パレスチナ国家樹立宣言の意義について
94号(1989年6月)所収
はじめに
一昨年−1987年12月9日から開始されたイスラエル占領地における大衆蜂起=インティファーダに基礎をおいて、昨1988年11月15日のパレスチナ民族評議会においてパレスチナ国家の樹立が宣言された。
いわゆる第三世界諸国を中心にパレスチナ国家承認が相次ぎ、アメリカもPLOに対するこれまでの態度を変更しはじめた。イスラエルはなお頑なにPLO拒否の姿勢を続けているものの、明らかに政治的流動が始まり、イスラエル国内の従来からの政治的な分解の動きがより強まるだろう。
インティファーダは頑強に続けられ、多くの犠牲を伴いながらも、繰り返し、繰り返しイスラエルに攻撃をかけている。
イスラエルは明らかに受動の位置に押しやられており、パレスチナ解放勢力の側が能動的な位置に今や立っている。国家樹立宣言をテコとして国連の場におけるWHOなどの国連諸機関への正式加盟申請攻勢など、多面的な攻勢が行われている。
ここでは、パレスチナ国家樹立宣言に的を絞ってその意義について考えたい。
I
パレスチナ国家樹立宣言については、PLO内部においても種々の微妙な評価のズレがあるようである。それは今回の国家樹立宣言が、イスラエル国家の承認問題と絡まっているからであり、さらに武装闘争の位置付けの問題とも絡まっているからである。
アメリカからのPLOへの攻撃もこの二点に的を絞った形でイスラエル国家の承認と武装闘争の放棄をはっきり確認せよというものになっている。
樹立宣言自体は、国連総会181号決議(1947年)が「パレスチナ・アラブ人民にたいして主権と民族の独立を保障する国際的な正当性の条件を与えるものである」と明示した。この国連決議はそれまでのイギリスによるパレスチナ委任統治を終結させ、パレスチナをアラブ国家、ユダヤ国家、エルサレム特別国際管理地区に分割すべきことを決定したものであり、その意味で、イスラエル国家の存在を前提とするものである。
また国家樹立宣言を採択したPNC(パレスチナ民族評議会)政治声明では同じくイスラエル国家の存在を前提とした国連安全保障理事会決議242号、338号を基礎とした中東和平国際会議開催を提案した。
こうしてPLOはイスラエル国家の現存を承認したうえでのパレスチナ国家の樹立を求めていくこととなったが、これがパレスチナ国民憲章に違反するものではないかという議論が起こり、とりわけイスラム原理主義者を中心にPLOへの批判が巻き起こった。
ではパレスチナ国民憲章はどのように規定していたか。第15号で言う。「・・・アラブの祖国に対するシオニストと帝国主義の侵略を撃退し、パレスチナにおいてシオニズムを根絶することを目的としている」。第19条−「1947年のパレスチナ分割とイスラエル国家の樹立は時間の経過にもかかわらず。完全に不法である・・・」、第30条−「バルフォア宣言、パレスチナの委任統治とこれらに基づくすべてのものは無効とみなされる。・・・一つの宗教であるユダヤ教は、独立したナショナリティーではない。またユダヤ人は、自分自身のアイデンティティーをもつ単一の民族を構成しない。彼らはそれぞれの属する国家の市民である」、第22条−「シオニズムは国際帝国主義と有機的に結びついた政治運動であり、解放のためのすべての行動と社会の進歩的運動に敵対的である。それは性格において人種主義的・狂信的であり、その目的において侵略主義的・拡張主義的・植民地主義的であり、その方法においてファッショ的である。イスラエルはシオニズム運動の道具であり、解放、統一、進歩へのアラブ民族の希望と闘うため、アラブ諸国の中心に戦略的に置かれた世界帝国主義のための地理的な基地である」
これを見てくれば次のことがわかる。
国家樹立宣言が国連総会181号決議を承認したことは、やはり明らかにパレスチナ国民憲章に定められた路線からの転換を意味する。それは1948年のイスラエル国家樹立から既に40年が経過したその厳然たる歴史の承認であり、イスラエル国家の下で生まれ、育ってきたいわば二世、三世の存在が否応なく現実にたいして突き付けるイスラエルの国家−社会の持つ民族性の承認−ーそれへの価値判断は別としての、厳然たる現実のこととしての承認ーーである。国民憲章が言う「ユダヤ人は、自分自身のアイデンティティーをもつ単一の民族を構成しない」ということは今尚真実である。