改定入管法(1999年)と在日外国人政策の諸問題
流 広志
223号(2000年3月)所収
昨年の入管法改定については,国会審議において十分な議論と社会的関心が高められたとはいいがたい。排外主義との闘争という点からもオーバーステイの外国人への罰則強化が盛り込まれた今回の入管法改悪は重大な問題である。同時に行われた外国人登録法改正による指紋押捺制度全廃の措置は1980年代の指紋押捺拒否運動の,弾圧をはねのけての大きな犠牲を払ったことの成果としてかちとられたたという面もあるだけに,同時に行われた入管法改悪は排外主義を強化し日本社会の閉鎖性を固める方向に作用する改悪といわざるを得ない。これを批判し入管体制を解体することはプロレタリアートの重要な任務である。そこでこの問題の歴史と経過をおさえつつ,問題点をあきらかにしておきたい。この分野におけるプロレタリアートの態度についての政治決議などの基礎として役立つことを期待している。
外国人登録法改定その他在日朝鮮人をめぐるいくつかの問題
1991年の外国人登録法改定は,それまでの在留資格を整理統合して多くの在日朝鮮人が特別永住者に組み入れたものである。ところが政府−法務省−入管当局は,特別永住者に退去強制の適用条項を残し相変わらず日帝の植民地支配に起因する在日外国人(そのほとんどは在日朝鮮人)を治安管理の対象としつづけるという排外主義的姿勢を根本から改めようとしていない。1999年の外登法改定では,指紋押捺制度を廃止したが外登証常時携帯義務を廃止していない。
1990年代をとおして訴訟などによって問題になっていた戦後補償問題についても裁判所が立法的解決の必要と指摘しているにも関わらず前進していない。ようやく民主党などが立法化の動きを始めたばかりである。1993年の村山政権の下での不戦決議は過去の侵略戦争を謝罪した。しかし同時に進められた従軍慰安婦問題の解決策では,政府による個人への直接補償は実現しなかった。旧従軍慰安婦への補償は民間基金による補償という形となり,それが当事者や当事国の反発から補償事業が停滞する事態を生み出した。そして右派による民間基金にたいする批判と攻撃が激しく行われた。それは戦争認識から教科書問題にも波及し,その後,全面的な歴史認識論争に発展していった。
今から見れば,国家補償に踏み込めなかった不戦決議の中途半端さが右派につけいるすきを与えたことは明らかである。戦争が国家主権の発動であった以上,国家補償によって責任が果たされるのは当然である。民間基金では一部の善意の国民が責任を肩代わりすることになってしまうからである。それが国家責任の回避と受けとられたのは当然である。こういう相手の善意を当てにするような無責任なやり方にはやはり問題がある。ようやく戦後補償法制定の動きが出ているわけだが,そこではふたたびこのような無責任をくりかえさないようにしなければならないのである。この問題がもっぱら朝鮮人との間の問題となったことについては,日帝の植民地化と植民地統治の特殊性ということもあろうが,同時に敗戦後の戦後処理,戦後補償において示した不誠実な態度や治安管理対象として弾圧したことや差別などの歴史がある。
改定入管法と定住外国人問題
他方で定住外国人問題は,バブル期の土木・建設・サービス部門などでの単純労働者の不足に対応して国内労働力需要の拡大に対応する形で中小零細企業などへ中間で密入国を組織するあっせん業者や非合法組織の恒常的な活動によって定着したことから大量の超過滞在者を大量に生み出した。バブル崩壊以後の長期不況の状態の中で,日本社会に定着した在日外国人の二世が,在留資格のないまま,いつ退去強制されるかわからないという不安状態で就学就労問題に直面している。さらに定住外国人の中には,事実上の政治亡命者や難民が相当数ふくまれていると見られ,難民受け入れに消極的な政府の姿勢によって,彼ら彼女らは困難な情況に置かれているのである。
前者の場合は,好況期の労働力不足を外国人労働者の合法的導入や積極的な移民政策を策定するなどの真っ正面からの解決策のないまま,治安管理の対象として対処しつづけたことによって,在日外国人の生存,生活,教育,医療,社会保障等々の諸問題への現実の対処は善意の人々の支援や活動や彼ら彼女ら自身の自己努力にゆだねられ続けている。オーバーステイの在日外国人を受け入れている学校現場の努力などが積み重ねられているが,突然の退去強制によってそれが無に帰すケースがくり返されている。
そもそもオーバーステイの原因は基本的にはそれを必要としている日本の経済社会情況にある。報道などではそれを当人自身に帰しているケースがあるが,それはこうした日本社会の側の問題を不問に付した不当な見方である。当人の意志だけがあっても雇用する者がなければ働けないし,働き続けられないのである。今年2月の改定入管法施行直前に入管事務所に殺到した超過滞在外国人労働者の一部は,働く場がなくなってきたという情況の変化に対応した自発的な出頭者であった。長期不況の中でこうした労働力需要が減少してから入管法改定で不法就労者を雇用する雇用主への罰則を設けたわけだが,それが的外れなことはいうまでもない。この方策が好況時にどんな役割を果たすことになるかは十分に予測できる。
