マルチカルチュラリズム(多文化主義)のゆくえ
―オーストラリアの人種・エスニック問題をめぐって 3
杉本 修平
207号(1998年11月)所収
6.保守派のマルチカルチュラリズム批判
(1)ブレイニー論争
1984年3月、高名な歴史学者であったブレイニーが、ある講演会の席上、アジアからの移民・難民の大量受け入れを批判する主旨の発言をした。その内容がセンセーショナルに報道され、以降、約1年にわたって、マスコミ、エスニック団体、学界、教育現場を巻き込んで「ブレイニー論争」が繰り広げられた。
ブレイニーはまず、深刻な不況下、多くの失業者を抱える状況で移民の大量受け入れを図ることは、失業者のさらなる増大と社会不安の高まりをもたらしかねないと指摘した。分けてもアジア人移民の受け入れに批判の重点をおき、オーストラリアの「アジア化」の急激な進行は、社会的緊張を高め、戦後築かれてきたオーストラリア人の人種的寛容を破壊することになると警告した。また、多文化主義政策に対しても、それがオーストラリア国民を貫く「赤い糸」、すなわち、広大な土地と資源を辛苦と創意工夫をもって開発してきた(英国・アイルランド系移民の)歴史的記憶を断ち切るものだと非難した。労働党政府は「最も反英国的な政府」であり、税金を使ってオーストラリアを「国際的な実験室」に変えようとしている、というわけだ。
ブレイニーは自己の主張を「サイレント・マジョリティ」を代弁するものだとした。しかし、国民の反応は冷淡で、ブレイニーを公然と支持したのは退役軍人同盟や自由党・国民党の一部にすぎなかった。論争においては、当時のホーク労働党政権はもとより、自由党・国民党の多数、労働組合や失業労働者、そして、戦後のヨーロッパ移民の多くがブレイニー批判派に回った。
また、論争は歴史観をめぐっても展開された。ブレイニーに代表される正統史観、すなわち、オーストラリアの歴史を調和と進歩の過程と見、自由経済体制のもとでの開拓者たちの才覚と勇気を発展の原動力と見る歴史観に対して批判がたたきつけられた。ブレイニーの批判者たちは、オーストラリア移民の経てきた歴史が、階級闘争や人種・民族抗争の歴史であり、アボリジニに対する侵略と抑圧の歴史でもあったことを指摘した。そして、このような、被抑圧者の視点に立った歴史の問い直しが、マルチカルチュラリズムの具体的政策、とりわけアボリジニの土地返還運動への対応や積極的是正措置等につながっていくのである。
結局、ブレイニー論争は、皮肉にもオーストラリア・マルチカルチュラリズムの定着を証明し、また、その深化を促すことになったと言えるのである。
(2)「ニューライト」の多文化主義批判、「英国的伝統への回帰」をめぐって
ブレイニー論争以降も、保守派の側からのマルチカルチュラリズム批判は相次いで登場した。それらに共通するのは、オーストラリアという国家の「統一的なアイデンティティの維持」の要求である。問題はそのなかみだが、要するに英国的伝統・価値観とされるもので、自由と秩序、個人主義、能力主義、公正さ等々が挙げられる。これらの概念は市民社会における普遍主義的な価値規範と重なるものだが、そのアクチュアルな内容ははっきりしない。(注1)
例えば、「アングロモーフィ」(イギリス的形態)の擁護を掲げる「ニューライト」と呼ばれる一群の知識人グループ。このグループは、ブレイニーと異なりベトナム難民の受け入れを支持した。が、それは、反共産主義の経験から彼らがアングロモーフィ文化にたやすく同化するだろうという理由からだった。ただ、「ニューライト」の次のようなマルチカルチュラリズム批判については少し立ち入った検討が必要だと思う。
「多文化主義は各エスニシティの文化をできるだけ完全に維持しようとするが、それらの中には、レイシズム、女性蔑視、無知にもとづく頑迷でグロテスクな伝統もふくまれているはずだ。多文化主義は、そうした価値観の再生産までたすける危険をおかしかねない。文化は相互作用をつうじて発展していくのが不可避なはずなのに、そうした過程をさまたげようとする、退行的で静的な文化観に多文化主義は立っている。」(注2)
もちろん、ここで「ニューライト」が言いたいのは、「進んだ」アングロモーフィ文化のもとにマイノリティの「遅れた」文化を引き上げ、マジョリティの側に統合することが必要だということにほかならない。それが「相互作用」や「発展」の実際の意味である。 だが、多文化主義の「退行的で静的な文化観」に対する批判は、「政策として」のマルチカルチュラリズム批判としては、一面において的を射ているように思う。マルチカルチュラリズムが、多文化社会を構成する要素としてのエスニック文化それぞれを独立したもの、純粋なものととらえた上で、それらが単に並存するような状態をめざすものだとすれば、そこには新しい可能性などない。「純粋な伝統文化を維持する民族(国民)」という政治的なフィクションの地平(このようなフィクションは近代における大規模な政治的動員と闘争のために創造されてきた)を一歩も越えないからだ。マルチカルチュラリズムが新たな人種・エスニック関係を模索するものだとすれば、「純粋な伝統的文化」等々が虚構であることを明らかにする契機としての意味をこそ持たなければならないだろう。
