共産主義者同盟(火花)

チアパスからの問いかけ
−アグアスカリエンテス・大いなる“計画”の構築への一歩−

早瀬隆一
160号(1994年12月)〜161号(1995年1月)所収


1.はじめに
2.メキシコ社会の流動−人々はその歴史的存在を主張する
3.連邦政府和平合意提示案の拒否とその根拠
4.前衛なるものを巡って
5.アグアスカリエンテス−大いなる“計画”への一歩
6.補足:「協議における威厳のなかに真実がある」

 「集団的労働、民主主義的な考え方、多数の人々の合意への服従、これこそ先住民族地域の伝統以上の価値であり、生存・抵抗・尊厳や反逆の唯一の可能性の根拠となってきた。大地主や商人の目からすれば″間違ったこの考え方″こそが、″少数の者の手に多くのものを″という資本主義の原理に真っ向から対決するのだ。・・・・・・
 この下方からの風、反逆の風、尊厳の風は、天上からの風による強制への対抗や勇猛な反論に止まるものではない。自らも新しい提起を行う。それは、不正で独断的な体制を破壊し、尊厳と反逆を自由と尊厳に変えようという希望である。
 この新しい声をこのチアパスの大地、そしてメキシコ全域で聞いてもらうには、どうすべきか。いまのところ、山々や渓谷を吹き抜けるだけで、カネが統治し、嘘が支配する平野部までは吹き降ろしていない。その見えない風を大きくするにはどうすべきか。
 山岳部からこの風はやってくる。すでに風は木々の下で生まれ、新しい世界を夢見ている。世界に活力を与える集団の魂のなかでしか直感されていない世界である。それほど、新しい世界である。」
(「チアパスー暴風と予言、二つの風の渦巻く南東部」1993.8.マルコス)

1.はじめに

 ラテンアメリカから立ち現れる政治的経験は、時に私たちに新鮮な驚きを与えてくれる。それは例えばサンディニスタの経験であったり、抵抗の500年のそれであったりする。彼・彼女たちの、現実と自己に根本的に向き合おうとする率直な言説は、我々白身の政治・運動・組織にとって豊かな示唆を与え続けてきた。少なくとも筆者にとってはそうである。
 そしてチアパス。1994年1月1日の武装蜂起以降、先住民族の武装政治組織、サパティスタ民族解放軍(EZLN)(注1)によって、メキシコ南東の山なみから発信された経験は、新鮮な驚きを私たちに届け続けている。軍事的鎮圧の粉砕(注2)−連邦政府との直接対話−政府和平合意提示案の拒否−国民民主大会の提起と組織化。一連の政治過程のイニシアティブはEZLNのもとにある。蜂起によって獲得された政治空間は意識的に社会をとらえ、社会に投げ返されている。8月6日〜9日には、国民民主大会が組織され、解放地域に1500団体の政治・社会組織の代表6千人が集い、各州の会議で出された提案や社会・政治組織が提出土だ提案を討議した。市民社会の再組織化、政治文化の変革と創造が、メキシコ国家との武装せる対峙のなかで胎動しようとしているかに見える。そして、それは解放地域の限定された空間においてではなく、メキシコ全土あるいは国際社会を貫く時間のなかで起きている。
 メキシコ民衆はもとより世界の少なからぬ人々が、彼・彼女らの闘いに魅せられているのは、何故だろうか。その<魅力>は何に起因するのか。
 この時代において武装闘争が生き生きとその輝きを発したことであろうか。もとよりそれもある。例えば、連邦政府との直接対話の光景。文字通り武装を堅持し、マスクと弾倉を帯びたEZLNの姿と光景は、疑いなく痛快でさえあった。
 しかし、より重要なことは、EZLNの闘い、戦術判断やそこでの主張(注3)のなかに、これまでの左翼運動に見られない<差異>が織り込まれていることではないだろうか。その<差異>は、先住民族の政治文化に基礎を置くものであると同時に、ソ連・東欧「社会主義」の敗北、そしてこれまでの左翼運動に内在してきた眼界や誤りを創造的に止揚していく志向を持ったものと言ってよい。時として詩的・文学的な語り口によって展開されるEZLNの言説は、少し気を付けて読むならば、それが冷静に慎重に言葉を選んだ極めて意識的なものであることに気付くだろう。政治言語からは零れ落ちざるをえない部分を保証しつつ、手垢のついた概念を異化しながら、そこに織り込まれているのは新たな変革の志向一新しい政治文化の創造であり、極めて今日的な問いかけに他ならない。
 筆者の関心は、主要には今日の戦術の問題をめぐって存在している。既に蜂起直後の文書(『火花』150号)の中で述べたように、国家との対決は不可避であるし、武装闘争は階級闘争の一定の発展段階における不可避の形態であるが、そのうえで、考えるべきは、国家との対決の内容は<新しい国家−社会>の質を現在的に準備することとの関係で措定されねばならない、ということである。そうした意味において、EZLNの経験からは、今日の戦術問題を巡る豊かな示唆を受け取ることが出来ると考えている。我々白身の綱領・戦術・組織を検証し発展させていくためにも、思い込みによる誤読を恐れることなく、EZLNの戦術と言説の中から彼・彼女らの<政治>を読み取りたいと思う。

