−ガイドライン法案反対!北朝鮮民主化支援!−
国際的なプロレタリアートの協同を作り出していこう!
プロレタリア行動委員会
214号(1999年6月)所収
4月27日、いわゆる「ガイドライン関連法案」が衆議院を通過した。
「周辺事態」の解釈における恣意性が問題として焦点化されてきたことにもかいま見られるように、アメリカ帝国主義による世界規模での軍事行動に、いっそうのフリーハンドを与えるものだ。
現在継続されているNATOによるユーゴ空爆においても明らかになっているように、敵の軍事力のみを標的とした(非戦闘員を巻き込まない)「きれいな戦争」などあり得ない。また、現代戦において「前方・後方」の区別はなく、とりわけ兵たん輸送のために利用されようとしている運輸関連労働者らにとって自らが攻撃の危険にさらされることへの危機感は切実である。また、沖縄の民衆にとってはまたぞろ基地重圧に拍車をかけられることをも意味する。
このかん、多くの地方議会で同法案に対する反対、もしくは慎重審議を求める決議があがっている。その背景には、自治体行政自身の危惧に加え、地方議会に対してねばり強くはたらきかけてきた住民の運動、地域的取り組みがある。
こうした運動の広がりの発火点の一つとして沖縄における反基地闘争の高揚があった。それに直接・間接に呼応するかたちで全国的に広がった運動は、現在自治体・民間諸施設に対して着々と仕掛けられている戦争準備・軍事的指揮系統整備などと対決し、従来の政策阻止闘争にはなかった質(単にスローガンをあげて終わり、というようなものではなく)をもって展開されている。
ところで、今回の新ガイドラインが「朝鮮半島有事」をにらんだものであることは周知である。そしてこの地域における軍事的衝突、それへの日本の参戦を許さないことは、私たちにとって第一の任務である。
しかし一方で私たちは次のことにも目を向けなければならない。現在のところのこの地域における「戦争状態の欠如」が、北朝鮮の民衆にとってはけっして「平和」といえる状態ではない、ということだ。
これまでに数百万の餓死者を出したと言われる飢餓状態のなか、北朝鮮の民衆は草の根を喰い、あるいは当局による弾圧の危険をおして国境を越えて難民となり、生きるための苦闘を強いられている。そしてその一部はこの、ともすれば戦争にも等しい災厄=独裁と飢餓の現実を伝えるための行動にも立ち上がりはじめている。金正日は「わが人民がまともに食べることができないことを知りつつも、あすの強国を建設するために(人工衛星=ミサイルの開発を進めた)」といってはばからない。「われわれ式社会主義」を標榜する朝鮮労働党政権はもはや党幹部を中心とした特権階級の利害を代表するものでしかなくなっている。北朝鮮の民衆が独裁体制のくびきから自ら解き放つことへの援助は、私たちが日米の軍事的策動と対決・訣別していくうえでは必須の課題として立ち現れる。
新ガイドライン安保体制、それに支えられたアメリカの軍事プレゼンス(あるいは軍事行動)がこの事態を解決するわけではない。金正日政権を一方ではなだめ、一方では軍事的抑止力をきかせてアメリカ、あるいはその尻馬にのる日本が狙うのは、自らの国益を損ねぬよう対北朝鮮交渉を有利に進めることだ。そのためにはむしろ現金正日政権を相当の期間にわたって生かさず、殺さず維持させていこうとさえするだろう。現にアメリカ政府は他方で北朝鮮に対し食糧をはじめとする援助をも行い、政権崩壊を防ごうとしている。 だがその下で確実に殺されていくのは人民である。「アジア・太平洋地域における平和と安定」−それは、人民にとっての、ではなく金融資本の運動にとっての「平和と安定」=ブルジョアジーの階級的利害の貫徹にすぎない。そのためには戦争をも辞さないが、割に合わなければ独裁政権の手助けだってする、それだけのことだ。
では、私たちは誰と共にあるべきなのか?
ガイドライン安保との闘争を、「平和な現在」や旧来の反戦運動を守るための抵抗とだけとらえるのではなく、また金正日政権への「応援」として作用してしまうような反対運動にとどまることなく−そう、敵の敵は味方ではないのだ−、錯綜する国家的利害から自立した判断力を形成していこう。そしてかなう限り北の民衆と直接むすびあう事を追求し、国際的なプロレタリアートの協同をつくりだしていこう。