だが、イスラエル国家−社会の下に生まれ、育ち、パレスチナ解放闘争にたいして反革命戦争を担ってきた人々のうちには、それがパレスチナ解放闘争にとってはいかに否定すべきものだとしても、イスラエル人としてのアイデンティティーが生み出されているのであり、この否定しえない現実のうえに解放闘争の戦術がたてられねばならない以上、国民憲章からの転換は不可避であったといえよう。だが、第二に、国民憲章が定めたそのより核心的な部分、すなわちシオニズムが国際帝国主義の先兵であり、それを一掃することがパレスチナ解放闘争の義務であるとした点について、パレスチナ国家樹立宣言は必ずしも否定してはいない。イスラエル国家が現実に存在していることを認め、そこから闘いの戦術を措定していくことは、決してイスラエル国家−シオニズムを肯定することではありえない。この文脈からして、アラファトが、「パレスチナ国民憲章は古くさくなった」と発言したことに、インティファーダをになう人々からも直ちに反論がまきあがったことが理解できる。パレスチナ国民憲章の核心的な精神、その中心的な綱領は決して古くさくはなっていないのである。
では、武装闘争についてはどうであろうか。パレスチナ国民憲章第9条は言う。「武装闘争はパレスチナを解放する唯一の道である。こうしてそれは全般的な戦略であり、単なる戦術的段階ではない」。この規定はまったく明白であって、なんらの誤解も生じようがない。解放=革命が暴力革命であることの言明である。だからそれは決して様々の非暴力的手段−平和的手段による闘争を否定してはいない。国連の場などの利用などを否定してはいない。今回の国家樹立宣言以降、PLOは武装闘争を放棄するとは決して述べてはいない。現実にイスラエルに対する武装闘争は継続されている。
かくして、問題は今回の国家樹立宣言それ自体の意義である。
II
パレスチナ国家の樹立が宣言されたといっても、それは未だ実現されていない。その実現には種々の紆余曲折が予想される。そもそも現実に支配する領土がないにもかかわらず亡命政府の樹立ではなく、国家樹立が宣言されること自体、例のないことである。これは、パレスチナ国家なるものの中東−国際階級関係、諸国家関係の特殊性に基づいており、パレスチナ国家がそれに対抗して創り出されなければならないイスラエル国家の特殊性に対応している。
エンゲルスは国家について次のように言った。
「国家は、・・・一定の発展段階における社会の産物である。それは、この社会が、解決できない自己矛盾にまきこまれて、自分では取り除く力のない、融和しがたい対立物に分裂したことの告白である。・・・外見上この社会の上に立ってこの抗争を和らげ、これを『秩序』の枠内に保つべき権力が必要となった。そして、社会からでてきながらも、社会の上に立ち、社会からますます疎外していくこの権力が、国家なのである」(『家族・私有財産および国家の起源』岩波文庫p.225)
全体、イスラエル国家なるものは、どのような社会からでてき、またどのような社会の上に立ち、どのような社会から自己をますます疎外していっているのか。
このような問いを提出するとき、われわれはいささか当惑を禁じ得ないであろう。イスラエル国家は、パレスチナ社会から出てきたのでは決してなく、パレスチナの地・社会に突然いわば「上」から降ってきた。押しつけられたものである。だから、ここでは"社会"を狭くとらえてはならない。国際的な階級関係、帝国主義諸列強間の関係を支える社会全体から、生み出されたものである。国際帝国主義、そこにおける階級闘争<場>としての社会からイスラエル国家は生み出されたのである。シオニズムが国際帝国主義の先兵であるというのは文字どうりそうした現実の謂いである。第二次大戦後のいわゆる分断国家は多かれ少なかれこうした面を持っているが、イスラエルはそれがもっともストレートに出ている。イスラエルが中東−アフリカ地域における警察国家としてやすやすと国境を越えた反革命行動を遂行するのはかかる現実に支えられているからである。したがって、イスラエル−シオニズムに対する闘い・パレスチナ解放闘争は、一貫して国際的な性格をもち、国際的な地盤のうえに闘われてきた。
先のパレスチナ国家樹立宣言は言っている。
「パレスチナ・アラブ人民は現代世界の解放運動においてユニークな地歩を達成するにつれて、パレスチナ人民のレジスタンスは、アラブと世界の人々の自覚の最前線にまで鮮明なものとして高められた」(『世界政治』No.779 1988.12.上旬)
かつてのヴェトナム−インドシナ革命戦争が持ちえた国際的な影響の広がり、国際階級闘争を一つにまとめていく力という点では及ばないにしても、パレスチナ解放闘争がもつ国際的な性格の根拠という点ではより一層深いものがあるといってよいのである。
