昨今の北朝鮮情勢について(上)
市田市蔵
208号(1998年12月)所収
はじめに
この間、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)をめぐっては、8月のミサイル発射騒動をはじめ、9月には約8年ぶりに最高人民会議が開催され「金正日新体制」が発足、それ以降も核関連施設の建設判明に伴い朝−米関係が緊張化するなど、目の離せない動向が継続している。北朝鮮のこうした動向は当然、朝鮮半島だけでなく東アジア地域の今後を見ていく上でも、大きなカギとなることは疑えない。
われわれは北朝鮮現政権=朝鮮労働党に対し、これまで本誌上で幾度か評価を試みてきた。それは要するに、朝鮮労働党が朝鮮半島北半部におけるプロレタリア大衆の利害を代表する政治組織ではなく、むしろプロレタリア大衆に対する徹底的な抑圧・収奪の上に成り立っている、ということである。
とすれば、北朝鮮現政権=朝鮮労働党の諸政策に対しても、「社会主義建設をめぐる苦闘・動揺」とか「帝国主義に対する対抗・防衛」といった従来の先入観を排除した上で、そのありようを客観的に分析する必要がある。
こうした観点から今号以降三回にわたって、昨今の北朝鮮情勢をとり上げることにする。まずはミサイル発射について見ていこう。
1:ミサイル発射
(1)経緯
さる8月31日、防衛庁は「北朝鮮の咸鏡北道から弾道ミサイル(いわゆる「テポドン」)一発が発射され、東北地方を横断し、三陸沖に着弾した」との発表を行った。日本列島は突然の出来事に震撼し、北朝鮮の「脅威」をめぐるさまざまな言説が巷を飛び交った。
これに対して、日本政府は翌日の夕方に「政府方針」を発表し、日朝国交正常化交渉や食糧支援の凍結、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の費用分担に関する署名の中断など、北朝鮮への強硬な対応を打ち出した。また、軍事情報の収集強化という観点から、ミサイル防衛システムの開発に関する検討を行うことになった。
ところが、9月4日に北朝鮮当局が朝鮮中央放送を通じて「8月31日に人工衛星を搭載した三段式ロケットを発射。衛星は軌道に乗り、地上に向けてモールス信号や『金日成将軍の歌』などを流している」との声明を伝えたことによって、事態は急速に展開する。
そもそも「弾道ミサイル発射」に関する詳細な情報は、在日米軍から日本政府に伝えられたものである。しかし「人工衛星声明」以降、米国は当初の見解を徐々に修正し、9月14日には「衛星打ち上げ失敗」との政府見解を出した。韓国も同様である。
結局、日本だけが取り残された形となったが、10月21日、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の軽水炉事業への費用分担に関する署名に調印したことからも分かるように、日本政府の対北朝鮮政策は米・韓との協調を第一義とするものである。防衛庁の最終報告では「弾道ミサイル」との結論が維持されているものの、米・韓・日の一体化という基本ラインの上で政治決着がはかられたと見てよかろう。
(2)サブ情報
ここで問題となるのは「軍用か衛星か」というミサイルの目的である。この点については日本政府と北朝鮮政府および米・韓当局との間で、主張は明確に対立している。そこで、以下、いくつかのサブ(副次的)情報を導入してみたい。
(1) モスクワ放送によると、ロシア戦略ミサイル軍スポークスマンは8月31日の記者会見で、ミサイル発射について北朝鮮側から事前通告を受けていたことを確認する一方、「ミサイル発射は失敗した」と述べた。(8月31日付『ラヂオプレス』=9月1日付『毎日新聞』)
(2) ミサイル発射の際、「発射現場にイラン、シリアの軍事関係者が立ち会った」(軍事関係筋)との情報がある。(9月1日付『読売新聞』)
(3) また米情報機関は、イランの軍事代表団が8月20日から北朝鮮に滞在した形跡があると報告。同国代表団は1993年のノドン試射直前にも北朝鮮のミサイル実験場を視察していたとの情報があり、テポドン発射の際、同代表団が立ち会っていた可能性が出てきた。(9月7日付 『京都新聞』夕刊)