2.メキシコ社会の流動一人々はその歴史的存在を主張する

「すべてのメキシコ人、すなわち先住民族、農民、労働者、学生、教師、主婦、スクウオッター(住宅占拠者)、芸術家、知識人、退職者、失業者、沈黙を強いられた顔を持だない男女が、尊厳と真の人生のために必要とする全てを得るまで、我々はマスクを脱がない。全ては、我々自身のためでなく、万人のために。民主主義、自由そして正義もなしに、国旗がメキシコの大地に翻っている間は、鋭敏な憤激をもって我々は闘い続ける。」(「6/10声明」1994.6.10)

 EZLNの<政治><戦術>を見ていく前に、蜂起以降のメキシコ社会の流動に触れておくこととする。
 1994年1月1日の武装蜂起は、メキシコにおける政治・社会空間をまぎれもなく一変させた。それは、「未完のメキシコ革命」「簒奪されたメキシコ革命」の時間を今日的質において復権させたと言ってもよい。
 都市部において、当初ためらいのうちに発せられたEZLNへの共感は、時を経ずして公然たるEZLN支持の声に変わる。「サパティスタ万歳!」「マルコス!マルコス!」の連呼が街頭を駆け抜け、包み込んでいく。都市部における様々なエピソードは日本においても紹介されている。あるアメリカ人記者はその“人気”への驚愕を「まるでマルコスはバットマンか怪傑ゾロのようだ」と配信している。メキシコのマスメディアはその商業的理由からもEZLNの声明やマルコスのインタビューを競って一面に掲載している。
 さて、非先住民族を中心とする都市部民衆のEZLNへの共感は、先住民族の現状に対する同情からのものであろうか。あるいは加害者たる自己の位置への自責の念であろうか。それもあるだろうし、契機はそうであったであろう。と同時に、「尊厳」「協議における威厳のなかに真実がある」「自由かつ民主的に決定する権利」といった言辞に現れるEZLNのまなざしは、過去・現在・未来の全てが“北”で決定されてきたメキシコ民衆にとっての“尊厳”の意味を問い、メキシコ国家一制度的革命党(PRI)(注4)によって簒奪された「未完のメキシコ革命」への民衆の“記憶”をとらえたのではなかったか。
 変化は都市部においてのみ起こっているのではない。より重要な変化は農村部において生起している(注5)。
 例えば、2月上旬には、サンクリストバルデラスカサスから45キロ南東のテオピスカ市で、周辺の村々から集まった先住民族農民ら約3千人が3日間にわたり市庁舎を占拠、プレシデンテ(行政区の長)の解任を認めさせ、住民による行政評議会を発足させた。2月段階において、住民が市庁舎を占拠したのは9市、市長の罷免一住民による行政評議会の要求は州全体の5分の1に及んでいる。毎日新聞は次のような特派員ルポを掲載している。
 「『歴史に残る日よ。人々が役場を占拠して、プレシデンテの罷免を要求するなんて、初めてなんたから。』パトリシア・サンチエさんは、勢い.よく話し出した。テオピスカ行政区の広場にある役場に千人以上の村人が押しかけたのは2月7日たった。武器は持っていない。プレシデンテは逃げ出した。翌日、人々は村を縦断する幹線国道に
石を置き、交通を止めた。『10家族のカシケ(地方ボス)が我々1万8千人を支配している。村の役職を押さえ、商店や食堂を経営する金持ちだ。カシケの農園の労賃は1日わずか10新ペソ(約350円)だ。プレシデンテは政府からの予算を握りポケットに入れている。腐っている。』ホセ・ファン・ガルシアさんはまくしたてた。
 この辺りの村々では、カシケが政治・経済を握る。連綿と続く政府とPRIの権力構造の末端に位置する。プレシデンテは選挙で選ばれるが、候補者はPRIだけ。だれも手を触れられなかったカシケ体制に、村人は素手で立ち上がったのだ。・・・・・・パトリシアさんの父レイナルドさんは弁が立つので村人から『宣伝係』に指名された。父が考えた文章を、娘が直しながらタイプで打ち、声明を作る。『最後をどう締めくくろうか?』『農民に土地を、は?』『そして、学生に高校を!だ』。目の前で親子のやりとりを聞いて、メキシコ農村でこれまでにない『下からの変化』が始まった、と感じた。」(「メキシコ忘れられた人々の声が聞こえる」毎日新聞1994.2.22)