III
ところで、1948年のイスラエル建国から40年が経過した現在、イスラエル国内においてはユダヤ原理主義ともいうべき運動が台頭している。パレスチナ国家樹立宣言がなされる直前に実施されたイスラエル総選挙において、宗教諸政党が10から18に議席を伸ばした。こうした宗教運動の台頭は一体何を意味するのか。
イスラエルという国家がいわば国際的な階級関係・「社会」から生み出されたことを述べた。だが、その国家はあくまでパレスチナという地にあり、パレスチナ社会の上に立つ国家として存続しなければならない。しかも侵略を拡大し続けてきたことはパレスチナ−アラブ社会をますます自国にうちに取り込むことを意味したので−−イスラエルはなによりも"追放"を中心的な占領政策として押し進めてはいたが−−、これをより加速した。さらに、イスラエル人社会内の階級・階層分化もまた進んだ。時の経過はこれらを複雑化し、構造化した。こうしてイスラエル国家は、国際帝国主義の先兵としての、国際的な地盤のうえに立つ国家としての性格をますます疎外していくこととなった。すなわち、国家のよって立つ社会の国際性の喪失の進行と、一民族国家を支えるものとしての市民社会の成立と成熟−階級分解・対立の深化、それに照応しての国家の民族主義的・排外主義的性格、総じて一地域性への閉塞化の進行が進んだ。あくまでブルジョア独裁国家として、イスラエル国家が国際性をさらに開いていくことはそもそも不可能であったのであり、帝国主義の先兵としてより排外主義への傾向を強めざるをえなかったのである。こうしてイスラエル式「民主主義」、すなわちイスラエル人にだけ適用されるかなり広範な政治的民主主義が空洞化され、解体されていくこととなる。イスラエル式「民主主義」はイスラエル国家が当初国際的な階級関係・「社会」の基礎上に生み出されたときの一側面であったわけだが、これがイスラエル国内の階級対立の深化に伴って空洞化し、解体していかざるをえなくなったのである。イスラエル式「民主主義」の欺瞞性がここにはっきり暴露されたのである。
こうした事態に照応して、ユダヤ原理主義が台頭してきたのである。イスラエルの宗教国家化を求める運動である。だが、この宗教国家化は、イスラエルが国際帝国主義の先兵としてあるということと衝突せざるをえない。この間しばしば生じているあれこれのアメリカとイスラエルとの意見の相違はこの現れである。宗教性を帯びながらも、一定の国際性をもったシオニズムのような国家精神の方が帝国主義政治にとっては望ましい。
明らかに、イスラエル国家の国家精神は衰弱しつつある。
IV
では、このようなイスラエル国家の現状にたいして、パレスチナ国家樹立宣言はどのような意義を持っているのか。
国家樹立を宣言したといっても、支配する領土はなく、また近い将来にそれが得られそうにもないパレスチナ国家ではあるが、すでに指摘したパレスチナ問題が当初から持ちえていた国際性と、1987年12月から絶えることなく長期にわたって闘い続けられているインティファーダ(大衆蜂起)にしっかりと根ざしたものとして、それは今日のイスラエル国家と対照的な位置にある。
パレスチナ国家は従来の民族解放闘争−民族解放革命戦争を闘い抜くことによって樹立された諸国家−−キューバ、ヴェトナム、ニカラグァなど−−と同様の性格、つまり最大限に高められた民族的な自覚を持つ武装した人民に立脚し、反帝民族解放革命的で、社会主義を指向し、きわめて広範な民主主義を実現する等々の性格をもつものとなるであろうことは容易に解る。だが、それだけではないであろう。樹立されるべきパレスチナ国家は、パレスチナ・アラブ社会にしっかりと基盤を持ちつつも、それにとどまらず、より国際的な地盤に立脚したものとしてあるゆえに、その国家は民族解放革命の枠を止揚する指向を内在させずにはおかないであろう。それは自らに内在する国際性をさらに開いていくものとなるであろう。
PLOはその綱領に世界革命を掲げているわけではない。だが、彼らの闘い、彼らの存在が否応なく刻印している国際性は、今回の国家樹立宣言によってイスラエル反革命国際国家との対比のうちでよりきわだったものとなった。
今日、帝国主義諸国家−ブルジョア独裁国家が、おしなべてそれが立脚する市民社会の爛熟−−国際金融資本(多国籍企業・多国籍銀行の活動によるそれ)に規定されている−−に照応して、国家精神を衰弱させ、国家テロリズムにはしりつつあるなかで、パレスチナ国家樹立宣言は、プロレタリアート−共産主義者に、国家と革命の新しい課題をつきつけているのである。