ASEAN諸国の通貨危機と日本の金融危機2
渋谷 一三
201号(1998年5月)所収
前稿で、ASEAN諸国の通貨危機の原因が、『この地域に投下された「過剰流動資本」であり、この主因は日本であり、ついで米国・EUが原因を形成している。』と述べた。
この記述は論理的分析からして、そう推定し断定したのだったが、最近になって商業新聞もようやっと事実を報道し出した。ということは、またもや、低金利政策や公的資金投入による金融支援の可能性が高まったということでもある。
本稿では、「過剰流動資本」あるいは、利子生み資本のその後の動きを分析する。
1. 野村証券金融研究所の調べによれば、都銀大手6行のアジア向け債権額は、東京三菱の371億ドルを最高に、6行だけで、1200億ドルに達する。130円前後で推移している現在の円ドルレートで換算すると、15兆6000億円にもなる。
これは、あくまで野村証券の調べであって実態は定かではない。一般的に推理してこれより巨額に上ると考えるのが妥当である。
このことについて朝日新聞4月18日付けは次のように報道している。『国内の不良債権処理にめどがつき始めた邦銀は、再びアジア不良債権という「重荷」を背負うことになる。』『欧米銀行の数倍のアジア向け債権を保有する邦銀は、さらに多額の処理が必要になると見込まれている。』
円キャリートレードによって持ち出された巨額の過剰資本は、ASEAN諸国でバブルを現出させた後、再びはじけ、マネーゲームの敗者である日本の銀行の巨額に上る損失という結果で収支決算をするという形式をとって、特定の利子生み資本の勝利を宣言して1ラウンドのゲームを終えた。
すなわち、マネーゲームは続いており、現代資本主義はバブルを巨大化させた上その克服が出来ずに「翻弄」されているのです。ASEAN諸国から引き揚げられた資金の一部は再び中南米に向かった。また、多くは米国金融市場に向かい、米国金融市場でのバブルを再び現出している。
中南米の債権処理は10年で終わった。日本は、米国の要求に応じて、メキシコの通貨安定のための資金を拠出した上、国内景気の拡大局面ということとバブルへの認識がなかったこととを条件として、日本へのバブルの転移によって、中南米の通貨危機を収束させた。今、中南米に投資している部分はこの事情を理解していないで、不断に投資し利子を生み出させるという至上命題にただただ従っているだけです。おそらく、中南米の処理がすんでおり、「成長の見込みがある」のはこの地域だとでも考えているのでしょう。
米国へ資金を投入している部分は、この事情を知っているか、もしくは、中南米諸国への投資にリスクを感じ、米国を選択しているだけでしょう。実質賃金を切り下げ、名目賃金でも日本の半分以下に賃下げをした米国にとっても、いくら景気が回復したからといっても9000ドルを突破した平均株価は高過ぎ、警戒感を表明するに至っている。
2.流さんとの認識の相違
『火花』197号3ページで、流さんは次のように述べている。
『タイ経済は、・・・1980年代後期の日本と同じことが起こったわけだが、巨大債権国である日本ではなんとかこれをずるずると何年にもわたって持ちこたえられたが、そのような余裕の少ないアジア諸国ではそんな余裕はなかったのである。』
『これらのアジア諸国が自国通貨を米ドルと連動させるドル・ペッグ制を取っていたので、このところバブル的な経済成長を続けるアメリカの通貨=ドルと連動させ続けたことには相当の無理があったのである。』
『経済成長率を重視する現在の新自由主義経済学・・・・』
巨大債権国だから何とか持ちこたえられたという流さんの認識に対し、私は、バブルをASEAN諸国に転移させたから「持ちこたえられた」と認識する。確かに、債権国という立場は有利で、債権を回収出来ないという損失で済むということは出来る。IMF管理下に置かれることはない。だが、転移先でまた損失を生んだ事の認識の仕方に大きな違いをもたらす。また、韓国などが「過剰資本」を持っていたと仮定した場合の結論は大いに異なることとなる。流さんの認識によれば小債権国は持ちこたえられないことになるのだろうが、私の認識では小債権国であればあるほど影響は少ないという事になる。
ドルとの連動制が無理を生じさせたのではなく、バブルの崩壊が連動制で波及するのを阻止するために連動制を停止「させた」というのが私の認識になる。
経済成長率を重視するのではなく、利子率が最も高いと想定される地域に「過剰資本」が集中するというのが私の認識になる。