ただし、問題は現実の社会的文脈の中でとらえられなければならない。というのも、同化・統合圧力にさらされ続けているマイノリティの側に立てば、支配文化との間に「相互作用」の関係を築く前提として、独自のアイデンティティをもったエスニック集団の形成を図ろうとすることは当然だからである。こうした、いわゆる「サラダボウル型」社会への志向に対して、特にマジョリティの側は、その志向を承認した上で、社会生活の具体的場面において、互いの言動を規定している文化をすり合わせる努力をしなければならないと思う。「相互作用」とは、おそらくこの実践以外ではあり得ないからである。ただ、例えば、各エスニック集団が多文化社会において自己の文化を"one of them" ととらえるのではなく、"the one" ととらえるなら、関係の形成は難しい。
しかし、自己のアイデンティティの相対化を拒否する態度についても、それを発生させる根拠がある。様々な抑圧や強力な同化の圧力であったり、資本主義社会のもとでのエスニック集団の分解の危機であったり、という具合にだ。特に、アボリジニの場合、彼らにとっての問題は「先住民文化」対「移民文化(の全体)」であって、自らの文化を多文化社会のひとつの構成要素として相対化することを認めないという主張が強く存在する。アボリジニの土地を奪い、生活と民族性を破壊し、徹底した不平等においてきた歴史と、その結果としてある特別な地位とを多文化主義の文脈に解消させるわけにはいかないということだ。そして、今日、アボリジニの運動の中からは、オーストラリアからの分離独立をめざす動きが生まれている。また、世界各地の先住民とのネットワークを作る動きも進んでいる。ここでとりあげたようなアボリジニによる多文化主義批判の歴史的な根拠と、その運動の普遍的な意味とをつかむことは、多文化主義の境域での関係を越えた関係を見い出す条件となるのではないだろうか。
このように、マルチカルチュラリズムを静的な一般的理念ではなく、人種・エスニック間の「相互作用」関係を多様につくりだしていく運動ととらえるなら、人々の経験と意識を人種・エスニック関係のアポリアを生み出している歴史の側に開いていく契機ともなり得るだろう。
先走りになってしまった。ともあれ、以上を踏まえて再度「ニューライト」ら保守派の主張を見てみると、その限界と反動性は一層明らかだ。先の引用に戻る。例えば、(エスニック文化の中の)「レイシズム、女性蔑視、無知にもとづく頑迷でグロテスクな伝統」というとらえ方は、偏見や西欧的規準に基づく一面的評価という側面をもつ。一見グロテスクな現象に合理性が内在する場合があること、あるいは、西欧先進国の文化にもある角度から見ればグロテスクなものがいくらでもあることを捨象した謂でもある。
当然のことだが、エスニック文化に差別的な要素はないとか、批判を投げかけてはならないとか言うのではない。具体的な課題をめぐって、相互に開かれた、働きかけとしての批判を通じて、内発的な変化を促すこと(「変化」の担い手となる人と運動をつくりだすこと)が必要だと思うのだ。この関係は双方向的なものである。従って、自由、平等、民主主義等の内容自体も問われ、鍛えられることになる。この過程を通じてこそ、それらは真の意味での普遍性を獲得するのではないか。
このような観点から言えば、「ニューライト」等の言説はあまりに粗雑で無内容だ。彼らが掲げる自由、平等、民主主義、道徳等は、懐旧的で、形式的・抽象的なものでしかない。これら保守派の形骸化したブルジョア理念とスローガンは、多文化主義政策をめぐる対立・論争・実践が、エスニック集団を巻き込み、平等や民主主義のなかみをめぐって進んでいる現実に立ち遅れている。彼らの言う「国民統合」が空疎なものであることはもはや明らかだろう。ブレイニー、「ニューライト」、そしてハワードら、80年代に登場した保守派の論客たちは、結局、マルチカルチュラリズムに代わる「統合」の展望を提出することができず、後退していったのである。(注3)
7.「一つの国家」党と「新人種主義」をめぐって
(1)「サイレント・マジョリティ」の反乱?