3.連邦政府和平提示案の拒否とその根拠

 周知のように、1月1日の武装蜂起以降、連邦政府の軍事的鎮圧の目論見は、メキシコ市民社会と国際的な“声”の前に破産する。舞台はサムエル・ルイス司教を仲介者とする直接対話に移行した。 EZLNは、この直接対話の期間を、宣伝戦や諸運動との交流に最大限活用しつつ、政府の和平合意提示案を解放地域に持ち帰る。EZLNを構成し支える地域社会での協議にかけるためにである。村の共有地と集落での集会において協議が続けられた。EZLNの採択した結論および投票結果は以下のとおりである。

「連邦政府によって提示された和平合意提案は拒絶する。サン・クリストバルの対話は終了したものと見なす。国内の全ての進歩的勢力が席に就く新しい国民対話に出席するよう、メキシコ人民に呼びかける。」(「6/10声明」1994.6.10)

政府の和平合意提案にどのような態度を取るべきか
〔署名するのに賛成〕全体の 2.11%  署名するのに反対 全体の97.88%
署名しないと決めた場合、どのような行動を取るべきか
〔戦闘行為を再開するのに賛成〕全体の 3.26%
〔抵抗を続け、国内の独立し誠実な全ての勢力が出席する新たな国民対話を招集するのに賛成〕全体の 96.74%

 さて、彼・彼女らは何故に提示案を拒否したのか。連邦政府提示案は、チアパスの先住民族・農民の土地・労働・衛生・食糧・教育における無権利状態に対して、一定の改善を約束するものだったと言われており、教育、医療、道路、水道、電気など、いくつかは現在実施中と伝えられてもいた。
 拒否の根拠は「ラカンドンのジャングルからの第2宣言」(1994.6)において鮮明にされている。

「連邦政府が寄せた一連の回答は、本質的な問題−メキシコ領内における正義、自由、民主主義の欠如−といった問題には触れられていなかった。連邦政府が回答した諸提示項目は、権力の座にある政党システムによって限定されるものであった。このシステムにより、メキシコ地方周辺の諸部門はそのまま継続して存在することが可能とされた。これが、大地主の存在とそれに抗する戦い、そして農園経営者やビジネスマンらの勝手放題、麻薬の蔓延などの状況を現出させてきた。・・・・・・政府の行った提案によって、・・・これら諸部門の公然たる反抗がもたらされることとなった。・・・・・・言い換えれば諸提案を実行することは、実に国家の党システムの死を意味するのだ。現在のメキシコの政治システムの死は、それが自殺であれ処刑された形であれ、充分ではないにしろ我が国の民主主義への移行のためには必須の条件である。・・・・・・いかなる努力がなされようとも、これらの努力が新しい地方、全国の政治的諸関係−すなわち民主主義、自由、正義による諸関係−という背景に基づいていないのならば、それは問題を先送りするだけであるのだ。」

