独占資本のための新ガイドライン・有事立法の狙い
流 広志
202号(1998年6月)所収
インドネシアにおける反スハルト民主化闘争の高揚,韓国での民主労総による大規模ストライキ,インド・パキスタンの核実験の強行等々とアジアは揺れている。この激動の中で,共産主義者・プロレタリアート人民は,未来を握る階級として自己を成長させなければならない。その事業と結びつき,そして交流と共働,相互作用によって共に成長していくことが日本のプロレタリアート大衆に求められている。以下,そのために,事態の経過を簡単に押さえると共にアジア諸国のプロレタリアートの革命的行動を抑圧する軍事体制としてより整備されようとしている日米新ガイドラインと有事立法の関わりを不十分ながら暴露しておきたい。
<インドネシア危機にみる日本独占資本の利害と新ガイドライン・有事立法の狙い>
昨年来のアジア諸国を襲っている経済危機の深刻さについては,今さら強調するまでもないほどあからさまになっている。それにたいして,IMF(国際通貨基金)による救済融資は,資本の自由化を条件とし,政府には緊縮財政を求め,そのために増税や物価引き上げなどの措置を取らざるをえなくなったために,アジア諸国での,政府と民衆の間の緊張は高まり,ついにインドネシアでは,ガソリンや公共料金の値上げを引き金として,学生を中心とするスハルト退陣を求める運動が巻き起こり,失業者や半失業者らを中心とした民衆暴動や民主化を求める一部のイスラム団体の運動を呼び起こし,32年にわたって独裁体制を維持し続けてきたスハルトを退陣に追い込むにいたった。そして学生たちは引き続き,民主化闘争を果敢に継続している。
インドネシアでの今回の事態の発生にともなってインドネシア国軍との共同訓練中の米軍部隊が急いで沖縄に帰還させられ,あるいはジャカルタ沖には海兵隊の部隊・強襲揚陸艦等々が待機し,同時に沖縄の嘉手納基地においてはじめて米軍のパラシュート訓練が行われる等々,アメリカ軍は,事態に対応して活発に動いていた。アメリカの海兵隊はインドネシアの在留米人を救出するために待機していたというのだが,スハルト退陣までに残っていたのはどういう種類のアメリカ人だったのだろうか。
インドネシアでスハルト独裁体制を軍事・治安面で支えてきたプラボヴォ戦略予備軍司令官とインドネシアの治安部隊を訓練してきたのはほかならぬアメリカであり,これらの部分によって,学生運動や労働運動や民主主義運動や東チモールなどの被抑圧民族の独立運動などが徹底的な血の弾圧を被ってきたのである。アメリカはスハルト独裁を軍事・治安の面で支えていたのである。しかしプラボヴォ中将は解任された。そして,治安当局によって不当に拘束されている大量の政治犯のうち,前国会議員と労働運動指導者の2名が恩赦によって釈放された。
日本政府は,反スハルト闘争が高揚するに及んで,早速,邦人保護を理由にして,自衛隊法にもとづく準備行為として,航空自衛隊のC−130輸送機を愛知県小牧基地から出発させ,フィリピンのマニラを経由して,シンガポールで待機させた。同時に,航空自衛官がジャカルタに派遣され,調査活動を続けた。さらに,海上保安庁の巡視艇2隻が派遣された。
自民党の国防族の一人である山崎拓政調会長は,これは「周辺事態」であるとか,マラッカ海峡が危険な状態になれば日本の国益が脅かされるとか,シーレーン防衛云々とか,海外での邦人救出のために自衛隊艦船を派遣できるようにする自衛隊法改正を急ぐべきだとか,好き放題のことを述べた。アメリカは早い時期に,自国民の輸送には民間航空機を利用する方針を固めており,早々と自国民を民間航空機で出国させた。それにくらべて日本政府は,スハルト独裁による治安弾圧の力を信じていたためか,対処が遅れ気味であった。
それでも学生やイスラム団体が大規模集会を予定していた21日の「民族覚醒の日」までに,工場や事務所などの財が心配で自発的にあるいは一部報道によれば本社の指示によって残された「ビジネスマン」を除いた部分は民間航空機で脱出できたのである。その後はこれらの「ビジネスマン」を救出するために,自衛隊が待機させられていたわけである。
しかしそのC−130輸送機は,シンガポールで待機しつづけたあげくにそのまま撤収された。そこから,要するにこれは,自衛隊の海外派兵の既成事実化を積み重ね,「本番」に備えているのだという見方が出されている。しかしそれは,少々うがった見方であり,インドネシア情勢次第では,実際に,自衛隊機はジャカルタに向かっただろう。そうしなければ,インドネシアに進出している企業から厳しく避難を浴びることは確実であったろうから。そうしてそれは自民党を支える大ブルジョアジーから見放されることを意味するからである。だからこれは国益のためというけれども,実際には,一部大ブルジョアジーのためであり,その利害を守るために,政権党が動いたということなのである。
