ジョージ・ソロス著「グローバル資本主義の危機」読書ノート
渋谷一三
224号(2000年4月)所収
へッジ・ファンドの代名詞として名を馳せたジョージ・ソロスが、現在の地球規模での(グローバル)資本主義の危機を感じ、何等かの世界的規制(ルールづくり)が必要だと主張している。
一見パラドックスのようなこの主張が、実は全く異なる経緯から規制=Regulation=フランス語ではレギュラシオン派とよく似ており、また別の系譜たるケインズ派の結論とも似ている。
このことに興味を持ち、ソロスの主張の根拠をよく表現していると思われるところを中心にノートを作成した。読者のみなさんのお役に立てれば幸いです。
<相互作用性=reflexivityという概念の導入>
P.9
「私は、カール・ポパーから多大な影響を受けた。科学思想家であった彼は、
その著書『開かれた社会とその敵』で、私が青春時代にハンガリーで肌身で経
験したナチと共産主義政権の本質をよく理解させてくれた。
これらの政権は一つの共通の特質を持っていた。すなわち、彼らは究極の真
理を知っていると称し、自らの見解を暴力を行使して世界に押しつけたのである。
対してポパーはそれとは異なる形の社会機構つまり究極の真理には何人も近
づくことはないことを認める社会機構を提案した。」
P.10 「私は『相互作用性』という概念を開発した。これは思考と現実との間で相互 に反射的なフィードパック・メカニズムが働くという概念である。当時私は経 済学を学んでいて、相互作用性は経済理論には適合しないことに気が付いた。 経済理論はニュートン物理学から借りてきた観念、すなわち均衡の観念を元 にしていたからだ。」
P.27 「市場原理主義者は金融市場がどう機能するかについて基本的に誤った考え方 をしている。彼らは金融市場は均衡に向かう傾向があると信じている。経済学 の均衡理論は物理学との誤った相似性に基づいたものである。」
P.30 「政界のリーダーたちは、ある種の本来的な価値観を標榜するのではなく、何 が何でも当選さえすればいいという態度で、今のように市場原理主義ないし何 の束縛もない個人主義がはびこる中では、それが自然で、合理的で、おそらく は政治家としては望ましい行動方式だとさえみなされている。
P.31
「純粋に市場要因のみに支配されることが出来ず、また支配されてはならない
機能の中には、人間生活における最も重要なことが多く含まれる。
道徳的価値観から、家族関係、美的および知的成果に至るまで様々である。
それなのに市場原理主義者たちは、その支配力を、イデオロギー帝国主
義の形で、こうした分野にまで一貫して広げていこうとしている。
市場原理主義によれば、すべての社会的活動と人間的相互関係を取引上の契
約を基礎とした関係とみなし、単一の共通単位、すなわちマネーによって価値
が決められるベきだという。
また、色々な行動を規制する場合、出来るだけ利潤極大化競争をもたらす<
神の見えぎる手>による規制くらいにとどめるペきで、それ以上に介入的な規
制はすべきではないとも言う。
こうした市場原理主義イデオロギーはビジネスや経済学の領域をはるか
に超える分野にまで侵食し、社会的に破壊的かつ堕落的な影響を及ぼしてい
る。」
P.32
「世の中には民主主義と資本主義は共に手を携えて進んでいくという仮定が広
く行き渡っている。実際はその関係はもっとはるかに複雑である。資本主義は
民主主義を平衡回復力として必要とする。資本主義制度は、自力では均衡に向
かう性向を何も持ち合わせていないからである。
資本の所有者は、自分たちの利潤を最大限にしようとする。彼らの考えるま
まに任せておけば、彼らの資本蓄積は事態が均衡を崩す時まで続くだろう。マ
ルクスとエンゲルスは150年前にこの資本主義制度を極めで見
事に分析してみせた。」
P.33 「いかなる個々の国家もグローバル金融市場の権力に抗うことができないし、 国際的なスケイルでルール作りの出来る機関は実際にはないに等しい。」
P.35 「我々はグローバル社会なきグローバル経済を抱えている。」
P.34
「グローバル資本主義システムは開かれた社会の歪められた一変形である。開
かれた社会は、我々の理解力が不完全であり、また我々の行動は意図せざる結
果を生むという認識に基づいたものである。
全ての機関的な取り決めは欠点を持たざるを得ず、欠けているものがあると
知っているからこそ、我々はそれを放棄すべきではない。むしろ、誤りを正す
メカニズムが自動的に備わった諸機関を我々は創造していくべきなのである。
こうしたメカニズムには市場も民主主義も入る。
だが、そのいずれも、我々が誤らないことはないということを認識し、進んで
誤りを認める態度がなければうまく機能しないだろう。」
P.36 「孤立主義が正当化されるのは、市場原理主義者の言い分が正しく、グローバ ル経済がグローバル社会なしに独り歩き出来る場合だけである。」
<均衡についてのソロスの見解>
P.106
「均衡とは何か。私は均衡を期待と結果とが一致する状態であると定義する。
均衡は金融市場では達成不可能であるが、現在行き渡っているトレンド(傾
向・流行)が均衡に向かっているか、為るいは離れつつあるかを確定するだけ
なら可能であろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はポパーの科学的手法の理論を応用するのが有用であることを発見してい
る。私のやり方は、私の期待を基礎にある仮説(要するに命題)を設定し、そ
れを将来の事態の推移に照らしてテストすることである。
「自分自身の経験に基づいて、私は株式市場について、ちょっと面白い仮説を
立てた。つまり、株式市場は私のやり方とほとんど同じように動いて、ポパー
の科学的方結論の翻案をそのまま実演する、というものだが、市場の方はそう
とは知らずにやっていることにある。
換言すれば、市場はある仮説を採用しテストするのだが、失敗すると−昔通
は失敗する−別の仮説を試みる。
それが市場の上下動を生み出すのである。
それは色々なレベルの重要度で発生し、そこから生まれるパターンは極めて
マンデルブローのフラクタル図形に似て、反復的である。」
「私は均衡に近い状態と均衡にほど遠い状態とを区別したい。私はこれらの用
語を、私のアプローチとある種の親近感があるカオス理論から借りてきた。
均衡に近い状態では、市場は平凡な仮説で運営され、そのため均衡から離れ
ていく動きは、おそらく価格を、動き始めた元の場所に戻していくという反対
の動きを誘発することになろう。
こういった変動は、水泳プールで揺れ動くさざ波に似ている。
対照的に、もし相互作用性をもつ仮説の設定がうまくいくと、それは価格に
影響するだけではなく、ファンダメンタルズ(基礎的条件とでも訳すか)にも
影響する。そして反転しても出発点に戻るような結果にはなるまい。それは大
津波とか雪崩にもっと似ている。
完全な形のBoom-Burst(ブーム−爆発)の連続性は均衡からはほど遠い領域
にまで浸透していく。それが連続的に歴史的な意義を与えるゆえんである。」
[注]フラクタル
複素数平面に一定の数値を連続して置くと、拡散と収束の境界線が例
えばカタツムリの渦巻きの図形を描くし、木の葉の葉脈の図形を描く。