一方で看護士資格をはじめ外国人への資格取得制限の撤廃や地方自治体での一般行政職への条件付きの採用など,国籍による職業選択の自由の制限は徐々に緩められてきているのは確かである。しかし,政府の基本方針は外国人に開放する職業を専門職などに限り,単純労働者の受け入れを拒否したままだ。ところがすでに日本社会に定住し定着している在日外国人の多くが単純労働者であり,その二世が成長してきているという現実がある。
政府−法務省−入管当局が治安管理策としての基本姿勢を崩さず入管行政を行っているために,それだけ社会の閉鎖性を強めており,その分だけ差別排外主義を温存助長する根拠を作り出している。それが社会に及ぼすマイナスの影響は,国際的に結合を深めている経済実態と社会現実が乖離し,在日外国人にとってだけではなくその他の社会成員にとっても抑圧的な作用を及ぼすこと,人々の間に疑惑と不安と不信を拡げ,あるいは信用を低下させ,人間活動を萎縮させ生活態度を過度に不活発化させること,諸外国の人々に日本社会への否定的感情を拡大すること,等々がある。
労働者にとっての排外主義の否定的な作用は,労働の間に不当な垂直な階層をつくりだして労働者を分裂させ,労働者同士を不毛な競争に駆り立てて資本の支配と搾取の強化を結果してしまうことである。それは賃金水準を低く抑える用具となり,また労働条件を低めるテコとなるが,排外主義はそれを民族的な対立に置き換える。外国人労働者は日本人の職を奪うと排外主義は強調する。ところが,外国人労働者は企業には利潤をもたらす。利潤は増えしたがってブルジョアジーを儲けさせブルジョアジーの利益を増やしブルジョアジーの富は増大する。ブルジョアジーは,一方では排外主義を主張し国益を強調するが,他方では不法滞在の外国人労働者を雇い働かせる。だから労働者は排外主義をはっきりと拒否しなければならない。
永住外国人への地方参政権付与法案をめぐる諸問題
在日外国人問題で現在国会に自由党・公明党が提出した永住外国人への地方参政権付与法案があるのでそれについて簡単に触れたい。まずは歴史的経過から。
そもそも日帝時代には内地に限り選挙権・被選挙権の双方を有する参政権が植民地出身者には認められていた。ところが,1945年の敗戦後その年のうちに選挙法(地方自治法付則20条)が改定され,戸籍法を適用されない者には選挙権・被選挙権を暫定的に停止するという付則が定められ,参政権が停止されたわけである。GHQの占領統治下において,日本政府の在日朝鮮人への施策は,講和条約締結までは日本国籍者としながら同時に自らの都合に合わせて外国人とみなすとするご都合主義的な態度に貫かれていた。1946年3月,「朝鮮人,中華民国人,本島人及本籍を三〇度以南(国の島を含む)の鹿児島県又は沖縄県に有する者登録令」(昭和二一年厚生省,内務省,司法省共同令第一号)が制定された。1946年には「出入国管理令」を公布しようとしたが,GHQの反対によって延期された。1947年には「外国人登録令」(ポツダム勅令第207号)を公布した。それには,「在日朝鮮人は当分の間,外国人」(第1条)とする規定があり,違反者への罰則と強制退去が盛り込まれていた。これで敗戦直後の施策がとくに在日朝鮮人にたいして暫定的な性格を表明していたことがわかる。その後,1952年には法務省に入国管理局が設置され,入管行政を所管することになった。外国人登録事務は治安当局が扱うことになったのである。
1951年10月,日米安全保障条約の締結による占領期のポツダム勅令の廃止にともなって,1952年4月28日に「出入国管理令」と「外国人登録法」が生み出された。この二法が,その後の政府の外国人施策の基本法規となる。これによって,敗戦後の在日朝鮮人にたいする施策の暫定性が破棄されたのである。
1952年4月28日の「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」(法律126号)によって,戦前からの居住者と1952年4月28日までに生まれたその子供には別の法律ができるまで引き続き在留資格なしで在留できるとしていた。1952年4月29日以降に生まれた者は「外務省令第14号」(同年5月12日)によって特定在留者とされ,法務大臣によって3年以内の指定期間しか在留できないとされた。その後,1965年日韓条約締結と同時に定められた「在日韓国人法的地位協定」で韓国籍を前提にした協定永住を新設し,「出入国管理特別法」によって登録を義務づけた。かくして在日朝鮮人の在留資格は細かく行政的に分類され,分断を深めるものとなった。その後の経過は省略させていただくが,1991年の入管法改定によって,多くは特別永住に組み入れられた。そして外国人登録法では1999年の改定で指紋押捺義務は廃止されたが,外国人登録証常時携帯義務は残された。
このような在日朝鮮人施策の歴史的経過を見れば,在日朝鮮人政策の基底にあった「帰化」の強要と時間経過による同化の期待はまったく破綻したことはあきらかである。したがって,日本政府の在日朝鮮人政策は「在日外国人」施策の一環をなしつづけ,国籍問題なき民族政策へと移行させることは不可能となっているのである。
