラスルに書き立てるか(ここに性暴力の被害者を追い込む社会のありようが反映している)だったという。被害を受けた女性は孤立感の中で、告訴を取り下げたのだ。

(注2)具体的には、女性への暴力・犯罪の問題(軍隊内の性暴力、米兵の家庭内暴力を含む)、アメラジアン・子どもの権利、基地の環境浄化、地位協定の見直し等。

(注3)72年施政権返還に際して、外国人に必要な在留許可書等をもっていなかったことから、ペ・ポンギさんが「慰安婦」であった過去を明らかにした。彼女の存在が、韓国の女性たちによる日本での「慰安婦」問題調査のきっかけとなった。

(注4)先日(7月3日)も、女子中学生が米海兵隊員による性暴力被害を受けた。
   なお、「行動する女たちの会」が「戦後・米兵による沖縄の女性への犯罪」を調査し、年表を作成している。年表に記載される犯罪の数は調査のたびに増えているが、それとてもごく一部にすぎない。

(注5)強姦は、「敵」の再生産機能、性器に象徴される「民族」の生命力、存続性に対するシンボリックな攻撃である。それは、女性を守れなかった男に対する打撃を与えるとともに、共同体の破壊をもたらす。ナチスのユダヤ人レイプ、南京をはじめとする中国各地、朝鮮、アジア侵略における日帝軍の強姦は、「"劣等民族"を徹底的に辱めて破滅させ、自らを支配民族として確立するという究極的な目的を遂行するうえで、重要かつ論理的な役割を果たした。」(『レイプ・踏みにじられた意思』S・ブラウンミラー)
    一方、たとえば、第一次大戦時のフランスでは、フランス−女性、それを蹂躙するドイツの残虐なレイプ、というプロパガンダが有効に利用された。こうした事例は枚挙にいとまがない。また、自らの「貞操や純潔」を守るために命を落とした「殉教者」としての女性がしばしば称揚された。
    こうしたことは、近代国民国家において、実際の公的役割(兵役と密接に結びついている)は男が担い、女性は、生殖、文化的再生産、象徴、性器的役割りを担う、さらに、「性器的役割」を担う女性がそこから分離される、というジェンダー秩序の形成と結びついている。
 
(注6)「あごら257号」掲載の座談、「いま動かなければ沖縄は・・・」における仲宗根京子さん(平和な世の中を創る沖縄女性の会)の発言。

(注7)「自立・独立」の問題は、経済・社会・文化のあり方の問題をその内容として語られている。少なくとも、沖縄での「自立・独立」をめぐる論議は、何のための、どんな意味での「自立・独立」か、を軸としているように思う(『激論 沖縄「独立」の可能性』、特に喜納昌吉さんの発言参照)。「民族自決権」領域の原則論議では、かみ合わないだろう。




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