 確かに、連邦政府PRIの努力は、その政党システムの枠内でなされる限り、その基盤である農園経営者をはじめとする部門の反抗の中に解消され、空手形となるであろう。
 「全ての人々が自由かつ民主的に決定する権利」が求められねばならない。では、新しい政治的諸関係−民主主義、自由、正義による諸関係」はどのようにして獲得されるのか。マルコス副司令官は、会見において次の旨の発言をしている。「メキシコ国家−社会の将来は政府との交渉の場でやり取りすることではないし、我々と政府の間で決めることでもない。民主主義への移行のためには、市民社会自らが組織される必要がある。」
 このことの意味の一つの側面は、「民主主義、自由、正義による諸関係」への移行のためには、現在のメキシコ国家・党システムの死が、充分ではないにしろ必須の条件であるということである。しかし、より注目すべきもう一つの側面がある。つまり、「民主主義、自由、正義による諸関係」は、現在のメキシコ国家・党システムの破壊を必須の条件としながら、ただし、市民社会自体のより高次な再組織化として、国家の側からではなく、市民社会の側から準備・創造されていく関係性の在りようのことでなければならないということである。国民対話−国民民主大会の提起はそのことを意味している。
 何故、連邦政府との対話の終結、それに変わる国民民主大会の提起という判断が導かれるのか。あるいは何故、直接的な戦闘の再開ではなく国民民主大会なのか。筆者は、ここに、権カ−政治−市民社会をめぐる彼・彼女らの思想が、したがってまた戦術をめぐる態度が、顕著に現れていると考えている。国民民主大会−アグアスカリエスタンとは何なのか、このことを見ていくなかで、次節において具体的に考察することとする。

4.前衛なるものを巡って

「私たちは、自分たちがもはや必要でなくなる日を待ち望んでいます。国民民主大会が、私たちが使命完了の誇りをもって自分たちの土地に戻ることを許すときがくることを望んでいます。」(国民民主大会におけるマルコス挨拶)

 EZLNについて語られるとき、少なからぬ人たちが指摘しているのは、彼・彼女らの、前衛なるもの、権力なるもの、あるいは軍事なるものへの独特のスタンスである。筆者もまた、そのことに同意する。そして問題はそのことの意味であり意義である。前衛なるものへの独特の態度、それはEZLNの言説のうちに繰り返し織り込まれている(注6)。端的に表現されている部分をいくつか引用してみよう。

「これ(国民民主大会)が成功すれば、私たちが対抗的展望を代表するという状況を克服する第1歩になるでしょう。・・・・・・アグアスカリエンテスがこのことに失敗すれば、私たちは再び最前線に立ち、各人が歴史上に自己の位置を見いだしうるようにしなければならなくなります」(国民民主大会におけるマルコス挨拶抄録1994.8)(注7)

「EZLNは、自分たちの闘争形態だけが正当なものであると考えたことはない。しかしながら、これは我々にとって残された唯一の方法だった。 EZLNは、我々全てを自由、民主主義ならびに正義に導く道程で展開される全ての形態の闘争の誠実かつ重要な発展を積極的に歓迎する。 EZLNは、自分たちの組織だけが、メキシコやチアパスにおける唯一の真実の誠実かつ革命的な組織であるべきだと考えるようなことはない。我々がこのように自ら組織しているのは、我々にとって他に残された方法がなかったからである。EZLNは・・・・・・全ての独立した進歩的組織の誠実かつ重要な発展を積極的に歓迎する。他の革命的組織もあるし、これからも形成されるだろう。他の人民軍隊もあるし、これからも形成されるだろう。我々は唯一無二の真の歴史的前衛になろうとするものではない。我々にその用意はあるが、全ての誠実なメキシコ人に我々サパティスタの旗のもとに結集するよう強制するつもりはない。我々全てが結集することが出来るより一層大きくて力強い旗がある。それは、自由、民主主義ならびに正義という共通の希望のもとで様々な傾向、考えならびに闘争形態が相互に連携する国民的革命運動という旗である。」(1/20コミュニケ1994.1)

