共産主義者同盟(火花)

NATO軍によるコソボ空爆について

山村 聡
215号(1999年7月)所収


 NATO軍の2カ月半におよぶ空爆によって、コソボに住んでいた比率多数のアルバニア系住民は、ほぼ完全にユーゴ国境外に出ることを余儀なくされた。
 コソボ解放軍による武装独立運動を鎮圧しようとするユーゴ軍の軍事作戦を、米英は「民族浄化作戦」と名付け、空爆に踏み切る大義名分としたが、皮肉?にも、NATO軍の空爆によって「民族浄化」は達成された。
 停戦の条件であるNATO軍の進駐によって、今度はセルビア系住民が避難を開始した。NATO軍とともに戻ってくると予想されたアルバニア系住民の報復をおそれてである。
 しかし、停戦条件にはロシア軍も含まれていた。NATO側はロシア軍を進駐させる前にNATO軍を進駐させアルバニア系住民を戻す目論見だったのだろう。そこで、ロシア側への連絡・調整を意図的にサボタージュした。だが、業を煮やしたロシア軍は早々とコソボへ進駐した。
 準備なくして、NATO軍進駐後わずか1日でロシア軍を進駐させることなど出来ない。ロシア側はNATO側の目論見を見抜いていたと思われる。(後日、ロシア軍をユーゴ警察が先導した事が明らかになった。)

 さて、NATO軍とほぼ同時のロシア軍の進駐によって、コソボは、両"派"の住民が避難したままの「空白地帯」になった。
 NATOの軍事作戦の結果、セルビア系・アルバニア系両方の住民が難民化したのである。 手にした現実は、これである。
 これは、明らかに、「紛争解決」という大義名分に反する結果だ。
 そこで、そもそもの、「民族浄化」なるものについて、検討し直してみる必要がありそうだ。

 事の是非の判断はさておき、自国内で独立運動が起きた場合、武装闘争に対しては武装闘争(軍投入)を対置するというのはよくあることだ。当の連合王国(大ブリテン・北アイルランド連合王国=英国)が、北アイルランドに対してそうしている。また、歴史的にも、イングランドがウェールズ、スコットランドを併合し、連合王国となり、その上に立ってアイルランドを一旦は併合した。現在もなおアイルランドの独立運動鎮圧の「成果」として北アイルランドを併合し続けている。これとは性質が異なるが、最近盛んになってきたスコットランドの分離独立運動に対しては、スコットランド議会の設立を申し出て、譲歩・懐柔をしようとしている。
 軍投入をとやかく言う資格は英国にも米国にもない。その武力の階級的性格・歴史的役割が問題なのであって、軍を投入したからいけないなどという形式論議は、自らの空爆開始という行為をもってしても、その無効性を宣言している。
 だが、NATOは、ミノシェビッチが民族浄化をしたからいけないと言い張っている。このことだけでも、NATOの空爆の大義名分がいかに欺瞞に満ちたものかが分かろう。
 ミノシェビッチ政権の武装独立運動に対する軍事行動は、現在の国際法上は、何ら問題とはならない。換言すれば、階級的視点を殊更隠蔽する以外にはない現行の国際秩序の表現たる国際法では、ミノシェビッチ政権の軍事行動を切開することなど出来ないということだ。

 立場をコソボ自治州の独立運動の側においてみよう。この立場からは、ミノシェビッチの軍事弾圧は糾弾されてしかるべきである。
 だが、仮に、独立が達成されたとして、今度は比較少数のセルビア系住民に対して、独立運動側はどのような態度を取るのだろう。
 「民族自決」は方針たりえず、民族自決だけでは、逆にセルビア系住民への陰陽の抑圧しかない。残念ながら、コソボ独立運動側の現在の行動をみる限り、セルビア系住民の追放という現実しかない。
 「民族浄化」を否定し、両系住民の共存を方針とするのであれば、「民族自決」は合い言葉足り得ない。過去のユーゴスラビア共和国が、「民族自決」ではないものによって統一を維持していたように、現ユーゴも「民族自決」ではやってゆけないのだ。将来実現を夢見た小コソボにおいても、この事情は同じで、民族自決一般の主張は何ら進歩的役割を果たすものではない。
 時代は進歩し、民族自決を当然の事とした上でのその先を要求している。民族自決さえ対置していれば進歩的役割を果たせた時代の終焉を表現している。
 コソボ独立運動にはこうした先進的課題に答えなければならないという責務がある。ミノシェビッチ政権が民族抑圧的であるならばそれを批判し、実現されるべき政策を自らの綱領として対置しなければならない。ミノシェビッチ政権が民族抑圧的でなく、米国の諜報機関の肝煎りで作られたコソボ独立運動の側こそが民族主義的であるのならば、この組織を解散することが必要だ。
 銃撃によってセルビア系住民を追い出しているコソボ独立運動に対しては、ここまで幅がある。

 解放運動を組織している側には例外なくある態度=歴史分析・階級分析・自らの歴史的役割への洞察――こうしたものが欠落しているかのようにしか映じないコソボ独立運動には、是非とも何らかの声明を発表してもらいたい。
 ミノシェビッチ政権にもまた同じ事が要求されている。米国の支援を受けた武装組織との闘争が不可避であった事までは承認できるが、その軍事行動はより反動的な代物であったのではないか。民族自決の先の方針を巡って苦闘しているのであれば、「民族浄化」と喧伝されるような事態(仮にそれがどんなに一部の事態であったとしても)を引き起こさなかったのではないか。国際法を盾に取った位置からの民族主義の鼓舞では、何ら事態を解決するものではない。

 こうした不分明な事であるにも拘わらず、米国・英国は、即座に介入を決定した。
 自らの位置が反動的だから、民族自決の先が求められているなどという認識を持つことが出来ないからだと言ってしまえばそれだけのことになってしまう。空爆の消極的承認をせざるを得なかったドイツ・フランスの政治的立場との相違はどこから出てくるのだろうか。
 この点で興味深いのは、空爆開始によってドルが高くなり、ユーロがドルに対して相対的に安くなったばかりでなく、他の通貨に対してもユーロが弱含みになったという現実である。
 この間に米国では再再度バブルを生み出す事に成功し、現在では、バブルによる利益を確保するために、バブルの移転を開始している。ユーロは再びドルに対して若干の値上がりを示し、東京金融市場には大量の「外資」が流入しだし、株価をつり上げ始めている。後は適当なところでこの資金を大量且つ一時に引き揚げるだけのことだ。

 ユーゴに対する空爆は、ドルのユーロに対するドル基軸体制を守るための通貨戦争なのだと指摘する論点が空爆開始直後に提出された事を紹介し、ユーロに加盟していない英国が米国と協同歩調をとったという符合性と相まって、この観点からの政治・経済分析もあり得ること、及び、この観点からの暴露の深化を、一方法として、読者に提案する。




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