湾岸危機の中間総括
流 広志
199号(1998年3月)所収
『旧約聖書』の「エデンの園」,人類の始祖としてエホバによって創造されたアダムとエバが住みそして原罪によって追われたという「楽園」の地と推定される地,チグリス・ユーフラテス川の豊かな恵みを受ける肥よくな三角デルタ,人類の古代文明の発祥の地,その上に,近代ヨーロッパの自由主義的帝国主義が人為的に引いた国境線を領土として成ったイラクと呼ばれる国家が,ヨーロッパの旧勢力と結びついたカトリック勢力からの迫害を逃れプロテスタント的信条である「この世」での「神の国」の実現を求めて新大陸に移住し,ネイティブアメリカンと今は呼ばれるようになったインディオの大虐殺と「インディオの自由な大地」の略奪を敢行しながら(これらはアメリカ社会の「地層」に眠らされている記録あるいは化石,記憶です)宗主国イギリスとの独立戦争で勝利して独立したアメリカという国家によって,戦争が仕掛けられた。
しかしながらこのアメリカの戦争策は,国連安保理常任理事国のうちロシア・フランス・中国の三か国の反対やインドなどの「第三世界」諸国,クウェートを除くアラブ諸国,スウェーデンやオーストリア,そしてアメリカ国内での武力行使反対の声の高まり,等々により,いったん挫折せしめられた。国連のアナン事務総長がバクダットに乗り込み,国連調停によるフセイン政権との「合意」が成立し,国連本部に帰ったアナン事務総長は,国連の勝利を歌い上げ,国連職員の歓声に迎えられた。
クリントン大統領と,対イラク強硬策を叫び激しい調子で武力行使を訴えたオルブライト国務長官は,渋々この国連の「合意」を受け入れざるを得なくなった。クリントン政権は,アメリカ議会で多数をしめる共和党からは,アメリカが問題解決のイニシアチブを取れなかったことを批判され,「合意」についての疑義が出された。共和党の疑義は,報道によれば,新たな査察メンバーに外交官を加えることについて,その選出手続きや基準が不明だということにある。しかしすでに問題解決のイニシアティブがいったん国連に移ったことは明白であって,今さら手続き上の問題を指摘したところで,これをアメリカの手に取り戻すことは困難であろう。
昨年のイラク危機は,国連の査察チームの構成がイギリス・アメリカに偏っていることとフセインの宮殿の査察にたいする不満からイラクが国連による査察を拒否したことから始まった。この問題が年を越して長期化(査察の中断)する可能性が高まるに及んで,イギリスとアメリカの「プロテスタント連合」は,アメリカがペルシャ湾岸に横須賀を母港とする空母「インディペンデンス」を始めとする空母部隊と艦船を派遣し,イギリスもまた空母を派遣し,待機させつつ,オルブライト国務長官を始め政府高官を湾岸諸国や関係諸国に派遣しアメリカ政府方針への賛同を求めて回った。
英米「連合軍」は,湾岸戦争の際に採択されたイラクへの武力行使を容認した国連安保理決議を今回の事態での武力行使にも適用されるとして自らの正当性を強調した。報道によれば,国連安保理での今回の事態に対する論争は,イラクへの武力行使について新しい安保理決議が必要かどうか,ということにあった。この場合,英米政府は,武力行使自体は正しいが手続き上の問題として新たな決議が必要かどうかという手続き論の次元に問題のレベルを移そうとしているわけである。しかし,すでにロシア・フランス・中国の安保理常任理事国三カ国が武力行使に反対しているので,そうした決議の採択はまず不可能といってよく,そして実際にアメリカによるこれらの国の政府への説得は失敗したので,英米政府の目論見は破綻してしまった。