しかし、ブレイニー言うところの「サイレント・マジョリティ」、英国・アイルランド系移民の子孫を中心とする白人(中下層)労働者の中の不安や不満が消え去ったわけではない。本稿でも何度かとりあげている「一つの国家」党の登場と影響力の拡大がそのことを示しているように思われる。現在、「ハンソン論争」が展開されており、多文化主義をめぐるこれまでの論点がすべて登場していると言われる。
ポーリン・ハンソンと「一つの国家」党についての資料が手許に少ないため、詳しい検討はできない。が、新聞等で報道されていることを見る限り、その主張は極めてシンプルで、白人労働者の失業や低賃金の元凶をアジア人移民・難民(の増加)に求め、政策の転換を迫るとともに、移民・難民やアボリジニに対する援助を白人貧困層に振り向けることを要求する(「逆差別」批判)といったものであるようだ。
このような主張は、もちろん見当はずれである。アジア人移民労働者の流入にせよ、オーストラリア社会の上層に位置するアジア人が増加している現状にせよ、資本(多国籍企業)の運動やそれに対応して経済成長を図ろうとする政策選択によって引き起こされていることは前章で述べた。白人(中下層)労働者の失業や困窮についても同じことが言えよう。従って、誤解を恐れずに言えば、その解決への展望は階級闘争の領野にしか見い出せないのであって、エスニシティや文化の戦場にはない。
「逆差別批判」についても同様である。移民・難民に対する援助にせよ、アボリジニに対する積極是正措置にせよ、人種・エスニックという境域において、それぞれに異なる、固有の歴史的根拠をもつ不平等状態を改善するために獲得されてきたものである(5章参照)。そうしたことを捨象して貧困・生活難一般から「同様の」援助を求め、それが実現されないと「不公平」を訴えて積極是正措置の打ち切り(による公平)を要求する、こうした主張や運動に対する批判をここで改めて述べる必要はないと思う。
その上で、「レイシズム」「白豪主義への回帰」と指弾されている「ひとつの国家」党の特徴に関して、今少し見ておきたい。
(2)「新人種主義」をめぐって
ハンソンらの主張と運動は、欧米諸国における排外主義運動、人種主義運動と多くの点で共通性をもっているようだ。今、これらの運動について、次のような特徴を指摘することができる。まず、「文化が、『自然(生物学的な性質)』と同様に不変で、はるかな起源から系譜的に伝えられた規定として、したがって人間をアプリオリに分割する規準として受け取られている」(注4)こと。これは反ユダヤ主義をもっとも顕著な前例とする「人種なき人種主義」の再生だと言える。そして、もともとマイノリティの求めてきた「差異への権利」を逆手にとり、各エスニック集団に民族的権利を主張する権利があるなら、マジョリティにも同様の権利があるという、「差異主義的人種主義」が広がっていることである。
総称して「新人種主義」と呼ばれるこのような主張と運動が、労働者の多数を獲得するということは考え難い。だが、当然その影響を労働者から一掃するための条件は何かを考えなければらないし、また、それにとどまらぬ問題を引き出すことができるように思う。例えば、今、なぜほかならぬ「文化」の差異が人々の間に境界を引く決定的根拠とされるのかという問題。あるいは、「差異への権利」がもともと現実の社会的な力関係と不可分のスローガンであったにもかかわらず、人種主義者の側が簡単に逆手を取れるほど「軽く」なってしまったのはなぜかという問題。これらはマルチカルチュラリズムそのものを照射する問いでもある。
ただ、この作業は手に余る。今後に委ねたい。ここでは、ひとつの作業方向に関して簡単なメモを示しておくにとどめる。
しばしば指摘されることだが、人種主義運動のひとつの特徴は非常に単純な論理と言葉にある。だが、この単純な論理と言葉こそが、少なからぬ人々を感情を含めて動員する力をもっているのではないか。排斥・差別する側の暗黙の共同性を呼びさます役割を果たしているのではないか、ということだ。むろん、この共同性は実体的なものではない。あれこれ面倒なことを言葉にする必要がないほど、みんなわかりあっているという幻想だ。この幻想を生み出す根拠は何か、それを取り除くためにどうすればよいかが問題だが、少なくとも、暗黙の部分を表に引き出し言葉化することがいると思う。それは「レイシズム」のレッテルを貼ることや人種に関する科学的教説を広げることではない。今必要なのは、ここでも前提を表に引き出すこと、つまり、なぜ人種主義は悪なのかという問いに対する答えだろう。公式やステレオタイプではない答え、そして、それを位置づけるコンテクストを明示する言葉だ。労働組合、コミュニティ、その他様々なチャンネルを通じた教育・宣伝活動の経験の中からそれらを見い出しすことが課題である。
