共産主義者同盟(火花)

商品経済の深化と信用の拡大(1)

渋谷一三
220号(1999年12月)所収


1.商品の成立と貨幣

 一般に商品が市場で交換されるためには、商品の中で価値尺度を示す媒体が必要である。この点の詳しい分析は、榎原均さんの『価値形態・物象化・物神性』(1990年資本論研究会発行)を参照されたい。
 この価値尺度となる商品として特別の位置を占めたのが、金という商品だった。
 マルクスが第一形態から第五形態まで詳しく分析した過程は、実は一挙に進展する一連の過程であって、実際は金であるか否かの相違はあるものの、市場で商品交換がなされる時には一定の金(あるいは金の位置を占める価値尺度を表す特定の商品)との交換がなされていたはずである。
 これは論証することが難しいので、論の前提とすることの出来ないことであるが、国家の成立とともに鋳造貨幣が成立しているようだ。実際に商品を交換するためには、貨幣が必要であることは、簡単に想像できよう。物々交換では範囲が限られ、価値尺度がないために交換は一時的・臨時的なものになってしまい、多くの場合は贈与のし合いということだったのではないかと推測される。
 ひとたびそれが商品として、即ち、市場での交換を目的として生産される財として生産される以上、たとえ市場が一年に一回とか月に一回しか開かれなかったとしても、その交換に貨幣が必要になってくる。

 十日市・四日市・三日市と市の開催が定期的になり、且つその間隔が狭まるにつれ、貨幣の必要量は増大する。歴史をみてみると明らかに経済政策の失敗とみられる場合があるにしても一般に貨幣の必要量が急激に増大した時期に、金の生産が間に合わず鋳貨を集めて金の含有量を減らして鋳造し直すということが行われた。『悪貨は良貨を駆逐する』というそれである。
 この行為は一般に行わせれば今で言うインフレ効果をもたらすとともに「不正所得」を得る結果になるために、国家によって独占的・一元的に行うことが求められたが、当時の技術の水準では、独占的・一元的に行うことが出来なかったが故に悉く失敗した。
 しかし、交換する商品の量が増大すればするほど、貨幣の必要量が増大するという事情が貨幣の鋳造し直しを要請したのだと言う事情それ自体は変わらない。良貨のままにしておいたらよかったのだという批判があったとすればそれは当たらない。貨幣の量が足らず、商品交換が滞りなく行うことが出来なくなったはずである。これは、例えば10%足りなかったら10%分滞るというものではなく、ネックの玉突き現象を起こして全体が滞ってしまう性質のものである。
 解決は金の増産以外になかった。

 金の増産が無理になり、商品交換量の増大のスピードについていけなくなった時に西洋世界は世界探検に出かけた。「新大陸」からの略奪が金に偏っていたこと、黄金の国ジパングが世界最大の金輸出国として西洋世界の危機を一時的にすくった。このことは、東洋世界が銀本位制に近かったために金と銀の交換比率が西洋世界にとっては暴利になったという歴史の「偶然」によって、危機の先送りとして成立した。
 しかし、必要とされる貨幣の量(即ち商品交換の絶対量)と生産される貨幣の量との不均衡の解決は不断に要請され続けたばかりでなく、その矛盾は繰り返される度に激しくなっていった。
 この解決形態として自然発生的に生み出されたものが、金預かり証の流通です。すなわち、金預かり証がそのままで流通し、金貨の代用をするようになるのです。これが金行券、銀本位制に近かった日本風に言えば銀行券の発生です。
 金預かり証は、金の加工による磨損・紛失・詐欺などの事態に対応するために自然発生的に生み出されたものであるが、金との引き替えを保証するものであるが故に金と同等の価値を表示する。それゆえに、流通することが可能ではある。言ってみればコロンブスの卵で、銀行券が一般的になるのにさして時間はかからなかった。というのも貨幣の量が相対的に不足しているという事情があったから。
 銀行券が普及するとともに、言葉本来の意味での金本位制が始まる。このことは、商品流通の絶対量の増大と貨幣の増加というモチーフから見るとどうなるか。必要とされる量の金貨がなくても、いつでも金貨にかえますよということで、流通を求めている商品の価値尺度として健全に機能することを保障すると同時に、金の価値を一定に保った上で金の増産スピードと「無関係」に、商品の価値を金で表示する機能を十全に果たすことを保障する。金貨が足りなくても少しもかまわないという状況をもたらすことができたのだ。
 このことを、銀行による信用の創造という。
『歴史的に本源的金を集中した貨幣取引業者は自らの蔵(金庫)にある金を滞留させ、間欠的に一部を払い出す(自己宛債務の支払い履行)一方、他方で消費財・サービス業者から金貨での預金がたえず流入してくる。そこで貨幣取引業者は銀行Bank(もともとは古代イタリア語で貴金属を扱っていた細長いテーブルを意味するBancoに語源を発する)となる。
 そして銀行の金庫から金貨が間欠的に、しかも一部しか流通せず、かなりの部分が滞留し、他方で金貨預金が流入してくる。そこで銀行業者は経験的にどの程度貸し出せば、どの程度の金貨がどういうテンポで流出し、他方、どういうテンポでどれだけの量の金預金が流入してくるかを、しだいに計算できるようになってくる。つまり、一定の準備金のもとでいくら信用創造で貸し出しができるかが分かるようになるわけである。』
       (向 寿一 著「マネーゲームのからくり」法律文化社 1991年 P.43)

 信用創造によって商品流通量に見合う金あるいは金貨がなくても、価値尺度機能を銀行券によって果たし、商品を流通させることが保障されたのであり、ここに一挙に、それまでの経済史を貫通してきた矛盾の解決形態が見出されたのです。
 しかし、向さんの引用にあるように、信用創造は一定の準備金の下で、経験的に知られた一定の比率でしか出来ず、限界のあるものでした。危機の先送りは出来たとしても、いずれまた矛盾が生まれる程度まで商品経済が深化し拡大することを避けられるものでもないのです。
(以下,続く)




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