アナン国連事務総長とフセイン政権の間で「合意」が成立してしまった。そこで,新たな安保理決議が用意されることとなった。この調整という場面で,やっとそれにふさわしいプレイヤーとして日本が登場することとなる。今回の事態で,事実上は英米の武力行使を「あらゆる選択肢を取ることを認める」という曖昧な表現で認めたことは,調整という役回りにふさわしいものであった。イギリスに抱き込まれながら,なお,アメリカが武力行使の容認と解釈でき,かつこれは武力行使を容認したものではないと言いうるような,妥協案が出来上がった。国連とイラクの「合意」がイラクによって破られた場合,それはイラクにとって「最も深刻な結果」をもたらすという決議は,小和田国連大使によれば,事態の見通しを述べたものであり,ただちに武力行使を意味するものではないというものであった。村岡官房長官によっても同様の解釈が下されている。しかしイギリス・アメリカはこれは武力行使を容認したものだと解釈している。同時に決議は査察の終了によって経済制裁が解除されることを再確認するものとなった。
アメリカの武力行使がいったん回避されたことについては,そうさせた圧力として,オハイオ大学での集会でオルブライト国務長官ら政府高官をたじろがせたアメリカの反戦派の力量の増大やアラブ人の反米感情やイラクの同族の苦難への同情,フセイン政権の弱体化に乗じて勢力拡大を狙っているというシーア派やイスラム原理主義勢力へのアラブ支配階級の危機感,などが挙げられている。またインターネットなどを使った国際的な連携も活発に行われた模様であり,今回の武力行使に反対する動きは91年の湾岸戦争時と比較しても極めて大規模でかつインターナショナルなものであると言える。日本でも,アメリカ大使館への武力行使中止の申し入れ行動,市民集会,デモ,議会政党への働きかけ,国会での社民党・共産党・地域政党などによる武力行使反対の表明などがあった。
すでに国連総会では「オリンピック停戦決議」が採択されていた。長野冬季オリンピック大会は,「平和の祭典」としての性格を前面に立てていた。同時進行のイラク空爆準備に象徴される「戦争」とオリンピックに象徴される「平和」。ハイテク技術の最新兵器がイラクに炸裂する戦争という崇高さの享楽と競技の身体技術の粋がもたらす崇高さの享楽とに世界が引き裂かれそうになった。しかしそのことは,同時に,国連総会の意志と英米の国家意志,あるいは国家主権と国家主権の制限,という解き得ぬ問いに引き裂かれている世界の実情を浮き彫りにするものでもある。国際司法裁判所が直面しているのは,この問題である。国家主権を裁くとは一体何を意味しているのか? それは超国家的な超越した立場による裁きなのだろうか? そうした超越は本当に可能なのか? 国連が採択し多くの国で批准されている諸宣言が,それらの国々でどうやって実効性を確保できるのか?
それは現状では基本的にはそれらの国々の国家主権次第であり,それは国際司法裁判所にしたところでそうである。国連は「加盟国の主権平等の原則に基礎をお」き,「その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」(国連憲章第2条)ということを原則として掲げているのである。また国連憲章第94条は,「事件の一方の当事者が裁判所の与える判決に基づいて自国が負う義務を履行しないときは,他方の当事者は,安全保障理事会に訴えることができる。理事会は,必要と認めるときは,判決を執行するために勧告をし,又はとるべき措置を決定できる」としており,この実効性の確保については安全保障理事会に担保されているのである。結局ここで国家主権の場に戻ってくる。したがって国連は国家主権を超越しているわけではないのである。
しかし同時に,この間,対人地雷禁止条約を成立させたオタワ会議や地球温暖化防止京都会議などの国際会議が,グローバルな意思形成過程の場として重要な役割を持ちつつあるのも事実である。これらの国際会議が政府代表と共にに非政府組織をプレイヤーとして認めていることは,世界の未来がすでに国家主権の限界を越える次元を要請していることを主権国家自身が認めざるを得なくなっていることを意味しているのである。少なくともそこまでは進んではいるのだ。
