高速増殖炉「もんじゅ」をめぐって
斎藤 隆雄
178号(1996年6月)所収
昨年12月にナトリウム漏れの事故を起こして操業を停止している「もんじゅ」を巡って、今どのような動きが進行しているのだろうか。政府の操業再開に向けた秘密裏の動きが進行していることは、言を待たないにしても、「もんじゅ」廃炉に向けた市民運動の取り組みの拡がりと、それを支える理念的な支柱はどうなっているのだろうか。はたして、「もんじゅ」廃炉の運動はどのような階級的関係の中で生まれ、これからどのような運動として発展していくのだろうか。80年代以降、国際的な動きとなっている環境問題をも視野に入れながら、この運動の位置と我々の取るべき態度を考えていきたい。
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ナトリウムの漏出火災事故後、今年に入って各地方自治体の首長や議会が運転再開に慎重な態度を求めたり、廃炉を求めたりしている。比較的保守的な政治的風土の中で、このような決議なり要望書が出てくること自体、今回の事故が引き起こした波紋は大きい。従来から、科学技術庁や動燃が「絶対安全」を口にしてきただけに、ショックが大きいのであろう。元々、高速増殖炉は原発開発国の中でも危険性が大きいということで撤退の趨勢があった中での今回の事故であるから、地元の抱えるリスクはきわめて高いと言わざるを得ない。
各地方自治体の「もんじゅ」に関わる利害というのは、基本的には電力会社の落とす税金、財政からの補助金といった金を巡る問題である。原子力開発の政策それ自体は、産業構造を支える根幹であるとか、国策であるとかいった内容が直接当該立地県に関わる利害とはならない。むしろ、中央の政治構造が混合政治体制の中で国家財政を誰が収奪するかといったことが、この90年代の政治過程の中で鮮明になってくるに従って、古い政治的枠組みが実効力を失いつつあるようだ。端的に言えば、環境保護派が反政府=お上に楯突く者という構図が成立しなくなったということであろう。
「もんじゅ」周辺の35市町村で26の市町村の首長や議会が何らかの意見書・決議を出している。その中には、今立町や宮崎村など6町村が事実上の廃炉を求めている。全国では、大阪府、長野県など108の地方自治体が意見書を採択している。(数字は今年3月末の集計である)
このような数字は、ブルジョアジーでさえ「もんじゅ」が危険であると認めているということであり、「もんじゅ」を支える政治経済的利害がきわめて限定されたものであることの証左であると思える。4月の反原発集会で地方議会での決議採択にまつわる逸話が紹介されたが、その中で「警察署で原発の学習をやった」とか、「保守系議員を交えて学習会を持った」とかいった話があり、そのことを裏付けている。
では、高速増殖炉はもはやお蔵入りなのであろうか。
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動燃の理事長が4月末に「騒ぎは鎮静化した」と発言して、騒ぎを再燃させたが、5月に入って科学技術庁から更迭処分を食らったことを見ると、政府内部の権力関係が拮抗していることを伺わせる。最終調査報告書と聴聞会の出来次第では、今年度の予算要求に間に合わなくなって、本格的な再開にはかなりもたつく可能性が高い。しかし、政府の基本的な方向は「通常の試験運転」再開であることには変わりはない。
「もんじゅ」廃炉に向けた市民運動はこの政府の方針にどのように闘おうとしているのであろうか。今の所、運動の中心的な課題は百万人署名の実現(たぶん既に実現されていると思われる)と各地方自治体への働きかけ、動燃科技庁への抗議行動である。とりわけ議員(地方と国会)への働きかけはこれから強まる方向にあるようだ。これらの行動を支える運動の基調は「プルトニウム利用政策の転換」であり、「もんじゅ計画」の廃止である。福島県、福井県、新潟県の三県が内閣総理大臣宛に送った提言にも書かれているように「プルトニウムの安全性への不安」があり、「国民の理解と納得が必ずしも充分でない状況」を踏まえ、情報公開を機構の中に位置づける「手続きを踏まえた上で」「原子力長期計画を見直すこと」を求めていくことになろう。市民運動の基調と地方自治体の意見は、今回の事故をきっかけに随分と接近したと考えていい。ただ、運動を支えている様々なグループや個人は、原発全体の廃止やエコロジカルな要求を掲げた部分を含めて多彩であるが故に、「もんじゅ」廃炉という一点に絞った政治要求運動に集約できるか、まだ流動的に見える。
もともと、反原発を要求する市民運動は反公害運動から、すなわち企業犯罪への告発糾弾という課題から出発した系譜がありつつも、戦後の行政主導型産業政策(混合経済体制)の下では、それが反政府運動へと発展する契機を普段に孕むものであった。であるが故に、様々な要求をその中に留めておくことが可能でもあったし、また運動の健全性も保たれたといえよう。環境運動という意味では随分歴史のある欧米の運動と異なる所は、その点である。ドイツの環境運動に今もヒットラーが影を落としていること(ヒットラー・ユーゲントが環境運動をしていたという歴史)と比して、それは幸いかもしれない。しかし、運動の拡がりという点においては、小ブルジョアジーの未成熟という点で随分希薄な層しか組織できていないことも事実である。その意味で、これからの反原発運動を含めた環境運動は、一方で自由主義的な情報公開運動や人権運動へ肥大化する可能性を持っている。「さきがけ」や「新進党」にその政治的表現を見いだすこともないとは言えないであろう。
エコロジカルな運動のこれからの方向を労働者階級がどのように組織するかは、この課題が抱えている運動領域の広さと深さから、何を学ぶかに係っている。
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4月27日に大阪で反「もんじゅ」の集会が開催された。主催は「とめよう『もんじゅ』関西連絡会」である。集会の内容は、今風のイベント形式で、映画上映あり、ライブあり、写真展ありで、メインの講演には広瀬隆や久米三四郎などを呼び、分散会も組織されていた。この中で、とりわけ注目したいのは、取り扱われている課題の領域である。「もんじゅ凍結要求」という中心スローガンと同列に「個人の節電の努力」を掲げるところが、不思議なのである。当日配布されたパンフレットによると、チェルノブイリ原発事故と乳ガン一次検診でのX線撮影反対の記事が並列されている。政府のエネルギー政策から、国際問題、医療問題、果ては個人の1アンペア生活といった場面にまで課題を広げようとしている。これは、ある種の文化運動であると言える。この領域は、かつて1930年代に展開された近代資本主義に対する様々なプロ文化運動の再燃かと思わせるものがある。
「もんじゅ」を巡る政府の政策が国際的な核シンジケートの中に組み込まれたきわめて政治的な色合いのものであるのに対して、運動の側はこの政治性に対して文化で応えている。これが果たして当面の「もんじゅ」廃炉につながるか否かは、定かではないが、確かにこれが核シンジケートを支えている帝国主義国家群と独占的な資本家グループの社会支配にオルタナティブなものを対置しているということは確かであろう。今だしっかりとした形をなしていないとは言え、この運動の基調が30年代に先行的に開花したプロ文化運動の資本主義的フォーディズムへの敗北の歴史から何物かを学ぶなら、少なからず労働者階級の闘いと連帯すべき内容を持つのではないかと思われる。
エコロジカルな運動の多様な方向を図式主義的な尺度で評価するのは、良きにつけ悪しきにつけ戒めねばならない。むしろ、真摯にこれに向き合うことから始めたいと考える。