そして,その後,ブルジョアジーやその代弁人たちは,日本の大銀行や大商社などがインドネシアにある巨大な債権が不良債権化すれば,日本経済が大ダメージを受ける,と言ったのである。ところで,これらの金融資本・大商社・メーカーなどのインドネシア進出について,大方の日本の人々が,相談を受けたこともないし,それを何らかの手段で賛成か反対か問われたこともなければ,それを表明した覚えもない。そこから得られる利益が,誰に分配されたかについて,説明を受けたこともないのである。
とにかく,日系企業が海外に持つ権益が,日本の重要な死活的な国益であると改めて公然と宣言されたわけである。そんなに危険ならば撤退してはどうかという意見は,それは一部の企業の損失の問題というわけにはいかなくなってしまっているという既成事実をたてに,否定されてしまうだろう。それらの資本が国際巨大独占に成長してしまったということ,そのために,それらの企業の損得に日本経済が大きく左右されてしまうということになってしまっているという既成事実を動かしようのない固いものだとブルジョアジー自身が信じているしまたそれを人々に信じ込まそうとしているからである。
それをきっちりと規制することができないことが問題なのであるが,それには,これら巨大独占企業をプロレタリアートが内から規制できることと同時に世界的な規模のプロレタリア的機関によるコントロールが必要なのである。協同組合企業化への転化についても具体的に検討すべきだろう。さらに,営業の秘密の廃止(このことを真に実現するためには,競争をなくさなければならない),アジア諸国の労働者と半労働者などの搾取によって作り出された海外資産を放棄し現地のプロレタリアートの下に置くこと,等々の方策を実施することが必要である。技術的その他の点で,国際的なプロレタリアートの協力は不可欠である。また,資本が作り上げた国際分業・協業体制を変革するためのプロレタリアートの国際協力も必要である。
ところが,ブルジョアジーとその代弁人は,在外邦人の救出と言えば,同時に,対外資産(投資)の安全を守ることであるという事実を隠すのである。ブルジョアジーの目では,人も物も,資本に属するものとして現れるので,それらの区別はブルジョアジーの頭の中ではいともかんたんに解消させられてしまうのである。
ブルジョアジーは,自らは,より多くの利潤のためには,外国資本と手を結んで,自国民を欺いて法外な利益をまきあげ,あるいは国際闇カルテルや国際シンジケートを結び,あるいは発覚したようにヘッジ・ファンドの「空売り」に日本の機関投資家が手を貸して株価を操作しては膨大な利益をあげるなどして,自国民からも海外資本と手に手を取って平気で共同で利益をむさぼっているのである。これが,日本人の「プライド」を人々に押しつけながら,自らはそれから自由であろうとしている大ブルジョアジーの実際の姿なのである。
アジア諸国などで,巨大な権益を持つにいたった大独占資本の利益を守るために,自衛隊をできれば自由に使いたい,そこでこれらの企業が大きな損害を受ければ日本の経済全体に大きなダメージを受ける,それは国益を左右する事態なのだから,当然なのだというのである。大ブルジョアジーは,その利害を,新ガイドラインによって守ってもらいたいのである。そうしてその利害は個別的なものではない,それはブルジョア階級全体の利害ではないか,あるいは階級を超えた国益ではないか,と訴えているのである。
プロレタリアート大衆が,こうした支配階級の欺瞞にだまされてはならないし,だまされはしない。新ガイドラインが,わざとあいまいにしている「周辺事態」という概念に隠されているブルジョアジーの利害を見逃しはしない。自治体や港湾・空港,民間施設,そして公務員と民間労働者の軍事動員の企みは,一部のブルジョアジーの利害のために,プロレタリアート大衆を動員し犠牲にしようとするものにほかならない。そのブルジョアジーの企てを挫折せしめるプロレタリアート大衆の闘いを発展させることが必要である。
「革命的プロレタリアートは,うむことなく戦争反対の煽動をおこなわなければならないが,そのさい,一般に階級支配が維持されるかぎり戦争はのぞかれないことを,つねにわすれてはならない」(レーニン 国民文庫=117 「旅順口の陥落」130頁)のである。
<インド・パキスタンの核実験による世界の核安保体制の動揺と新ガイドライン>