8.「下からの」マルチカルチュラリズム
(1)拡大する運動空間
6章で、保守派の主張に対する批判を通じて、運動としてのマルチカルチュラリズムの意義と可能性についてあれこれ述べた。しかし、実際のところ、20年以上にわたって経験を積み上げてきたマルチカルチュラリズムの実践的な担い手たちは、とうに先を走っていると思う。また、マルチカルチュラリズムの定着は、オーストラリア社会のありようを深く規定しているだろう。コミュニティ、教育現場、労働組合、エスニックグループ等の活動をつぶさにとり上げる中で、われわれは多くの教訓を得ることができるに違いない。が、筆者にはとてもできない相談だ。『オーストラリア解剖』(永井浩著)『オーストラリア6000日』(杉本良夫著)等を参照していただきたい。
以下、筆者なりにとらえた運動の特徴や現在的な課題のいくつかを示しておきたい(引用は上記書、著者名のみ記す)。
1) マルチカルチュラリズムの支持者たちは、「政策としての」マルチカルチュラリズム批判において、社会的公正の実現を一貫して主張してきた。彼らは、表層的なレベルでの文化の交流・共存によっては人種・エスニック間の不公正は解消しない、文化の構造的側面に踏み込むことが必要だ、と主張する。「エスニシティ内部の階級や性による差別、レイシズムを生み出す社会構造に目をつぶったまま」では「主流の経済的、社会的特権は維持されたままだ。すべてのオーストラリア人の社会的平等と機会均等の実現をはばむ壁への挑戦なしには、本当の多文化国家の建設はありえない」(永井)ということである。
2) エスニック集団の階級・階層分解が進んでいる。また、先述のとおり、アジアからの経済移民は従来の移民・難民とはかなり違った意識と生活様式をもっている。マルチカルチュラリズムは、これまで、エスニック間の「水平化」を追求してきたといえるが、アジア人の中の「垂直化」が進む可能性がある。エスニック集団、アジア人をひとくくりにして考えることが難しくなっている。こうした中で、エスニシティではなく、個としてのアイデンティティを主張する人々が現れている。
3) 人種・エスニックという線引きを越えて草の根的な運動が拡大している。
「民族レベルのマルチ・カルチュラリズムは、他の次元における多文化主義への眼を開く。オーストラリアでの女性解放運動、フェミニズム、男女平等論などの強さは、この関係を抜きにしては考えにくい。少数民族の自律性を尊重するということと、男性に抑圧された性としての女性の独立性を大切にするということとは、考え方の構造としては相似形である。」(杉本)
(2)マルチカルチュラリズムと「国民統合」をめぐって
オーストラリアのマルチカルチュラリズムが、人種・民族・エスニシティの「次元」を 越えた重層的・多元的な運動空間となっていることがわかるだろう。この「次元」と運動空間は資本主義社会の構造や内在的な矛盾が生み出したものだともいえる(「ポスト植民地時代」の状況も含めて、この点についての分析は別の作業に委ねる)。それはまた、社会の中に生きる人間(アイデンティティ)をも規定する。その多元的で重層的な「全体」をとらえ、引き受け、転換することが必要なのだと思う。
オーストラリア・マルチカルュラリズムのキーワードとなっている「寛容」の意味はこうした観点からとらえることができる。むろん、問題が政治・社会制度に関わるような場合、実際的な解決が問われる。その際に重要なことは「合意形成」の能力である。この能力の獲得は、すでに述べてきたように、問題のコンテクストの公開とそのつきあわせ、現実的条件に関する判断の共有、様々なレベルでの意思決定と実行への参加、意見表明の自由の保証等々を条件とする。これらの点についても、様々な運動・組織において意識がはらわれているようだ。寛容という言葉はこうした意味でも用いられている。むろん、人々には、合意と決定を自ら守っていく自律性が求められる。が、自律性もまた社会的関係の中でしか育んでいくことはできないだろう。
ところで、マルチカルチュラリズムの推進者たちは、それを「国民統合」の中心理念におくことを主張している。だが、マルチカルチュラリズムは、古い区切りに基づく秩序を自律的な結合に基づく新しい社会秩序に置き換えようとする実験ではないか。それが歴史的概念としての「国民統合」とすっきり結びつくとは思えない。