それと同時に在日朝鮮人の地位や権利をめぐる問題は,韓国政府との二国間協議に多くかかることになっているが,そのことが,在日朝鮮人の間に分断を深める原因になっている。1950年6月25日にはじまる朝鮮戦争の最中に進められた日韓会談予備会談では,在日朝鮮人の地位に関する協議が行われ,1965年日韓条約締結にともなって,韓国籍を特別扱いする「在日韓国人法的地位協定」が結ばれ,外国人登録証明書の国籍記載欄の韓国記載は国籍であるが朝鮮は符号であるという政府統一見解(1965年10月)を出したのである。
このことを踏まえて,現在の国会に自由党・公明党によって提出されたいわゆる永住外国人地方参政権付与法案を見ると,そこでは参政権付与の要件を永住外国人のうち,外国人登録証原本の国籍記載者としており,そこから朝鮮記載者および無国籍者は除かれている。それが,日本の対朝鮮半島外交の基本態度や政治姿勢を色濃く反映していることはいうまでもない。1991年の入管法改定における特別永住の新設にあたっては外登証原本国籍記載の韓国・朝鮮記載の区別は問題にならなかった。
ところが,この永住外国人地方参政権の要件に国籍の区別が加えられたのである。ようするに,永住外国人の基本的権利の問題が国家間関係と結びつけられたわけである。ところが在日朝鮮人問題の歴史的経過をみれば明らかなように,それは日帝による植民地支配によって発生した問題であり,その後,日本の敗戦と朝鮮半島における二つの分断国家の生成にともなう新たな国籍問題の発生によって国籍選択の幅が生まれたのである。したがって,在日朝鮮人の日本社会における権利の問題は日本社会自身が解決すべき課題であり,国家間関係と直接に結びつけられてはならないのである。
しかしこの法案はそれらを混同させている。ようするに日韓米の三国同盟関係の強化という国家間関係のための用具として在日朝鮮人の権利問題を利用しようとしているのである。このような在日朝鮮人の間に分断を深めるような形の地方参政権付与法は容認すべきではない。加えて,それは被選挙権がないという意味で不完全な参政権である。また,国政への参政権がない,等々の問題がある。
またこの法案には,与党自民党内に国家主権と民族自決権を不可分一体とする国家意志形成過程への参加要件を国籍(日本籍)とする反対論がある。また相互主義として相手国での日本人の参政権付与を条件とすべきだという反対論もある。
プロレタリアートとしての態度は,国家主権と民族自決を不可分とするブルジョア民族主義的国家観を批判しそれを解体することであり,国境内のあらゆる民族に首尾一貫した民主主義を適用することであり,国政を含めて一切の職種について国籍によるその制限をなくすことである。国会であろうと地方議会であろうと選挙権と被選挙権は滞在期間に応じて付与されるべきである。それは永住外国人には無条件に付与されるべきである。
反動的入管体制再編にたいするプロレタリアートの任務
入管行政が治安管理を基本としていることを忘れてはならない。いまだに外登証常時携帯義務は撤廃されていないのである。在日朝鮮人に関わる政府官庁が,法務省−入管であり,公安を主にした警察であることはいうまでもない。そのために,在日朝鮮人が多いパチンコ業界が警察の利権の巣になっていることは周知のとおりである。そして朝銀などの在日朝鮮人の金融機関の不良債権問題が国会でも取りざたされているが,過去の自民党政治の実態を知れば国会で与党議員が業界に関して取り上げる場合には,そこに利権をきずこうとしていると疑わざるをえないのである。
そもそも日本政府の入管行政は,在日外国人を治安管理の対象として,国籍の違いに基づいて国境内諸民族の間の分断を固定化して諸民族の接近を阻害し,差別排外主義を温存助長する反動的な役割をはたし,なおかつそれを利用して労働者間に人為的な階層を生み出してそれを労働者の垂直的分業・格差と結びつけて分断支配・搾取を強化し利潤を増大させようとするブルジョアジーの利害を助けてきた。なるほど一部のブルジョアジーは,自由に外国人労働者を使って利潤をあげたいと願っている。しかしながら大企業の場合は,外国に直接投資をして進出してそこで労働力を確保している場合が多いわけである。それでも,規制緩和の動きの中で専門技術者に限ってはより積極的に受け入れられるように入管法の改定がなされた。しかし中小零細企業が求めている外国人単純労働者の受け入れは認めていない。また難民については受け入れに消極的であるばかりでなく,政治難民を強制退去させている。なお,日米安保条約締結にともなって定められた「日米地位協定」の対象となっている在日米軍関係者は外国人登録法による登録が免除されている。
1999年改定入管法によって不法在留罪が新設され不法就労者の雇用主への罰則が定められ強制退去後の再入国許可の期間が延長された。民族不和や対立を解消し,民主主義を内容として前進させ国際プロレタリアートへ自己を高めるという国際主義的任務を日本のプロレタリアートが果たすために,外国人登録法の常時携帯提示義務の廃止などの外登法の差別排外主義的な内容の変革や入管体制の解体など,在日外国人への差別排外主義的治安管理体系の撤廃を促進しなければならない。