5月11日,インドは,西部のラジャスタン州ポカラン砂漠で,地下核爆発実験を行った。13日には,2度目の核実験を強行した。カシミール地方の帰属をめぐって,独立以来,3度にわたる戦争を行ってきたインドの核実験の強行にたいして,パキスタンは,5月28日,バルチスタン州チャガイ実験場で核実験を強行し,さらに二回目の核実験を30日に行った。 インド・パキスタン両国による相次ぐ核実験の強行により,また両国が,核武装(核弾頭ミサイルの配備など)がほぼ確実な情勢であることから,5大核保有国を固定しそれ以外の国に核兵器保有を認めないとしてきたNPT(核不拡散条約)体制とCTBT(包括的核実験禁止条約)体制は崩壊の可能性が高まってきた。
インド・パキスタンの両国にたいして,アメリカ・日本・ロシア・中国など多くの国が核実験の強行を非難し,大国クラブのG8の場などでも,これを非難する声明が出された。しかし,インド・パキスタンに対する具体的な各国の対応となると,各国の利害の差などによって,対応に温度差があらわれた。イギリスのインドにたいする制裁措置への消極性や中国・ロシアの対応の慎重さ,イスラム諸国の反応の不透明さ・・・・。そして,日本は,日米安保体制がアメリカの核抑止力を前提としていることをつかれて,「唯一の被爆国」としての立場からの批判に説得力がどれほどあるのか,と反論されている始末なのである。アメリカは,一方で他国への核拡散については極めて厳しい対応を行いながら,自らは,核技術の高度化を図るための「未臨界実験」を強行しているのである。
インド・パキスタンの両国政府が,アメリカや日本などによる経済制裁の実行を織り込み済みであり,そうして両者が,口を揃えて,「これは自衛のためにやむを得なかった」と述べたこと,自国の安全のためにはそれ以外の方法はなかったのだ,と自国の行為を正当化したことに注目しなければならない。インドにおいては,ヒンズー教の宗教政党であるインド人民党が,インドの大衆の現状にたいする不満を隣国パキスタンへの怒りに転化し,パキスタンのイスラム教国家が,パキスタン人民の現状にたいする不満を隣国インドにたいする憎しみへと転化させようとしているのである。そのことによって,これまでも,幾多の実例が示すように,その犠牲はプロレタリアートや貧困層や小農民や下層住民などが重く被らされるのである。核開発にともなう経済的負担の増大,軍拡競争を支える軍事費の負担の増加,戦争時の深刻な被害の影響の大きさ,戦後復興の困難・・・・。こうしたことでもっとも大きな不利益を被るプロレタリア・下層大衆に向かって,それを偽り欺くことによって,両国の支配階級・階層は,自らの真の利害を覆い隠しているのである。インドとパキスタンが今後の核兵器の拡散の震源地になる可能性について,いろいろ言われているが,両国がそして軍と軍需産業が巨大な利益を得る可能性を持ったということを見逃せない。
インド人民党は,成長してきたブルジョアジーと地方における地主階級のナショナリズムが身分制宗教であるヒンズー教と一体となって,階級対立を覆い隠し,多くのインド・プロレタリアート人民を欺いている。しかし,ナショナリズムの熱狂から冷める中で,被圧迫階級はそれが支配階級の利害によるものであったということに気づくだろう。
こうした事態にたいして,日本政府は,一見,経済制裁の決定や非難で,積極的な働きを行っているように見える。しかし1995年の「防衛計画の大綱」で「核兵器の脅威に対しては、核兵器のない世界を目指した現実的かつ着実な核軍縮の国際的努力の中で積極的な役割を果たしつつ、米国の核抑止力に依存するものとする」と述べており,日本が核廃絶の国際的イニシアチブを握ろうとしても,説得力が削がれているのである。
インド・パキスタンの核実験によって,五大国による核独占体制を前提として成り立っている現在のアメリカの核抑止力を軸としたアメリカの世界戦略は見直さざるを得なくなった。そのために現在の新ガイドラインをめぐる安全保障論議に大きな影響が生じる可能性が出てきている。なぜなら,アメリカは,南アジアにおける安保戦略を新たに打ち出すことになろうが,その際に,現在のアジア−中東の「二正面戦略」をも合わせて見直す可能性もあり得るからである。アメリカは極東地域での展開力の現状維持とイラクでの査察や制裁の継続のために,大きな戦略変更は困難にはちがいない。しかし,一層の世界への核拡散の危険性の増大は,アメリカの世界戦略を見直す十分な動機となりうるだろう。
この問題で日本のプロレタリアート大衆が世界の模範として行動するためには,アメリカの核抑止力を公然と認めている日米安保体制を解消し,そうした足かせをはずし,そうして,世界のプロレタリアート大衆と手に手を取って,ブルジョアジーの利害のための戦争と戦争策動に一貫して反対し,帝国主義と反動的ブルジョアジーの武装解除を公然と押し進める闘争の先頭に立たなければならない。