イラクの大量破壊兵器査察問題を解決するための方策として,これまでのやり方のどこに問題があったのか。要するに,これまでの大量破壊兵器の拡散防止については,基本的にはアメリカに対する脅威を取り除くというアメリカの利害と世界戦略の遂行とを重ねる形で実行されてきたことが問題だったのである。しかし今や,とりわけ経済次元では世界の密接な相互依存と連関が深まっており,そしてそのことを知ることが出来るということを前提としなければならないということを考慮に入れなければならないのである。例えば,イラク空爆の間に,ニューヨークの原油スポットが値上がりしたことを確かめるのは容易になった。そうするとイラク空爆という一事件が普遍的な性格を持ちうる可能性が現に存在していることが容易に認識出来るわけである。したがって,大量破壊兵器廃棄に関する国際会議が,国家主権同士が対立しあって隘路にはまってみうごきがとれずに停滞している現状を,出し抜く形で,その問題解決のイニシアティブを取り,国際的な意思形成を促進するということもあり得るし,それは「あらゆる選択肢」に含まれていてよいはずである。その場合に国連がそうした場の提供者でありその後援者であるという仕方でそれに係わるというケースも想定しうるわけであり,それはそれで現実的な選択肢の一つに加えることができるようになってきているのである。
イラク危機は武力行使がいったん回避されたことで終わったわけではない。相変わらず,ペルシャ湾には,空母部隊をはじめとする英米の大部隊が待機を続けている。横須賀から空母「インディペンデンス」が出航し,沖縄からもアメリカ軍兵士が派遣されている。それについて,日本政府は,国会で,これは「周辺事態」ではないし,「事前協議」の対象でもないと答弁している。
今やサウジアラビアはイランと接近をはじめ,EUと日本がイランに接近し始めた。イスラエルのネタニヤフ政権は相変わらず国連決議を無視してレバノン南部などの軍事占領地域を支配し続け,入植地拡大を止めようとはしない。レバノン南部ではヒズボラの攻勢でイスラエルの敗北は必至とも言われているが,しかし故ラビン政権が目指した和平への道は,多くのイスラエル人民が望んでいるにも係わらず,ネタニヤフ政権によって閉ざされたままである。
イラクの最大の反政府勢力と言われるシーア派によるフセイン政権打倒−権力掌握は,アメリカにとっても望ましくない事態であり,そうであればアメリカの望むような結果は短期の内に訪れることはまずないと見てよいだろう。とすれば,アメリカの「イラン・イラク二重封じ込め」政策は,北部のクルド人問題も絡み,フセイン体制が弱まれば弱まるほど,地域の不安定化をもたらすに違いなく,その心配が新たな国連決議に地域安保の必要を盛り込ませた理由であろうと推測される。しかし地域の主権国家間のバランスの上に安全保障を築く試みは,現時点では「イスラム復興運動」が築いている国境を越えたアラブ人民の国際的な強力な絆の力に依存するという事も含めなければその実効性を確保することは困難であろう。例えば,バーレーンが自国内の米軍基地の使用を拒否したのは,そうした勢力の圧力によると言われている。
国権の発動である戦争はいったん回避された。が,アメリカという一主権国家が世界の警察を気取っていまだに世界に自国の軍隊を派遣しているという異常な事態が続いている。アメリカは,「パワー・ポリティクス」の空しさに気づくのに,一体,どれだけの死者を積み上げようというのか。武力行使に賛同した政府(もちろん日本政府を含む)は,戦争というものが,戦前・戦中・戦後という「三世」に渡る過程を持っていることの重さを再認識する必要があろう。湾岸戦争の帰還兵士支援団体がまとめた報告では,劣化ウラン弾によるとみられる放射線被曝の影響が40万人に及んでいる可能性があると指摘されている。同じ劣化ウラン弾によると見られるイラクでのがんや白血病の被害も数万人に及び,また経済制裁の長期化の中で,医薬品や食糧の不足によって,貧困層や病者からどんどん死んでいっている。フセインの「大義」もアメリカの「正義」も“くそくらえ”と言いたくなる惨状である。注目と国際連帯,そして働きかけによって戦争阻止を共産主義者とプロレタリアート民衆の団結と創意でかちとる必要性はますます増大している。