こうしてみるといかにも「軍用」らしく思えるが、これらの情報も不確定要素が高い。まず、(2)と(3)に関しては確定的な裏付けがとれておらず、追跡調査もないようである。また、(1)に関しては次のような相反する情報がある。
(a) タス通信によると、ロシア外務省のラフマニン情報局長は9月1日、ミサイル発射実験について懸念を表明し、北朝鮮に外交ルートを通じて事情の説明を求めていることを明らかにした。一方、ロシア太平洋艦隊報道部によると、同艦隊はミサイル発射について北朝鮮側から予告を受けていなかったという。(9月1日発『共同通信』=9月2日付『京都新聞』)
(b) ロシア国防省は4日、「ミサイル発射なら国際協定に基づいて事前に通告しなければならない。それがなかったので、我々は人工衛星の打ち上げだったと理解している」と述べた。 (9月6日付『朝日新聞』)
(c) タス通信によると、ロシア軍の宇宙飛行追跡センター当局者は9月4日夕、北朝鮮が初の人工衛星打ち上げに成功したことを確認したと発表した。(9月5日付『毎日新聞』夕刊)
このように一見してロシア発の情報は著しく精度が低い。したがって、ロシア発の情報をもとに北朝鮮当局の公式見解を補強しても仕方がないし、そもそも軍事情報が諸国家の独占状況にあり、諸国家が国家的利害に基づいて情報の表出と隠蔽を行う以上、最終的な「真実」を明らかにすることは不可能に近い。
現状で確証できるのは、北朝鮮当局の言うように「27メガヘルツの周波数」に同調することだが、これについては「モールス信号」や「金日成将軍の歌」などが聴こえたという報告は皆無である。また10月6日付の朝鮮労働党機関紙『労働新聞』には、北朝鮮上空を通過した衛星の目撃談が紹介されているようだが(10月22日付『朝鮮時報』)、北朝鮮以外でそのような「目撃」はなされていない。
(3)ミサイルをめぐる構図
以上、くだくだしく情報を紹介した理由は、要するにミサイルの「用途」に拘泥する無意味さを明らかにするためである。
今回のミサイル発射は基本的に北朝鮮流「瀬戸際外交」の一環である。そしてそれは、発射から「人工衛星声明」までに4日の間隔があったように、また声明よりも日本の対応を批判する発表が先んじたように、「軍用か衛星か」不明だというところまで含んだものとしてある。言い換えれば、「外交カード」としてのミサイルである。
北朝鮮側からすれば、ミサイルが軍用と受け取られようが衛星と受け取られようが、少なくとも対日関係に限って言えば大した問題ではない。というのも、仮に日本の対北朝鮮政策が硬化したところで、日朝国交正常化交渉はこの間「日本人拉致問題」や「日本人配偶者の里帰り問題」によって暗礁に乗り上げていたため、大きな痛手とはならないからである。
それよりも、問題は対米関係への波及だったはずだ。今回のミサイル発射に関して、日本と米国・韓国の対応の違いを「当事者性」を軸に考える論調がある。しかし「当事者性」で言えば、在日米軍の存在意義という点でも、またミサイル発射に伴う周辺地域の緊張激化を考えても、多少の差はあれ米国も韓国も当事者なのである。その意味では、北朝鮮側にとって最大の懸案は、ミサイルに込めた自らの意図を米国側が「正しく」読むかどうかにあったと言える。
結論から言えば、北朝鮮側の意図を「ミサイル・カード」と読んだからこそ、米・韓ともに政治決着を第一義とする対応を試みた。なぜ、米国側が北朝鮮の意図を捉えたのか、それはよく分からない。ただ、1994年の「米−朝枠組み合意」以降、米国側が幾度かの高官協議を通じて北朝鮮の繰り出す「瀬戸際外交」に習熟していたという「素地」はあった。また、ここ数年のアジア金融危機、とりわけ韓国の経済的落ち込みという条件も踏まえる必要もある。逆に言えば、北朝鮮側はそうした諸条件を勘案した上で、ミサイル発射という波及効果の強い行動に踏み切ることができたのだと思われる。