「EZLNは自身が権力をとるのが目的ではないし、ドグマを振りかざしているわけでもない。革命は民衆が行うものだ。我々は民衆が活動する政治空間をメキシコにつくりだすために武器を取り闘っている。」(マルコス・インタビュー)

 御覧のように、EZLNは、前衛それ自体を否定しているわけではないし、前衛としての位置に自らを置くことを否定しているわけでもない。現実がそれを求める限りそれを引き受けきるであろうし、現に引き受けてもいる。その上で、前衛という特別な存在を必要としないような相互の関係を求め、それを創造しようとすることに意識的なのである。これまで、前衛として人々を指導しようとした者は無数に存在した。むろん指導ということを否定することは出来ない。しかし、人々がもはや指導を必要としないような能力と関係を人々自身が獲得していくこと、そのための指導をそこに織り込むことにどれだけの者が自覚的であっただろうか。<党−大衆>図式による指導の永遠化、それが実際に生起してきたことではなかったか。問題はこのことである。
 ここで前衛という言葉を、国家なるもの、権力なるものと置き換えてもよい。国家なるもの、権力なるものは、その程度に違いはあれ、成員に対する抑圧から自由ではない。しかし国家なるもの、権力なるものは拒否してなくなるものではない。民衆の社会運動の中においてすらそれは不断に生起する。国家なるもの、権力なるもの、それらを必要としないような、人々の社会的結合関係と能力を準備していくことにおいてのみ、それは死滅への条件を準備する。
 もとより、権力奪取に革命の任務を切り縮める限りにおいて、このようなことは意識の外に置くことが出来る。ましてやそれは”倫理”に関する問題ではない。ことは目指すべき社会、建設すべき社会との関係において措定されるべき事柄である。「集団的労働、民主主義的な考え方、多数の人々の合意への服従」「集団の魂」「協議における威厳の中に真実がある」といった言葉のうちに輪郭を示されるEZLNの求める社会が、我々がコミュニズム・プロレタリア革命として語ろうとしてきたものと、どのような距離にあるのか、それを正確に推し量ることは現在できない。しかし、EZLNが求めるものもまた、直接に社会化された関係性の在りようであることは間違いない。その位置からするならば、国家・政治なるものは一つの抑圧を意味するのである。このことは政治闘争を否定することではない。望もうが望むまいが政治という領域は厳然としてあるし、政治革命は社会革命の必須の条件である。このアンビバレンツを自覚的に引き受けきることが問題なのだ。政治あるいは政治闘争の意義と限界が、政治のただなかにおいてふまえられねばならない。樹立すべき国家・権力が、その樹立に向けた準備・闘いの過程からして国家・権力そのものの死滅を準備するものとしてなされねばならないということであり、換言すれば政治革命における社会性の水準の問題なのだ。そして、それは運動と組織における結合の水準として端的に問われることに他ならない。

5.アグアスカリエンテス−大いなる“計画”への一歩

「下り来る奔流は、山上に向かいて流れはしない。低き地へと流れるのだ・・・。」

「アナ・マリーナは、雨は山々の頂きで闘う雲からもたらされるのだと言う。山々の頂きでは雲が、我々が呼ぶところの雷光と熾烈な闘いを繰り広げている。無限の力を得た雲は、今や、死の淵にさらされた権利のために闘い、そして、大地を潤す雨となる。我々サパティスタは、雲の如く、顔を持たず、名前も持たず、まして報酬があるわけでもない。雲のように、大地のための一粒の種になるという名誉のために、我々は闘う。」(5/28声明1994.5)

 前節で述べてきたことを具現化しているのが、8月、解放地域にメキシコ全土の1500の政治・社会組織の代表6千人を集め開催された国民民主大会である。

「EZLNは、どのようなシステムや提起が国にとって最良のものかと考えている。民族の部門の代表たるEZLNの政治的成熟の度合いは、国に対しては、その提案を行わないという事実をもって示されることとなった」(ラカンドン第2宣言1994.6)

