米国株価急落について
渋谷一三
225号(2000年5月)所収
<はじめに>
2000年4月14日、米国の株価が急落した。下落率は9.67%、史上2番日だそうである。米国の株式市場は4月3日にも史上最大の下落幅を記録したばかりである。ハイテク・IT(情報技術)関連バブルが崩壊。一日でちょうどバブル前の水準に戻した。
ジョージ・ソロスの言う Foundamentals(基礎状況)を必ずしも反映しない相互作用の世界と解釈することできる。だが、ソロスの解釈では、「以前は株価暴落が恐慌につながったのに、今は恐慌にならないのは何故か。」という問いに答えることができない。
本稿の日的は、この疑問に答えることにある。
1.ポーカー・ゲーム化している現実
スーザン・ストレンジがカジノ資本主義と嘆いて以来、株価はバブルと急落とを繰り返すものの、恐慌は発生しない。1987年10月19日のブラック・マンデーは世界を震撼させたが、恐慌は発生しなかった。
古典的モデルの無効性がここで証明され、以降ケインズ主義は決定的に影響力を失い、新自由主義の嵐が猛威をふるうことになる。
なぜ株価が急落しても、恐慌が発生しなくなったのか。この問いに対する筆者の答えは『金融資本と産業資本とがほぼ完全に分離したことにある』というものである。
レーニンの時代には産業資本を支えるため、あるいは決済をするために発生した金融資本が、産業資本に対して優位性を獲得し始めた時代だった。株価の下落は産業資本の自己資本の減少を意味し、ここに融資している金融資本の存立をも左右し得た。株価が下落するということは金融資本が株の形で保有している資産が直接に減少することを意味する。このこと自体は現在も同じである。しかし、レーニンの時代には、同じこのことが、産業資本に融資する資金の不足を意味し、運転資金としての通常の融資や決済に支障をきたすことを意味した。
対して現在は、「過剰な資金」があるために株価がポーカーゲーム化して基礎条件を反映せずに上昇することも起きれば、全く同じ根拠のもとに、株価が下落しても産業資本の運転資金が枯渇するなどという状況も起きない。経済のファンダメンタルズを反映していなかったものが、ファンダメンタルズを反映した水準に戻っただけとも解釈しうるのである。実際、大方の解釈はそうなのだ。しかし、ここに落とし穴がある。このことについては、後述する。
レーニンの時代との比較を別の側面からしてみよう。
株価暴落が恐慌につながった時代、この時、好況が必ず先行している。好況ゆえに、生産の拡張が見込まれ、設備投資が必要となり資金需要が一時に集中し、その結果として切迫する。資金需要の切迫は、株式の大量発行などの債務を大量に発生させる。正確に言えば架空資本の増大を招く。平たく言えば借金して設備を拡大し、物を以前より大量に生産してしまう。大量に生産してしまったものが売れなければ、借金だけが残る。好況時に過剰に需要を期待して生産過剰になってしまったものは、売れ行きが鈍る。売れ行きが鈍れば、金を貸している側はその回収に乗り出す。すなわち株を早期に売却してしまう。この連鎖が株価の暴落を産んだ。換言すれば、実体経済の不振が株価の暴落を引き起こしたのだ。それが資金の回収を引き起こし、産業資本全体が萎縮し倒産を招くという循環を産んだ。
ところが現在は、物の年産を拡大するために=設備投資をするために株価が上昇するのではない。株価が上昇したところで鉱工業生産が増大するわけでもない。実体経済−物の経済は株価とは相対的に関係のないところで行われている。そうできる根拠は、他の生産にかかわる資金需要が好況程度では逼迫しなくなっているからであり、逼迫しない以上急騰もしない。株価上昇の根拠足りえなくなっているのだ。
では、どうして資金がそれほど潤沢になっているのか。次にこのことを見てみよう。
2.架空資本の増大
架空資本の増大にはさまぎまな原因があるが、最も大きな原因は、国際金融市場が成立したことである。小さな原因としては、例えば日本の貯蓄奨励が功を奏したことが注目され、国際的に貯畜の重要性が認識され国家の政策として採用されたなどの事情があり、こうした事情抜きには、例え国際金融市場が成立したとしても「潤沢な資金」などはなかったであろうし、国際金融市場が成立しえたかどうかも疑わしい。だが、こうした事情を個々に指摘し分析していくことは本稿の目的からは遠ざかる。
架空資本が増大していく過程の分析はさておき、増大した架空資本は投資先を求めて国境を越える。国境を越えやすくした原因は誰しもが予想だにしていなかったが、金本位制の最終的終了=ドルの兌換性停止=変動相場制への移行にある。通貨の相場自体も投資の対象(そう言ってよければギャンブルの対象)になる。このことによって「過剰な資金」はより容易に国境を越えることができるようになり、現在わたしたちが普通に目にする状況−東京市場が開かれているときにはインターネットでニューヨークの資金が東京で運用・売買に使われ、東京市場が閉鎖するとその金は次に開かれているロンドン市場でゲームの続きをする−世界中の資金がその運用先を求めて24時間国際的に移動するという現実を産んだ。
架空費本−信用創造は、今日様々な形態を持つに至っている。中央銀行による銀行券の独占的発行(中央銀行でなくとも、独占的発行でなくとも、銀行券の発行それ自体が信用創造の原初的形態ですが)・株式・種々の債権などを対象にしたデリパティプなど。種々の形態を豊富化させながら、信用創造の量は拡大した。信用創造の量が何倍になれば実体経済を反映しなくなるのかは計算したり分析してみたことはないが、信用創造の量が相対的に膨大になれば、実体経済の影響は無視できる程度になることは推測できよう。実体経済はそれを勘案する人間の恣意性に大きく依存する形でしか、経済全体に影響を与えない。それは、ある時は実体経済を反映しているかのごとくに見え、別のときには実体を全く反映していないかのごとくに映る根拠でもある。
架空資本の量的増大が、今日の経済の特徴−カジノ資本主義と嘆く人々がでる特徴−を産んだ根拠である。