他方、普段から独自の対北朝鮮政策を持たない日本は、北朝鮮側の意図を「軍事行動の一環」とだけ読み、それゆえ最終的に米・韓から「はしごを外された」格好になったのである。「軍事」が政治の延長であることは言うまでもない。
(4)問題は何か
このように、今回のミサイル発射を国家間のパワーバランスという観点から見れば、日本も何ら被害者ではない。というのも、一見「割をくった」かのように見えて、たとえば懸案となっている「新ガイドライン安保」に向けた有事体制の構築に関しては、ミサイルは明らかに追い風となった。また、独自の軍事情報収集へ向けての足がかりもできた。
米国は日本以上に得をした。「TMD(戦域ミサイル防衛)システム」の開発にはばく大な資本を要するが、そこに日本を巻き込む大義名分ができたのである。また、国防総省が11月23日に発表した「東アジア戦略報告」に明らかなように、ポスト冷戦時代になって比重低下が取り沙汰されていた在日米軍基地についても、あらためてその存在意義をアピールすることができた。「新ガイドライン安保」についても同様である。
北朝鮮に関してはもとより言を待たない。こう着している外交関係を動かし、ミサイルの性能を確認し、「金正日新体制」の始動に向けて国内的な求心力を高めるという意味では、十分過ぎるほどの効果があった。
つまり、問題を国家同士の次元に限れば、損をしたものはいないのである。とすれば、何も問題はないのか。
もちろん、そうではない。今回のミサイル発射によって、もっとも不利益を被ったのは北朝鮮の民衆である。というのも、本来ならば深刻な食糧難を少しでも緩和し、餓死者を減らすために使われるはずの国庫財産が、いたずらに浪費されたからである。
北朝鮮における食糧危機の実態、またそれが政治体制に起因するものであることについて、われわれはすでに本誌上で一定の分析を加えている(第195号、秋沢晧市「安保改悪=新ガイドライン安保と北朝鮮食糧問題」1997年11月)。したがってここでは再説しないが、ただ一言、食糧危機に一向に改善の傾向が見られないどころか危機はますます累積し、餓死者はすでに100〜200万人に達し、また万単位の人間が事実上の難民として隣国の中国へ越境していることをつけ加えておこう。
もとより、食糧危機は長期にわたる失政を原因とするため、ミサイル一発の費用で根本的に解決できる問題ではない。しかし、軍事偏重・個人崇拝偏重の財政を民生重視に転換すれば、現状でもある程度の改善が可能なことは容易に想像がつく。まして、一方で世界中に食糧援助を呼びかけながらミサイルを開発するのは、主張に整合性を欠いている。それが人工衛星ならなおのことである。
ミサイル輸出によって外貨を獲得するにせよ、「外交カード」として関係各国から資本を引き出す材料とするにせよ、いずれにしても現に飢餓に直面している民衆にとっては「絵に描いた餅」に過ぎない。それはプロレタリアートの利害に基づく政策とは無縁な、北朝鮮現政権=朝鮮労働党という一握りの特権階層の利害をこそ第一義とするものである。
言うまでもなく、ミサイル発射をめぐる日本政府の対応、民間右翼による在日朝鮮人に対する民族排外主義と闘うことは、日本人プロレタリアートの第一の任務である。しかし、その闘いは一国的に閉じたものであってはならない。なぜなら、問題が国際的に生じている以上、その解決も国際的に行われざるを得ないからである。
プロレタリアートによる国際的な問題解決とは、まさに国境を越えたプロレタリア同士の共同と連帯の創出に他ならない。この点で、「帝国主義と反帝国主義」の角逐という観点から、日本と北朝鮮、米・韓・日と北朝鮮といった問題設定を行うならば、北朝鮮民衆の置かれた苦境、それを強制する現体制の反民衆的本質を見失うことになるだろう。
北朝鮮現政権=朝鮮労働党の限界を暴露し、北朝鮮民衆のプロレタリアートへの成長を支持し、それとの連帯へ向けて歩むのか、はたまたプロレタリア国際主義の任務を自国帝国主義の諸政策との闘争に切り縮めるのか。今回のミサイル発射をめぐって日本人プロレタリアートに鋭く問われているのは、これである。