3. 4月27日、松永蔵相は東京三菱銀行頭取を呼んで、貸し渋り問題の解消を要請したそうだ。だが、銀行側はアジア不良債権を抱え込み、これ以上貸し出す事はできない。それを、国内産業の保護と不況打開のために貸し出せというならば、BIS規制をクリア出来るように、新たな自己資本の充実を政府がしてあげなければならない。
BIS規制とは国際的取り決めで、銀行の貸し出し残高が自己資本の一定の比率以下でなければならないとするものである。これは銀行の倒産に対する連鎖倒産防止の意味があるとともに、制定当時は、自己資本が少なくても預金好きの国民から大量の預金を預かることの出来る日本の銀行に対する国際的「制裁」の意味もあったものである。
欧米の銀行は、預金をあまりしない自国民からの資金調達が難しく、主に株式市場で資金調達をする方式を取っている。これは企業からの直接の資金調達の意味合いが強い。これに対して、投資先が限定されていない預金を背景にした日本の機関投資家たちは、利益が最も上がると見られる先に集中的に投資する事が出来、バブルを生み出す元凶とも見られたし、この領域での競争には欧米銀行は圧倒的に不利でもあった。日本の金融市場で直接に預金を集める事を阻止されていた欧米資本にとって、BIS規制を呑ませる事は是非とも必要なことだった。
さて、金融ビッグバンと称して、国内の金融市場の開放に踏み切らざるを得なかった日本は、日本国内で欧米の銀行が展開し直接に「自由な」資金としての預金を集める事を認めた。この点でBIS規制は歴史的役割を済ませたのではあるが、自己資本の少ない巨額の倒産は連鎖倒産を生み出しやすいのは確かであり、BIS 規制は廃止されそうもない。
日本の銀行は日本のバブルの崩壊によって貸し出し先を失い、アジアへと雪崩を打って貸し出した。これがまた回収不可能な折り紙付き不良債権となったのであるから、貸し出し限度額いっぱいになっており、貸し渋りが起こるのは当然なのです。銀行としては貸し出して利益をあげなければならないが、預金は豊富にあっても貸し出し限度額はいっぱいでこれ以上貸せないのです。
預金に利子をつけなければならない以上、超低金利政策は銀行保護のために必要である。しかし、債権を回収するか、損失として債権を放棄し貸し付け残高を減らす以外に、新たな貸し出しは出来ない。貸し出しができなければ、いかに低利とはいえ利子を補給することができない。そればかりか営業資金すらでない。超低金利政策の下の日本の国内企業への貸し出し利率は相対的に低いもので、損失を早期に回収する上でも、収益率の低い国内企業への貸し出しはしたくはない。それがバブル崩壊後の状況であった。現在はもっとひどいのです。
収益率の低い国内企業への貸し出しを嫌い、高い利子率を見込んで貸し出したアジアでの債権が焦げ付いたのです。簡単にいえば、貸し倒れしたのです。損失を補填するための「有利な」投資先が見あたらず、低金利での国内企業への貸し出しをする以外にはなくなった。にもかかわらず、BIS規制によって、その「不利な」融資をする事すらかなわなくなっているのです。
選択肢はない。損失として計上し、貸し出し限度枠内を掃除する以外にはない。その上で出来た貸し出し枠の中で低金利の融資をする以外にはない。であってみれば、リスクのある企業などに貸し出す金などないのです。
貸し出し枠が小さい事は、超低金利政策による保護を依然としてかなりの長期にわたって必要とする。少ない貸し出しから大きな利益をあげる事はできず、損失処理は遅々とする。その結果、貸し出し枠はなかなか広がらない。
日本の銀行は、6%台の高い利子をつけている米国金融市場へ資金を投入している。これは、最も安全で妥当な選択のように思われた。円相場は下がり続けているのだから、利子と円安とで、うまくいけば10%程度の運用益が見込まれるからです。
しかし、こうして資金が過剰に米国市場に流入した結果は、またもやバブルの発生である。企業が必要とする以上の資金は借り手を失い、だぶついている資金は株価をつり上げる作用しかもたらさない。
日本の銀行の倒産はそう遠くはない。米国バブルの崩壊とともに連鎖倒産という形に近い形でやってくる。政府は金融ビッグバンにより予想された事態であると説明し、パニックの発生防止に躍起になるだろうが、連鎖的に倒産する以上、取り付け騒ぎが起こる事も十分にあり得る。6大銀行への預金集中はますます加速されるでしょう。
バブルを統御することの出来ない資本主義の喘ぎが聞こえてくる。国境を越え自由に瞬時に移動する金融資本は今日、過去のいずれの時にもなかった規模で膨れ上がり、明らかに新たな歴史の区切りへ至っている。
次稿では、この新たな段階【幕・ステージ】の資本主義の描写を試みる。