 この言葉を現存国家への非妥協性として理解するだけでは決定的に不十分である。EZLNは、国家との直接対峙を堅持しつつ、しかし、国家との直接対峙の論理と場に運動を収斂させるのではなく、そのまなざしは社会の場と論理に注がれている。国民民主大会の呼びかけの位相はそこにある。
 さて、通常このような集会は、“武装を組織した前衛”による“大衆運動”の糾合として理解されるのが一般的である。多くの場合、その獲得目標は権力奪取のための陣形の創出という、いわば力学的・機能的側面から理解されてきたと言ってもよいだろう。革命の任務を権力奪取に切り縮めた理解からすれば、そうでしかないのである。しかし、国民民主大会はそのような理解とは相を異にしている。
 もちろん、国民民主大会は、革命に向けた運動の“統一”を創り出していこうとするものである。ただし、それは「統一戦線」といった狭い意味での“統一”ではない。そうではなくて、意見や歴史性の違い、闘争形態や運動領域の違いをふまえ、協議のなかから“計画”を作り出していくような場であり、そのような関係性を形成していくための場である。すなわち、それ自体が新しい政治文化の創造の過程であり、したがってまた、彼・彼女らが目指す<国家−社会>の“質”を今日的に準備していくものなのである。それは権力の準備であり、同時に権力の死滅の準備と限りなく同義であると言って過言ではないようにも思われる。

「我々は主権と革命的な国民民主大会の開催を要求する。そこから人民の意志を合法的に約束することを保証する過渡政府と、新国民法、新憲法がもたらされるのだ。この主権革命集会は、連邦の全ての州から代表選出される全国的なものとなる。全ての愛国的部門が選出されることは、この意味では多元的なものとなろう。国民協議によって決議がなされるという意味では、これは民主的なものとなるであろう。この集会は、民間人の自由、かつ善意のもと、公共機関の威信のもと、また各人の政治的立場、人種、宗教、性別、年齢に関係なく執り行なわれるものである。集会は、全ての共有地、施設、学校、工場における、地方、州、地域委員会によってなされる。集会のこれらの各委員会は、集会で生まれる新政府によって完成されるものとしての民衆の提案を集約する任を負う。集会では、自由かつ民主的選挙を要求し、人民の意志に敬意が払われるべく戦うものである。サパティスタ民族解放軍は、この国民民主大会を、民主主義への移行過程におけるメキシコ人の利害については信頼のおける代表機関であるものとみなす。サパティスタ民族解放軍は、現在メキシコ人民に対し、人民の意志を実行するのを保証するための軍たることを自身で負う位置にある。」(「ラカンドン第2宣言」1994.6)

「国民の気持ちを代表すると名のる権利は、投票やコンセンサスによって生ずるものではなく、それは都市地域、バラック居住地域、郊外、先住民社会、学校や大学、工場、会社、科学研究所、文化芸術センターなど、この国のあらゆるところで勝ち取られる必要があることを民主主義全国大会が理解するよう望みます。」(国民民主大会でのマルコス副司令官演説・抄録1994.8)

 “アグアスカリエンテス”がどのような結果に終わったのか、EZLNがそれをどう評価しているのか、残念ながら現時点において、具体的な資料に目を通していない。国民民主会議が結成され、解放地域への医薬品・食糧等のキャラバン隊が組織されていることなど部分的・表面的な事柄を知るのみである。EZLNが語るように、“アグアスカリエンテス”は最初の一歩に過ぎず、その前には多大な困難がある。困難とは、メキシコ国家の強大な力のみを意味するのではない。むしろ、EZLNの語る困難は、運動の側の結合の水準に関するものだろう。「協議における威厳の中に真実がある」、この言葉に象徴されるような“統一”の在りよう一政治文化の質は生半可に形成されるものではない。
 ともあれ、メキシコ南東部の山なみから開始された<可能性>あふれる闘争に、注目していきたいと思う。そして、彼・彼女らに連帯する闘いを!