さらに、次のような問題を指摘しておかなければならない。
先に触れたとおり、資本主義のもとで階級・階層分裂が不可避に進行している。それは社会諸集団の地位の変動や分解・序列化とも結びつく。この現実を脇においた形での「国民統合」は全くの幻想である。そして、本稿ではとりあげなかったが、オーストラリアの国家(権力)機構をどうするのか、という問題がある。それは、資本主義的秩序を維持するために構築されたものであり、不断に境域を越えようとするマルチカルチュラリズムに対する「たが」としての役割を果たし続けるだろう。また、それは帝国主義の世界支配体系の一環として存在する。オーストラリアの国際政治でのふるまいがストレートに多文化社会内の政治的緊張につながることは想像に難くない(注5)。
だが、これらの問題に対する回答もまた、今日の運動空間における膨大な活動、論争の経験の中からしか見い出すことはできないだろう。
オーストラリア・マルチカルチュラリズムのゆくえに注目したい。
さいごに
オーストラリア・マルチカルチュラリズムの経験は、多くの先進資本主義国における社会運動の経験とつながる普遍性をもっているようだ。エスニシティの問題で言えば、一見先祖返りに見えるこの動きは、「アイデンティティ」を求める流行の志向と基本的には変わらないのではないか。こうしたことの分析を通じて「資本主義世界文化」(レーニン)の現在的なありようをとらえ、それとの関係で階級闘争の方向性を考えることができるのではないかというのが本稿を書く動機だった。
が、その準備作業としての意味さえ持たぬ文章になってしまった。以下に参考文献を挙げておく(ただし、筆者が目を通したものに限られている)。自らの問題意識に引きつけて利用してもらいたい。
ただ、暗黙の前提を据えた分析、さらにいえば、少数の経験と思念から生み出された階級闘争(理論)に社会問題(現象)を還元し、現実に適用する、というようなやり方から抜け出す必要があるとますます感じるようになった。
差別や排外主義、家族や教育の問題、労働の問題・・・等を生み出す構造は決して単純ではない。その構造とぶつかっていく社会的な力をできるだけ大きく結びつけていかなければならない。そのために、それぞれの「次元」において運動に取り組む人々自身が当面する問題への回答を準備するとともに、その作業を直接結びつけ、「コンテクスト」をすり合わせ、共通の言葉に定式化していくことが必要になっていると思う。「綱領」を作り出す仕事。この共同作業をあらゆる面で促進すること。そのために、「つながり」をつくる仕事を担う活動者を多くつくりださなければならない。自身をより広い社会的な交通の場に開き、多元性・全体性をとらえてしなやかに判断し行動し得る人々を、だ。
おそらく、オーストラリア・マルチカルチュラリズムを支えているのは、コミュニティ活動家や草の根の運動家をはじめとする多様なネットワーカーだろう。世界各地に同様の活動を進めている人たちの動きが存在する。その動きに参加し、生きた情報を得、自らの言葉を発信する、こうした仕事を進めていく必要があると思う。
了
参考文献
『概説 オーストラリア史』(関根・鈴木・竹田・諏訪)/『オセアニア現代史』(北大路)/『オーストラリア歴史の旅』(藤川)/『マルチカルチュラル・オーストラリア』(関根)/『オーストラリア解剖』(永井)/『オーストラリア 6000日』(杉本)/『移民・難民・援助の政治学』(竹田)/『エスニシティの政治社会学』(関根)/『エスニシティと社会変動』(梶田)/『国際社会学のパースペクティブ』(同)/『歴史の転換と民族問題』(加藤編)/『「エスニック」とは何か』(青柳編)/『ラディカル・デモクラシーの地平』(千葉)/『「民族」を読む』(徐)/『エスニシティと多文化主義』(初瀬編)/『アメリカの分裂』(シュレジンガーjr)/『マルチカルチュラリズム』(テイラー・ハーバーマス等)/『人種・国民・階級』(バリバール・ウォーラーステイン)/『増補 想像の共同体』(アンダーソン)/『国民とは何か』(鵜飼・ルナン・フィヒテ他)/『オリエンタリズム』(サイード)/『多民族社会の到来』(岡部)/『民族・国家・エスニシティ』(岩波・現代社会学)/『国際移民の時代』(カースルズ・ミラー)/『インパクション! (99) 』『現代思想 (1993・8)』『言語 (1998・8) 』他