6.補足:「協議における威厳のなかに真実がある」

 「この10年間に治療可能な病気で15万人の先住民が死んだ。もう無駄な死に方はしない」。この声明の一節に端的なように、EZLNの蜂起の起点は、チアパス州先住民族の土地、労働、衛生、食糧、教育、政治、あらゆる面での無権利状態にある。そしてその根幹に据えてきた要求は「自由かつ民主的に決定する権利」である。この間の闘争展開の中では「新しい政治的諸関係−民主主義、自由、正義による諸関係」ということが正面に掲げられている。
 EZLNの求める「新しい政治的諸関係−民主主義、自由、正義による諸関係」とはいかなるものであるのか。 EZLN自身が「古いすり切れた言葉」という「民主主義、自由、正義」とはいかなる内容なのか。「民主主義、自由、正義」という言葉は、様々な人々が様々に異なる内実において使用してきた。EZLNの語るその内容をリアルに掴み取ることは困難である。ただし、それを理解する鍵は、「協議における威厳のなかに真実がある」という言葉の中にあるように思う。また、次のようにも語られている。

「集団的労働、民主主義的な考え方、多数の人々の合意への服従、これこそ先住民族地域の伝統以上の価値であり、生存・抵抗・尊厳や反逆の唯一の可能性の根拠となってきた。大地主や商人の目からすれば“間違ったこの考え方”こそが、“少数の者の手に多くのものを”という資本主義の原理に真っ向から対決するのだ。」(「チアパス−暴風と予言、二つの風の渦巻く南東部」1993.8マルコス)

 集団的に物事を決定する伝統、これはラテンアメリカ先住民族の共通する伝統的な考え方であるとされている(注8)。「インディオ・黒人・民衆の抵抗の500年」においては、形式性と抽象性を特質とする民主主義−我々の知るところの民主主義−を「形式民主主義」と規定し、自らの求める民主主義と区別している。「協議における威厳のなかに真実がある」、ここに刻印されている質もまた、形式民主主義とは位相を異としている。と同時に、個が共同性のうちに解消されているような関係ともおのれを区別しているかに見える。
 そこにおいて、「威厳」は「多数の人々の合意への服従」と対立しない。「服従」という言葉は否定的ニュアンスでとらえられることが一般的である。しかし、全ての人の意見が同じであるような状態を想定することは出来ない。そうである以上、そこには一つの行動や選択をめぐって、多数の意見と少数の意見の摩擦や対立が存在する。これは厳然たる事柄である。だから問題は「多数の人々の合意への服従」という時の「服従」、この「服従」を少数者が当たり前のこととして受け止めるような−まさしくそれが「威厳」であるような−決定の仕方のことなのだ。「服従」という言葉が否定的ニュアンスをもって受け止められるのは、我々の知る民主主義が形式的・抽象的なものでしかないからに他ならない。「服従」を担保するところの“民主主義”の深さ広さの問題なのである。 EZLNの語る民主主義とは、直接の討議と協議のなかから(諸個人の歴史性や具体性を介在させながら)、集団的に物事を決めていく−協働を組織していく−限りなく直接に社会的な相互の関係に他ならないのだと思う。
 多党制ととらえることも可能な彼・彼女らの主張も、このこととの関係において見てとることが必要であろう。多党制あるいは政治的多元主義の問題については、ここでは触れることをしないし、EZLNの主張への評価も出来ない。ただし、とりわけ旧東欧において現れた多党制の主張が、固定した制度の問題として、いわば「一枚岩の党組織」の裏返しでしかないのに対して、EZLNの主張が、党組織と社会階級の新たな政治文化の創造の問題を介在させながら、したがって動的な階級闘争の問題として提示されてい,る点については留意しておきたい。今筆者が言えるのはそこまでである。

(注1) EZLNは、正確には、先住民族地下革命委員会(CCRで)の軍事組織を指すようであるが、本文書では便宜的にその総体をEZLNと表記する。

(注2) 連邦政府による軍事的鎮圧や地域への封じ込めを不可能とした重要な要因として、EZLNが今日的なメディア状況を最大限活用し、連邦政府による報道管制を突破したことに注目する必要がある。武装蜂起の情報やEZLNの主張は、即座に、サンクリストバルデラスカサスからメキシコシティーヘ、あるいは欧米の社会・政治組織へと、パソコン・FAXにより通信された。コンピューター・ネットワークがその機能を創造的に発揮した。翌日には「軍事鎮圧反対!虐殺弾劾!」の声がメキシコ全土・国際的なものとして連邦政府を包囲したのである。このことは―つの経験としで教訓化しておく意義を持っている。

(注3)EZLNの主張については、既に主要な宣言文などが日本の地においても翻訳・公開されている。「BURST・CITY」(ARP)、「世界革命」(第4インター)、これらの諸君の精力的な翻訳努力に敬意を表しておきたい。本文書で検討あるいは引用した素材の多くは、これらの諸君の翻訳・公表によるものである。
 また、来年の1月にはEZLNの100余の文書が現代企画室から編集・刊行される予定である。括目して待ちたいと思う。

(注4)PRIは、「未完のメキシコ革命」の簒奪の上に形成された政党であり、民族ブルジョアジー、大農園経営者、大地主の利益を基礎としつつ、その特徴は、労働団体、農民団体、同業者組合など種々の社会機関を掌握していることである。
 それは利権の体系ともいうべき構造を有しており、例えば、同業者組合に営業許可を受ける際にも、PRI支持が実質的には要件となるのである。今回の大統領選挙におけるPRIの勝利もこのことが大きな要因となっている。

(注5)もちろん、先住民族・農民の“抵抗”は昨日今日生まれたわけではない、長い抵抗の歴史が脈々と刻まれてきた。近年においても、農園経営者・地主への反逆と弾圧が繰り返されてきた。しかし、プレシデンテの解任−自分たち自身による統治という要求に見られるように、現在生じていることは、質・量において近年の流動とは一線を画したものと言える。
 なお、EZLN自体、その組織化の端緒は10年前に遡ると言われている。この地域における10年間の闘いの経験とその,教訓のうちに、現在の闘争が準備されている。ソ連・東欧「社会主義」の敗北、中米革命運動の経験、メキシコ左翼の四分五裂状況、債務危機以降加速するIMF・世銀を通した世界資本主義による包摂と支配の深まり、これらの経験もまたそこにはインプットされているに違いない。そして、NAFTA(北米自由貿易協定)発効、五百年の歴史のとらえ返しと先住民族の権利をめぐる社会意識の一定の高まり、そうした適確な時期を選んで、「もうたくさんだ!」という武装せる主張は発せられたのである。

(注6) その独特のスタンスは、語り方や振る舞い方、実践の隅々に貫かれている。例えば蜂起後の発言においても、蜂起の“大義”を演説するのではなく、“問いかけ”と言うべき語り口をとっている。「我々の声にあなた方が関心を持つようになるために、なぜ死んだり殺したりすることが必要だったのか。なぜ先住民が学士や博士になる代わりに、武器を取ることが必要だったのか」。また、国民民主大会においても、論議への積極的関与を表明しつつ、しかし武装せる者が司会を勤めるわけにはいかないとして、議長団の任を拒否したことも一つの現れである。

(注7) EZLNは、8月6日から9日までチアパス州で開催された国民民主大会の第1回会議を“アグアスカリエンテス”と呼称している。アグアスカリエンテスとは、1914年、メキシコ革命を担った諸潮流が一同に会した革命的主権集会の開催された町の名前であるが、今回、国民民主大会を開催するにあたり、EZLNはジャングルを切り開いて会場を建設、この会場に“アグアスカリエンテス”との名称を与えている。  

(注8) 先住民族共同体の中の関係性の全てを、先験的に美化することはできないし、EZLNもそうしたスタンスにあるわけではないであろう。エルナン・コルテスによるアステカ征服(1519−1521年)以前の共同体、それ以降の資本主義への包摂過程、そこにおける共同体と構成員の関係の在りようが見てとられねばならない。そしてまた、EZLNの闘争過程・におけるそ・の変容を見ることが必要である。この点については、EZLN女性司令官たちとのインタビューが部分的ではあれ興味深い内容を示している。それによれば、先住民族の村々において、女住は慣習的抑圧のもと軽んじられた存在であり、その“尊厳”は否定されていた。村の集会への参加も許されてはいなかったという。EZLNへの参加を通して、彼女たちは、決定に参加する権利、学ぶ権利、主張し組織し闘争する権利etc.を獲得しつつあるという。これらの権利は男性同志との闘争を含みながら、否定的な伝統を打ち破り獲得されたものであり、女性革命法としても物質化されている。




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